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刺青の聖女と契約の王子  作者: じょーもん
第四章

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43 過去からの手紙

 エリオットとファナは、しばらくその手紙をはさんで沈黙した。

 ファナには宛名が読めなかったが、それが特異なものであることは分った。


 やがてエリオットが手を伸ばし、そっとその手紙を拾い上げ、差出人を確かめる。


「“アナスタシア・ヴァルトリア”」


 ヴァルトリア姓を名乗る女性の名前だった。

 薄い紫色の封蝋は、見覚えのないものだったが、王国の南部に領地を持つ伯爵家の物に酷似している。


 “アナスタシア”――その名前は、午前中にレオナルトが持ってきた、王家の夭逝者のリストにあった。

 たしか、第三十代国王第三王子の聖女で、南部に領地を持つノルヴェール家の令嬢だった。リストでは婚姻までには至らなかったのか、ノルヴェール姓で記載されていた。


 ネリファス……いや、女神に抵抗した世代の聖女だ。


「ファナ、これは手紙と言って、中に文字が書いてあって、場所や時間が離れた相手に自分の意思を伝える方法なんだ。それで――たぶん、この手紙の送り主は……だいぶ前に亡くなっている。」


「死者からの……言葉、ですか?」


「ああ、彼女が亡くなる前に差し出して、何らかの条件が整ったから今、こうして届いたんだ。」


 エリオットは注意深く封蝋をはがし、中から便箋を取り出した。

 封蝋も、封筒や便箋も、まるで昨日差し出したかのように新しかった。


「じゃあ、僕が読むね。」


 エリオットはファナの隣に移動すると、その手紙を声に出して読み始めた。


「『――拝啓 女神に染まらなかったあなたたちへ

 こんにちは、はじめまして。この手紙が誰かの手に届いたことを本当にうれしく思います。

 正直なところ、そんな奇跡が起こることを、私は信じ切れていません。なぜなら、この手紙は聖女を得た王子が、この場所で、女神の魔力を含まない魔法を発動した時のみ届くように仕掛けておいたからです。この国に生まれた王子が、女神の恩寵を得なかった……そんなことは本当に起こるのでしょうか。

 でもあなたたちは、それを成し遂げた。

 女神の恩寵を得られないあなた方は、もしかしたらつらい立場にあるのかもしれません。

 でも、私の話を聞いてほしい。あなた方のその状況は、奇跡とも思えるような、未来に手がかかっているかもしれないのです。

 私は今、大きな力と戦っています。この国の制度、王子と聖女、召喚、契約、その秘密に触れてしまいました。私は、このままではいけないと思い行動しましたが、時間も、力も、状況も、何もかも足りず、手遅れでした。明日、それでも、全てをかけて戦います。

 これを読んでいるあなた方は、私の運命を知っているのかしら?

 それとも、もう、女神のいない世界に生きているのかしら?

 私は、私が生涯で調べたり集めた情報を、このセレノア宮に隠しておきました。もし、あなた方が、まだ女神と……聖女という制度と、戦っているのなら、手に取っていただけると嬉しいです。

 女神の腕を逃れたあなた方と会ってみたかった。話をしてみたかった。

 あなた方の行く先に、幸多からんことを。蝶が、あなたがたを導きます。

 敬具  王国暦751年 アナスタシア・ヴァルトリア』」


 読み終わり、しばらく二人を沈黙が包んだ。


「751年は――今から37年前だ。おそらく、このアナスタシアは、第三十代国王第三王子の聖女。ネリファスに“反乱分子”と呼ばれた人物に違いない。」


 エリオットは手紙を持つ手が震えるのを感じていた。

 狙いすましたように、手紙が過去から届いた。その奇跡に戦慄が走る。


「でも、『蝶が導く』ってどういう事なんでしょうか……」


「うーん、わからないけれど……とりあえず、レオナルトに連絡して、このアナスタシアと王子について、王宮の記録から詳しく調べてもらおうか。」


 もうすっかり陽は建物の陰に沈んで、夕闇が迫っていた。

 エリオットは手紙を大切に封筒にしまうと、ファナの手を取り、中庭を後にした。





「ファナ……何考えてるの?」


 夜の(とばり)が下りた寝室のベッドの中、エリオットが囁く。


「起こしてしまいましたか?」


「ううん、起きてた。」


 彼女の腰を抱き寄せ、髪を撫でながらエリオットは笑う。

 先ほどまで二人を包んでいた熱は程よく引いて、気だるい温かな熾火(おきび)となっている。

 ファナはくすぐったそうに笑ってから、エリオットの胸に頬を寄せる。

 彼の肌は、しっとりと汗ばんでいた。

 彼の手の感触は、既になじんでいて、ファナにとっては情熱の炎を灯すものでもありながら、世界で唯一与えられる特別な安らぎの感触でもある。


「贄の事、消された王子や聖女たちの事、エルの術環のこと、そして、あの手紙の事―――今日の事、色々思い出していました……」


 ファナがつぶやくように言う。エリオットは彼女の髪を撫で続ける。


「手紙って、すごいですね。とうの昔に過ぎ去った人の声を、こんなに生々しく、正確に届けるんですから……アナスタシアさんの、無念、諦め――そして、未来への希望……全部、心が締め付けられるほど、伝わってきました……」


 ファナは身じろぎして、髪を撫でるエリオットの手を摑まえると、その手のひらに唇を寄せた。


「あの人は、たぶん最後の夜に、あの手紙を書いたんでしょう……、自分がいない明日のために――」


「そうだね。

 ――あの手紙を受け取れたのは、ファナが僕を書き替えてくれたからだ……あの手紙には、“女神に染まらなかった”って書いてあった。きっと彼女の目的を達成するためには、女神の魔力に依存していちゃダメなんだろうな。」


「ええ……まだ私たちは全ては分らないけれど……きっと、女神とか、聖女とか、召喚とか、契約とか……そんなものの裏側に、アナスタシアさんが命をかけて立ち向かわなければならなかったものが、あるんでしょうね……」


 エリオットは親指でファナの唇をなぞると、そっと口づける。


「本当に……僕たちが無邪気に聖女を迎えられると喜んでいた裏側に、こんな現実があるなんてね……

 絶対に見つけよう。アナスタシアの残したものを……僕は、術式にはちょっと覚えがあってね……きっと彼女の残した情報だって、有効に使える自信があるよ」


「ふふ、エルはかっこいいですね。そんな自信たっぷりなセリフ、普通ならただの自惚れに聞こえますが――あなたなら、絶対にできるって、信じられます。」


 今度は、ファナから、彼の唇を求めた。

 エリオットもそれに応えてから、彼女の瞳をのぞき込む。


「ファナ……そんな風に言われたら、僕、本当にどうしようもない自惚れ屋になっちゃうかもしれないよ?」


 彼の瞳に、怪しい炎の揺らめきが燈る。


「良いですよ。私の前では、どこまでも自惚れてください。そんなあなたも、私は、どうしようもなく――」


 また、彼は彼女の口をふさいだ。


「ねぇ……眠い?まだ眠くないなら――」


 エリオットの手が、下へと降りて行く。


「――まだ、眠くないです……」


 熾火だったほの温かい熱が、再び燃え上がる予感がした。

 ファナは彼の背中に手を回すと、彼を手繰り寄せ、情熱に身を任せた。



 二人が本当に眠りに落ちたその後――


 空が白み始め、まだ薄明るい中庭の、冷たい空気の中をひらひらと舞うものがあった。

 薄紫の蝶……


 それは静かに、日の出を待っていた。

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