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刺青の聖女と契約の王子  作者: じょーもん
第四章

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45 神が設計した恋

 手帳を囲んで、四人はしばらく黙っていた。

 最初に手を伸ばしたのは、エリオットだった。


「……ここで開くべきじゃないね。いったん、戻ろうか」


 彼の言葉にうなずき、ファナがめくれ上がった敷石を、丁寧に元の位置に戻していく。


 それが終わると、四人はそろってエリオットの執務室へと向かった。

 この手帳の内容は、守秘義務を負った使用人たちにさえ、聞かせるべきではないと判断されたのだ。


 部屋の扉には鍵をかけ、防音の結界を張り、互いの侍従すら外に出した。

 応接セットのテーブルに手帳を置いたエリオットは、対面に座るレオナルトとリリスをじっと見つめる。


「……まだ君たちに明かしていない情報も加味すると、この手帳には、知らない方がいい“不都合な真実”が記されている可能性が高い。

 先に僕とファナだけで目を通して、必要な部分だけ伝えることもできるけど――どうする?」


 レオナルトはまっすぐにエリオットを見つめて、つばを飲み込む。

 一拍、静寂が流れたのち、はっきりと告げる。


「かまわない。

 書かれていることを信じるか――それを真実とするかは、自分で判断する。」


 隣に座るリリスも、決意を宿した眼差しでうなずいた。

 二人の様子に、エリオットはほんの少しだけ安堵の息を吐く。


 そして、手帳にそっと手を伸ばしながら口を開いた。


「……僕も、鵜呑みにはしないつもりだよ。――じゃあ、見てみようか」


 エリオットは手帳を取り上げ、ゆっくりとページを開いた。


 そこには、ブルーグレーのインクで、几帳面な小さな文字がびっしりと綴られていた。

 横から覗き込んでいたファナは、はっと何かを思い出したように顔を上げる。


「……私は、文字が読めませんので」


 そう言って、そっとレオナルトに席を譲った。


「うーん……最初の数ページは、他愛のない日記かな。召喚直後のものみたいだ。王子への気持ちが綴られてる……ちょっと、読むの、気が引けるね……」


「とはいえ、重要な情報が混ざっていたら困るからな……」


 エリオットの独り言めいた言葉に、レオナルトが苦笑した。


 そして――


「あ、このページから、様子が変わってきた。……ん? ちょっと待って……これは――」


 エリオットの指先が、ある一枚のページで止まる。


「これ……聖女召喚の術式の、魔法陣じゃないか?

