03 最初の魔法
次の朝、朝食の後にエリオットがファナの部屋を訪れると、ファナはもう身支度して待っていた。服は王族との契約前の聖女がよく身に着けている法衣のような、ドレスよりは動きやすい物だったが、髪は召喚された時のように頭の上に結い上げて、やっぱり赤い櫛で止めてあった。
「髪を下すのが聖女様の伝統的なスタイルだと申し上げたのですが、こちらは譲れないということでして……」
身支度を手伝った侍女が、困ったように言い訳をする。
「この髪型はカムナギィである私の誇り。髷を結わないのは、全裸で歩くより恥かしいのです!」
ファナが胸を張って言うと、エリオットはクスっと笑って、手で侍女を制した。
「いいよ。彼女の矜持も尊重しようじゃないか。ファナ、魔法を教えるという約束だったね。中庭に行こう、そこの方がいろいろできるだろう。」
エリオットは彼女の傍に立って、エスコートしようと肘を軽く上げる。
「ここに手を、男性はこうやってパートナーの女性と歩くんだよ」
ファナは戸惑いつつ腕を伸ばすと、その手をエリオットは引いて所定の位置につけ、歩き出す。
「こんなにくっついてちゃ、歩きづらくないですか?」
ファナは頬を染めながら、エリオットを上目遣いに見上げた。
「そうかな?でも慣れてもらわなきゃ。王子として軽くみられるのはいいとして、聖女をないがしろにしているとは思われたくはないからね。」
「一緒に歩かないとそんな風に思われるんですか?」
「ああ、僕は君を大切にしていると思われたいんだ。」
「思われたい……んですか?」
「うん。さあ、ここが中庭だ。ここは僕の練習場でもあるから、魔法を通さない障壁が張られている。思う存分魔法を使えるよ。今後、練習にはここを使えばいい。」
中庭は、四方を館に取り囲まれた、芝が張られた何もない空間だった。試しにエリオットが氷の刃を何本か出して放つと、建物の手前で弾かれたように砕け散った。
「とりあえず、この後属性判定と強度測定を受けることになったから、本格的に魔法を使うのはその後だけど、判定には魔力の放出が出来なきゃいけないから、それをやってみようか。手を出してみて。」
エリオットが両手を出すと、ファナも恐る恐る両手を差し出す。彼はその手を取って、自らの魔力を流して見せた。彼女もその魔力を感じ取れたらしく、はっとエリオットの顔を見やる。
「感じられた?これが僕の魔力だ。痛みとか不快感を感じないなら、僕たち相性がいいのかもね?じゃあ、今度は目をつぶって。もう一度魔力を流すから、今度はどう流れるか、よく感じてみて。」
ファナが素直に目をつぶると、エリオットも目を閉じて、今度はお互いの指を絡ませるように手をつなぎ直し、慎重にゆっくりと魔力を流す。
「わかる?君の中を僕の魔力が流れるの。」
「ええ、少し冷たい……ような、さわやかな……感じがします。」
「そうだね。僕の魔力は水と風の属性を帯びているから、そう感じられると思うよ。じゃあ、魔力が流れる感覚は分ったね。今度は、君の魔力を僕に流してみよう。おなかのあたりに集中してみて。今、君の魔力の源に働きかけてるから、そう、それを押し返すイメージで……」
「こ……こう……かな?」
ファナが不安げに眉根を寄せて、指に力を入れた。
「そう、その調子。上手だよ。そのまま手から僕の方に魔力を送ってみて」
「は、はいっ!」
ファナが言われたとおりにすると、今度はエリオットの方へ魔力が流れ始めた。
「えっ……なにこれ……君の魔力、暖かくて……すごく、気持ちがいい……」
思わずエリオットが目を開けると、飛び込んできた光景に彼は言葉を失った。
ファナの刺青の中を、魔力が青白い光を放ちながら走りまわっている。
エリオットの気配に彼女も気が付いたのか、そっと目を開けた。漆黒の瞳は怪しい青い光をたたえ、かすかに開いた唇からは、ほのかな燐光と共に、聞き取れないため息のような言語が発されている。
「ファナ……君は…………」
思わずエリオットがつぶやくと、ファナは瞬きをして身震いした。するとたちまち怪しい光は消えていつものファナに戻っている。
「エル様!できました。私にも魔力が分かりました!」
彼女はエリオットの目をのぞき込んで、表情を輝かせている。
「ファ……ファナ?何ともない?大丈夫?」
「へ?魔力ってこんな感じで流せばいいんですよね?」
「ああ。判定では判定用の魔具が渡されるから、それにさっきやったように魔力を流すんだ。」
ファナは嬉しそうに手を見つめ、自信をみなぎらせて何度もうなづいた。
「じゃあ、神殿に行く前に、少しだけ魔法を使ってみようか。魔力を有する者が、一番最初に使う、一番簡単な魔法だ。こうやって、両掌を向かい合わせて、球体をイメージする感じで……」
エリオットは自分の胸のあたりで、手のひらを向かい合わせた。ファナもそれに倣って手を構える。
「一番簡単な呪文は、自分の名前だ。さあ、まず僕が唱えてみるよ。こうやって、手の間に魔力を流して……『エル!!』」
彼の掛け声とともに、エリオットの手のひらの間に水色と明るい緑の光が集まり、はじけてあたりにキラキラと水の粒が舞い散った。
「自分の名を柱にした呪文は、特に効果はないけれど、その人の本質を表すんだ。でも、名前のすべてを唱えてしまうと、全てがさらけ出されてしまう。だから略称や愛称で、最初の魔法を練習するんだよ。ファナは、ときどき口走っている長い名前が本当の名なんだろ?だから、『ファナ』で大丈夫だと思う。」
ファナはうなづくと、手を構えて、魔力を流す。
今度は先ほどのように刺青や瞳が怪しく光ることはなかった。
「『ファナ!!』」
唱えると、柔らかい白い光があたりを包み、ふわっとはじけると、はらはらとピンクの花びらが舞った。
「できた……」
「うん、綺麗だね。花が出るってことは……土属性が強いのかな……?」
エリオットが手のひらで花びらを受け止めながらつぶやく。
「『ファナ』は『花』ですからね。そのまんまの魔法ですね。」
ファナがおかしそうに笑った。
「殿下、聖女様、そろそろ時間です。」
やがて侍従が声をかけにきて、二人は神殿へと向かうのであった。