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刺青の聖女と契約の王子  作者: じょーもん
第四章

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38 土の器と焚火と肉!

 レオナルトとリリスの契約の儀が終わった次の日、まだファナの誘拐に端を発した一連の調査は進んでいたが、セレノア宮は徐々に日常を取り戻していた。


  エリオットはレオナルトと第三騎士団から、ネリファスの地下研究所から押収した資料を譲り受け、セレノア宮で精査している。一部しか持ち出せなかったとはいえ、その情報は多岐にわたり、やはりエリオットの持っている術式理論学の知識を駆使しなければ、いったい何を示しているものかもわからなかった。

 彼は自らの執務室でそれらの書類と向き合っていた。


 ファナといえば、最初のうちは、エリオットの執務室のソファで、彼が書類と取り組んでいるのを見ていた。

 ファナは、エリオットが真剣に何かに取り組んでいる姿を見るのが、とても好きだった。


 彼がこちらに視線を向ける時、いつも幸せそうで、とろけそうな顔をする。

 その顔は――たぶん、自分にだけ見せるものだ。

 そう思うと、ファナの自尊心が少しくすぐられる。

 ――この男は、私のものだ。

 そう言い切れる瞬間があるのなら、それは、ああいう顔を向けられた時だと思う。


 けれど、術式と向き合っている時の彼は、また違った。

 眉間に皺を寄せ、口元を引き締め、まるで何かと戦っているような顔をしていた。

 その姿は、お世辞抜きに、かっこいい。


 自分のいた村――いや、周囲の九部族を見渡しても、あれほど美しく、あれほど勇ましい若衆はいなかった。


 ファナは、そんな彼が自分の夫であるということに、まだまだくすぐったさを感じながら、彼を見ていた。


 ファナは、書類に取り組むエリオットを眺めながら、『文字』というものについて考えてみる。

『文字』については、エリオットと何回か意見を交換したことがあった。

 彼に言わせると、ファナの身体に彫られた刺青の模様も、九部族の神話を現しているならば、文字の一種ではないのか、と言われた。でも、あれは、言葉の魂を縛るような類のものではない。文様に意味はある。自然との絆を表したり、実りの豊穣や狩りの成功を祈ったり、そう言ったものを生活の中の様々な品々に刻んでいた。

 でも、それと、エリオットの使っている『文字』とは、根本的に何かが違った。

 それを証明するように、女神の恩寵は、ファナに“この世界の文字”を読む力を与えなかった。

 きっとそれは、ファナの世界の文様が、読み取るものではなく、感じ取るものだからだ。


 ――たとえば木々の芽吹きに、何の言葉が刻まれているというのだろう。

 あれは、読むものではない。ただ、見て、知るものだ。

 だからきっと、それは、文字ではない。


 エリオットの文字は、言葉を封じ込め、誰が読んでも同じように意味を取り出せる。

 そして、その文字に対して、彼は今――いや、ずっと、全力で向き合ってきた。

 自分とは違う生き方。けれども、ファナは、そんな彼を尊敬できた。


 文字に、真剣に取り組む彼の横顔を見ながら、ファナは自分の“渇き”に気が付いた。

 この世界に来てから、目まぐるしくいろいろなことが起こり、じっくり立ち止まる暇がなかった。

 でも、今、こうして静かな時間を持つと、自分が前の世界の村で、日々繋がっていた、大地や炎、木々や自然の全てから、今切り離されているとに気が付いてしまう。


 確かにこの世界は、便利で、清潔で、食事もおいしく、布団は柔らかい。


 ――でも……村の女の――魂が飢えている。


 ファナは静かにソファーから立つと、

「外へ行ってきます」

 とエリオットに告げて、執務室を出た。


 ファナは使えそうな道具を集めて宮の裏手に来ると、地面に手のひらをつけて、おもむろに唱える。


「“土の子よ、やわらかく、ぬくもりあるところへ、わたしの足を導いて”」


 土の器を作る時、粘土を取りに行く時のおまじない。

 ファナの村では、気休め程度のおまじないも、この世界では魔法になる。


 土の属性を表す茶色がかった光の粒が、ファナが手で触れた地面から立ちのぼり、ふわふわと彼女をいざなってゆく。

 ファナがそれについてゆくと、ほどなくして宮の敷地のはずれ、原初の森との境目に流れている用水に出た。その川岸の、崖になっているところが粘土の露頭だった。

 ファナは、木の棒でそれを掘り出すと、持ってきたザルに粘土を入れて行く。一抱えほど採集すると、また宮の裏手へと戻った。


 捨てられていたテーブルだった板の上で粘土をこねる。

 ファナは村を代表するカムナギィになってから、ここ一、二年、土の器づくりには参加していなかったが、こういった動作は身体が覚えている。

 水を加え、手のひらから体重をかけ、細かい砂を加え、粘土を整える。

 やがて粘土は一つにまとまり、しっとりとファナの手になじんだ。


「本当は、二、三日寝かさなきゃいけないんだけど――待ちきれないな……」


 ファナは誰に言うでもなく、ひとり呟く。


 ――ちょっとズルかもしれないけど、使えるものは使えばいいわ……


 ファナは粘土を手のひらで包み込むと、魔力を流して土の精霊に働きかけてみる。

 すると、粘土の粒子は均一になり、すぐにでも形を作れる良い粘土となった。


 ファナは今度は持ってきた道具の中から、彼女の部屋の花瓶の下に敷かれていた木の皮を編んだコースターを取り出すと、その上で器を作り始める。

 最初に丸く底を作り、粘土の紐を巻き上げ、積み上げて行く。

 底から徐々に開いてまっすぐ立ち上がる形を作り、内面をつるつるした小石で磨き上げ粘土の目を詰める。道具袋に持っていた鹿革を濡らして、表面も美しく整えた。胴部の上の方に、あらかじめ()っておいた縄を転がして、縄目を付けて、その上から模様を描いて、必要な部分は石で磨いて磨り消してゆく。