 僕たち召喚当事者にすら秘匿されていたはずのやつだ。……なんで、こんなものが――」


 横からレオナルトも覗き込むが、彼は術式にそれほど明るくないため、その魔法陣が何を意味するのかまでは読み取れなかった。


「……僕も、腰を据えてじっくり読まないと、完全には分からないんだけど――

 ああ、そうか。ここが、こうなって……だから……なるほど、ここで……」


 エリオットは次第に自分の世界へと没入していった。


 その様子を見かねたリリスが、そっと声をかける。


「……他のページには、どんなことが書いてあるのでしょうか?」


 その一言で、皆を置き去りにしていたことに気づいたエリオットは、軽く目を見開き、「ごめん」と小さく謝ってページをめくった。


「――ああ、ここには、彼女なりの解釈が記されてる。

 なるほど、ここをこう読むのか……いや、すごい。これは……アナスタシア聖女、ただものじゃないよ。

 僕も術式には自信があったけど……ちょっと、自信なくしたかもしれない。」


 エリオットは数ページをぱらぱらとめくりながら、解説を続けた。


「『聖女召喚』や『契約の儀』に使われる術式は、実のところ単一の構文じゃない。

 複数の術式を、順序通りに、正確に重ね合わせていくことで初めて成立する――そういう“積層型”の構造なんだ。

 で、彼女――アナスタシア聖女の解釈によれば、その重ね合わせの中に、特定の組み合わせでしか発動しない“隠された効果”がいくつも仕込まれている。

 ……つまり、表向きの術式の裏に、誰にも知られていない別の意味が潜んでいるってことを、彼女は見つけてしまったんだ。

 いや、僕も多少はそうじゃないかと予想してた。でも――特に聖女召喚の魔法陣には、王子側に対する視認阻害の術式が組み込まれてる。

 だから僕が思い出しても、あの層までは届かなかったんだよ……」


 エリオットはしばらく手帳を眺めていたが、ふと眉をひそめ、首をひねった。


「……ということは、この魔法陣……いったい、どうやって入手したんだ?」


 エリオットが首をひねりながらぶつぶつ言い、次のページをめくった瞬間――そこに、答えは記されていた。


「そうか!

 彼女は、召喚候補に名を連ねるような高位貴族の令嬢でありながら、召喚の儀には出席せず……

 “ガラトゥス・ミルドア”?!」


 エリオットは叫ぶように声を上げ、その手を止めた。

 隣のレオナルトが、眉をひそめて問いかける。


「誰だ、それは?」


「“ガラトゥス・ミルドア”だよ! 古術式学の世界的権威だ!

 僕、先日の学会で、精霊魔法についての見解を直接聞いたばかりなんだ!

 ……えっ? アナスタシア聖女は、召喚直前に、ガラトゥス・ミルドアとその弟子たちに会ってたのか?!

