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刺青の聖女と契約の王子  作者: じょーもん
第四章

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48 まだ、終わっていない

「アナスタシア聖女の死後、一体、何が起こっていた……とお考えですか?」


 エリオットが聞くと、ミルドアは、少し考えてから語り出す。


「アナスタシアの死後、実際のところ何が起こってたか――、私にもよくわからない。

 王都に暮らしていた、魔力の高い若者から、魔力暴走や魔力枯渇、それ以外にも謎の突然死が相次いだ。

 王都を離れていた者は、王族であっても無事な者が多く、また、王都に住んでいても、判定の儀を受けない身分の者からの死者はほとんどなかった。

 魔力を扱うものにのみ発症する伝染病だという噂が蔓延し、結果、陛下をはじめとする若年王侯貴族がこぞって郊外へと疎開する事態となった。」


「伝染病……だったのですか?」


 ファナが聞くと、ミルドアは首を横に振る。


「……公式にはそうなっているが、実際は違うだろう。

 だが、それを裏づける証拠は何一つとしてない。

 おそらく、アナスタシアが女神に何かをしたのでは――とはにらんでいるが、彼女の口からは一切、それに触れる言葉は聞いていない。

 君たちは、彼女の手帳を見たのだろう?何か書いてなかったかね?」


「召喚と契約についての術式と、聖女召喚制度に対する考察は書いてありました。後は、彼女の個人的な内容が少々――具体的に女神にどうこうする、というような内容はありませんでした。」


「ふむ」とうなり、ミルドアはテーブルの手帳に手を伸ばす。

 静かにページを繰りながら、内容を確かめていった。


 手帳が最後の方に差し掛かり、ミルドアの手元を見ていたエリオットが、手帳の文字に違和感を感じる。


 ――あれ?あそこは……最後の方、彼女が自身の王子への気持ちをつづった部分……

 でも何か、別の構文が見えたような気がする。


「ちょっといいですか?別の角度から見たら、今、何か、別の構文が見えた気がして……」


「……角度……別の構文?」


 手を差し出したエリオットに手帳を渡しながら、ミルドアがいぶかし気に、呟く。

 手帳を受け取ったエリオットは、それを傾けたり、見る方向を変えたりして、色々な角度から文字を観察し始めた。


 それを見ていたミルドアはハッとして声を上げた。


「君はオルディウス・フィレウスの著書は読んだかね?」


「オルディウス・フィレウス?いいえ、古術式学にはあまり明るくないもので……名前は聞いたことありますが、実際に手に取ったことは……」


 エリオットが少し恥ずかしそうに言うと、ミルドアは立ち上がって書棚の方へ行きながら言う。


「……一層目を起点に三層目に引っ掛けながら五層目と読むんだ。

 これは、ヴァルトリア朝の起こる前、ガルナシオン朝の頃の術式士が好んで描いた、多層構造の筆記法でね、聖女召喚の魔法陣と同じ構造だ。」


 ミルドアは書棚から一冊の本を取り上げると、パラパラとめくってあるページを二人に見せた。


「ここだ。今とは違う偏光パターンの魔法陣に関する記述がある。特定の光の波長をカットする偏光板を通してのみ浮かび上がる術式が当時流行していたと……エリオット君は、上古神聖文字くらいは読めるね?」


「ええ、はい。」


 エリオットがうなづくと、ミルドアは微笑しながらその本を彼の手に押し付けた。


「これは君にやろう。君がアナスタシアの遺志を読むんだ。」


「先生は――」


 エリオットが言いかけるが、ミルドアはそれを遮った。


「もう、私は十分だ……。私は年を取りすぎたからね……」


「先生……」


 エリオットは、その本を握り締め、言葉に詰まる。


 そんな彼をしばらく見つめてから、ミルドアは今度は自身の作業机の引き出しを漁ると、何枚かの紙を取り出す。


「アナスタシア君の死後も、魔力異常を生き延びた若手研究者たちが、疎開がてらここに集まって、彼女も参加していた古文書修復と解読のプロジェクトを続けていた。

 そして――これが見つかったのだ。

 ガルナシオン朝時代の遺跡を示すもので、既知の遺跡だったが、ヴァルトリア朝成立期まで存続していた考えられる遺跡だ。

 この資料発見まで、私たちの知識では、この遺跡がどんな用途で使われていた場所なのか……わからなかった。」


 ミルドアは、持ってきた紙を、一枚づつテーブルへ広げて行く。

 それを目で追うエリオットの表情が驚愕へと変わってゆく。


「あの広い地下空間の壁一面には、模様とも、文字とも、魔法陣ともつかぬ文様が、隙間なく描かれている。

 その遺跡が、実は――古文書によれば、ガルナシオン朝に『知と歴史の殿堂』として建設されたというのだ。おそらく現在の研究所や図書館として機能していたのであろう。

 注目すべきは、この設計書の一節だ。

『壁面は、称えられし術式の知と、偉大なる歴史とを、年を増して、刻むるところなり。』と。

 つまり、あそこに書いてあるのは、ガルナシオン王朝末期からヴァルトリア朝成立期にかけての時期の重要な術式と、その年の出来事が記された、すなわち、あれは――歴史の第一級の一次資料だ。