「おばあさまの頃は、この交互の三角模様を何重にも重ねるのが流行っていたのよね……」


 ファナは誰に聞かせるでもなく、呟きながら作っていた。村では、女たちが集まって、世間話をしながら作るのが常だったから……


 ファナは、自分の記憶を頼りに、ファナの世代で流行っていた文様を付ける。

 縁の下に二条、細い粘土を貼り付けて、細かく刻み目を入れ、「8」の字に似た模様でつないだ。

 縁には三つ、控えめに飾りをつける。


「なかなかの仕上がりだわね。」


 ファナは一歩引いて、完成した土の器を眺めた。

 静かにたたずむ逆三角形のシルエットは、かつてのファナの生活の中に当たり前にあったものだった。

 本当なら、一カ月は日陰でゆっくりと乾かさなければならない。

 でも、今のファナはそれも待てなかった。


 ――使えるものは使えばいい。


「“風の子よ、この器を守り、やさしく乾かして”」


 そんなまじないはなかったが、ファナは精霊魔法に願望を乗せた。

 風を表す黄緑の光が風に乗ってやってきて、土の器を中心に、ゆっくりと渦を巻いた。

 ファナはそれを満足そうに見ると、その場を離れた。


 ファナが今度やって来たのは、調理場の裏手にある薪置き場だった。

 そこからせっせと薪をいつもの中庭へと運ぶ。

 魔法の練習ができるくらいなのだから、火気を使っても安全だろうと考えた結果だった。


 何回目かの往復の時、薪置き場のわきを横切るものがあった。

 茶色の毛並み……野ウサギだ。


 ファナはとっさに水魔法で氷の刃を作り出すと、ウサギを仕留める。


 彼女はにんまりと笑った。

 ミトノカビメに決まって、厳しい潔斎が始まって以来口にすることはなかったが……


 ウサギは彼女の大好物だった。


 息絶えたウサギを回収し、血抜きをしてから、粘土を取って来た時のザルに入れて、宮の裏手まで戻ってくる。

 彼女は終始上機嫌で、いつかの黒曜石の残りを使ってナイフを作ると、ウサギの皮をはぎ、さばいていった。


「皮はなめして、エルにあげようかな?袋にしてもいいし、何にしたらいつも使ってくれるかな……」


 剥いだ皮は、一旦水を入れた桶に漬けて、その間に肉をさばいてゆく。


「煮てもおいしいけれど――」


 ファナはまだ乾ききらない土の器を見た。


「鍋はまだね……焼くに限るわ。」


 彼女は肉を程よく切ると、次々に木の枝で作った串に刺して、ザルへと入れていった。




「……殿下……お耳に入れたいことが――」


 昼下がり、セルジュは執務室で術式にかぶりついているエリオットにおずおずと話しかけた。


「――あー……何?」


 集中を途切れさせられたエリオットは不機嫌そうに顔を上げる。


「その……ファナ様が……中庭で焚火を始めました……」


「は?」


「ご自身でウサギを仕留めてさばき、焼いております。」


「え?」


「ファナ様が、そろそろ焼けるので殿下に来ていただきたいと申しており……」


 エリオットは一瞬、侍従の言っている意味を理解しかねたが、とりあえず勢いよく立ち上がると、そのまま執務室を出て中庭に向かった。



 中庭では、ファナが普段着にしている聖女の法衣をところどころ、泥や血で汚して、焚火の前に座っていた。

 焚火の周りには、肉が刺さった串が並べられ、肉の焼けるいい匂いが漂っている。

 何やら粘土で作った器も焚火の近くであぶられていた。


 ファナがエリオットがやって来たことに気が付いて振り向く。


「エル!肉焼けましたよ」


 彼女は満面の笑みで、ウサギの足とわかる肉の刺さった串をエリオットに差し出した。


 エリオットは、ファナを見て、肉を見て、それからまたファナを見た。

 ファナはニコニコと串を差し出して、食べろと突き出していた。


 彼は唾をごくりと飲み込むと、ゆっくりと手を伸ばして、ファナから串を受け取った。

 串をエリオットに渡してしまったファナは、火からもう一本おろして、豪快にかぶりついている。


 エリオットは恐る恐る、一口小さくかじり取る。


 ファナは香辛料も塩も使わなかったらしい。口の中に、かすかな野性味を含んだ淡白な肉本来の味が広がった。肉はやや焼きすぎで、少し固かった。ゆっくりと咀嚼して飲み込む。

 正直なところ、味付けのしていない肉など、エリオットは食べたことがなく、物足りなさを感じていた。


 なんと感想を述べようか考えていると、ファナが手に串を持ったまま言った。


「私、ウサギ、大好きなんですよ。こうやってよくあぶって、ちょっと固いくらいのを、よく噛んで食べるのが好きです。」


 彼女はもう一口かじり取り、咀嚼し始める。

 それを飲み込んでから、また彼女は口を開いた。


「もう、食べられないかなって、思っていたんです。また食べられて、うれしいです。」


 ファナはまた一口かじり取った。


 エリオットは、しばらく彼女を見ていたが、ふと気が付いた。

 彼女の好物を聞くのは、これが初めてだった。


 エリオットを知る前の彼女が好きだったもの。

 彼女が食べてきた味を、共有してもらえている。


 それに気が付いたら、味のついていない肉もずいぶん尊いものに感じられた。


 エリオットはまた一口かじり、その味をかみしめた。

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