 だから――だからこそ、視認阻害の影響を受けていない“聖女側”の魔法陣を、術式学に明るい複数の観測者が記録できたってことか!?」


 エリオットは興奮気味にページを繰りながら、まくし立てるように読み続けた。


「すごい……! アナスタシアは、たぶん――

 弟子を取らないことで有名になる前の、ガラトゥス・ミルドアの“最後の弟子の一人”だったんじゃないかな。

 いや、正直……うらやましいよ。

 僕なんか、最初から無理だって思ってたから……」


 数ページをめくったところで、エリオットの手がぴたりと止まった。


「……え……そんな……」


 見る間に彼の顔から血の気が引いていく。

 その異変に、三人もただならぬ空気を察し、思わず身を乗り出した。


「……何が――書いてあったんだ?」


 レオナルトが問いかけると、エリオットはゆっくりと顔を上げ、口を開いた。


「このページには……召喚と契約、両方の術式を基に推測された、聖女召喚制度の“本質”について書かれている。

 アナスタシアとガラトゥス・ミルドア――あるいは彼女と、その王子との間で交わされた議論の要約みたいだ。

 ……たとえば、契約の術式には複数の構文を迂回させて、

 王子や聖女本人、あるいは術を行う神官にさえ気づかれないよう、聖女側の“体組織の再構成”が施されている。

 しかも……それは、単に“妊娠しやすくなる”というレベルじゃない。

 一度の出産で双子、三つ子、四つ子――といった多胎傾向を強制する術式まで、組み込まれているらしい。

 その証拠として、王朝初期には多胎出産が当たり前のように起きていて、

 その結果、聖女や胎児の死亡率が高かったという記録が、ここに――」


 身を乗り出していたリリスが、息を呑み、自分の下腹部を庇うように手を当てて、ソファに沈み込んだ。

 そんな彼女を、レオナルトはただ茫然と見つめるしかなかった。


 エリオットはページを見つめたまま、低く呟くように続ける。


「他にも……いろいろとショッキングなことが書かれている。

 たとえば、“召喚の儀”を経て“契約”に至らなかった王子が、魔力暴走を起こして死ぬというのが定説になっているけど……

 それも実は、召喚時に王子へ刻み込まれる“ある術式”の効果だ、とか……。

 でも……一番ひどいのは、これかもしれない。

 召喚の儀で、最も巧妙に隠された術――

 ……“恋の暗示”だ。」


「「「恋の暗示?」」」


 三人の声が重なった。


 エリオットは、ゆっくりと顔を上げた。


「ああ。もちろん、“王子の好みに応じた聖女が召喚される”ってのは、本当だと思う。

 でも……召喚の瞬間に、王子にも聖女にも、相手を強制的に好きになるような――精神操作の暗示が施されている。

 伝承では、“王子と聖女は必ず恋に落ちる”なんて、ロマンチックに語られてきたけど……

 実際には、魔術による完全な操作なんだ。

 さらに“契約の儀”では、ホルモンバランスをいじられて、発情させられ――

 妊娠しやすく、多胎傾向の身体に変えられる。


 そしてすぐに、跡継ぎを孕むように……。


 ――これじゃあ、僕たち王子と聖女は、“繁殖用の家畜”じゃないか……」


「誰が―――そんなことを……なぜ?」


 リリスが絞り出すように言った。彼女の頬には、一筋の涙が流れていた。


「アナスタシア聖女は、それも予測している……彼女は、王朝成立期の歴史に興味があったらしい。

 おそらく、我々王族と、女神が本当に取引をしたのだろうと。王族は、魔力の増強と確実な子孫繁栄を、女神は、余剰分の聖女の還元を――」


「『贄』も込みで考えられていた制度、ということか?」


 レオナルトがうなるように言うと、エリオットは視線を落としたまま言った。


「いや、もしかしたら、女神側からしてみれば、『贄』こそが本命かもしれない……

 ヴァルトリア家は、実は異様に男子の出生率が高いんだ。聖女を召喚できるのは男子のみだから、それすらも操って、次なる『贄』を確実に手に入れる、王家はそれに利用されているのかも――」


「ますます、“家畜”だな……」


 レオナルトは、そっと目を覆った。

 ……それは、王家の矜持を一身に背負ってきた彼にとって――地獄の宣告だった。


「アナスタシア様たちは……これを知ったから、女神に抵抗し、歯向かったのでしょうか……」


 ファナが少しぼんやりと言った。彼女もまた、開示された情報を吞み込もうと、考えながら言葉を選んでいた。


「そうなんだろうな……そして、彼女たちは敗北した。

 彼女たちの死と、陛下の聖女が『封印の贄』にされたこと、僕たちが生まれ、聖女を召喚し、ファナが狙われたこと……、全てが、アナスタシアの目論見が失敗に終わったことを物語っている。」


「……憤って……彼らと同じことをしても、俺たちも同じ轍を踏む……それだけという事か……」


 レオナルトが目を覆っていた手を外し、天井を見上げながら言った。


「そうだね。幸いなことに、僕らは女神への行動を起こす前に、アナスタシアの情報を得ることができた。これからは、この情報の真偽を確かめ、今後どうするか、考えていかなければならない。」


 エリオットが強い口調で続ける。


「僕は、“ガラトゥス・ミルドア”に会って話を聞こうと思う。もしかしたら、王侯貴族でも、城の使用人でも、神殿関係者でもない彼は、口封じの魔法をかけられていないかもしれない。」


 言いながら、エリオットは、手帳の残りのページをめくった。


 最後の方には、アナスタシアのユリウス王子に対しての愛の言葉がつづってあった。

 その文字列を読まないように、エリオットは手を進める。


 そして最後のページ。

 裏表紙の見返しの部分に、走り書きがあった。


「――恋の暗示を解く術式……詠唱は……」


「必要ない。」


 エリオットが読み上げようとしたのを、レオナルトが静かに遮った。


 リリスがハッと顔を上げて、レオナルトを見ている。

 ファナも静かにエリオットとレオナルトを見ていた。


「必要ない。俺はリリスを愛している。きっかけはあったかもしれない。だが、俺は……俺たちは、出会ってから、日々を積み重ねてきて、今がある。エリオット、お前もそうだろ?」


 エリオットはしばらく術式を見ていたが、やがてパタンと音を立てて、手帳を閉じて顔を上げる。


「そうだな……僕も、今日まで、たくさんの時間をファナと重ねて、たくさんの出来事を潜り抜けてきた……今更、この気持ちが、暗示だとか――関係ないね。」


 エリオットはやっと微笑んだ。


 リリスが顔を覆って、わっと泣き出す。

 ファナも少し涙ぐんで、エリオットを見つめていた。

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