 現存するなかでは、最も精度の高い、“知の記録”といえるだろう。」


 それから、ミルドアは最後に付け足した。


「惜しむらくは、あの壁面の模様を写し取ったところで、真意までは読み取れん。

 あの場に赴き、自らの魔力を流し込んでこそ――初めて、その“意味”が姿を現すというわけだ。

 どうやら、ガルナシオン王朝の末期には、魔石技術が現在より遥かに発達していたらしい。

 壁面全体が、魔力に反応して、文字や魔法陣、構文を常に揺らめかせていた……まさに、生きた書物だったのだろうな。」


「なぜ、このような重要な発見を……発表していないのですか?」


 エリオットが、少し責めるように言った。

 ミルドアは、少しおどけた仕草で両手をお手上げの恰好にする。


「――そうだね、君のことだから、もう調べていると思うが。

 アナスタシア君の専門は、術式学そのものではなく、王朝魔術史だった。しかも、彼女が最も関心を寄せていたのは、ヴァルトリア朝成立期……。

 皮肉なことに、彼女が渇望していた史料は、すぐ傍にありながら、彼女の死後に見つかった。まったく、学者としては――これほど無念なことはないだろうな」


「それでも……」


 エリオットがなおも言い募ると、今度はミルドアが真剣な眼差しで彼を見つめた。


「これは秘匿されていた歴史だ。そうやすやすと、白日の下に晒してよいものか……我々も頭を悩ませたのだよ。」


「……内容は、ご存じなんですね?」


 エリオットがじとりと視線を送ると、ミルドアはわざとらしく視線を逸らし、肩をすくめて笑った。


「もちろんだとも。構文も術式も、すでに一通りは読んでいる。

 だが――」


 そこで言葉を切り、今度はまっすぐエリオットを見つめる。


「その意味を“自分の目”で見て、“自分の手”で読み解いた者にしか、到達できない真理がある。

私はそう信じている。――君ならきっと、我々が見落としてきた何かを掴めるはずだ。

だから、励みたまえ。

苦労して得た知識は、決して手離れしない。君のような術式の寵児にこそ、ふさわしい課題だよ」


 エリオットは、しばらく紙と、オルディウスの著書とを見つめていた。

 やがてそっと顔を上げ、ミルドアに深く頭を下げる。


「先生、ありがとうございます。

 こちらの史料は、必ずお返しに伺います」


 そう言った彼に、ミルドアは優しげに微笑み、首を横に振った。


「いや……私もそろそろ、本当に研究人生に幕を引こうかと思っていてね。

 その史料は君に託すよ。必要なくなったら、王立図書館にでも寄贈するといい」





 エリオットたちの立ち去った後、ミルドアは、一冊本が無くなってしまった本棚の隙間を眺めながら、あの日の事を思い出していた。


 ――原初の森の奥、あの祭殿。


 年若い弟子が、何かを思い詰めて、まるで最後のようにあいさつに来た。

 胸騒ぎがして、彼らも予測していたあの場所へ――


 あのとき足元に広がっていたのは、乾いた血の湖だった。


 二人は、まるで最後の祈りを捧げるように重なり合い、

 ユリウス王子は、アナスタシア君を抱きしめたまま――冷たくなっていた。


 うつろな瞳は、もう、何も……アナスタシアすら、映していない。


 彼女の唇は、ほんのわずかに上がっていたようにも思えた。

 それが笑みだったのか、死の痙攣だったのかは、今でも分からない。


 王子の頬には、涙の跡が残っていた。


 ――それを見たとき、私はようやく……嗚咽を洩らしたのだった。


「あれが最後だった。あの時点で、彼らがどんな戦いをしたのか、何を見て、何を残したのか……

 私には、知る術もなかった」


「……今、私が触れてはいけない。

 この二人の死は、まだ“終わっていない”のだから。」


 そう思った。そうしか思えなかった。


「いずれ必ず、戻って弔おう。

 そのときは、せめて……穏やかな眠りを与えてやろう。」


 でも、その約束は、守られなかった。


 だからこそ、彼は今でも夢に見るのだ。

 あの白い石の上に眠る二人を。

 腐らず、朽ちず、抱き合ったままの、あの最期の姿を――

 誰の記録にも残らず、誰の語りにも乗らなかった、ただ一つの真実を。

 自分だけが見た、あの光景を。

 決して語ることのない、学者としての最後の記憶を……

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