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刺青の聖女と契約の王子  作者: じょーもん
第三章

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36 白妙の女神

 セラフィオスと別れて城を出た後、エリオットは馬車の揺れの中で、先ほどの報告を静かに反芻していた。


 ――術式研究室には、何の問題もなかった。

 記録も、資料も、神官たちの証言も――すべて整っていた。

 おそらくネリファスは、神殿内部には一切の核心情報を残さず、ファナが囚われていたあの地下研究所において、女神の供物に関する研究と儀式のすべてを完結させていたのだろう。


 レオナルトが持ち帰った資料によれば、記録は少なくとも七百年前から存在し、しかもその筆跡は一貫して変わっていなかった。


 ……まさか、単独犯だというのか?


 聖女の誘拐と“処置”と称される改造行為、

 七百年分の連続した記録、

 術式による転移、召喚に酷似した術構造、

 妃でさえ“計画の障害”とみなせば排除できる冷酷さ。

 そして――いつ消えても構わぬような、薄っぺらく作られた経歴と地位。


 エリオットは、ふとつぶやいた。


「……あいつ、人間じゃないのかもしれないな」


 ぼそりとこぼれた声に、隣に座っていたファナが「え?」と顔を上げる。


「いや、ネリファスって神官……人間離れしすぎてるなって」


「人間じゃないとなると……精霊とか……神様とか?」


 ファナは自分で言ってから、地下研究室でのネリファスを思い出し、少し身震いする。

 あの邪悪さや雰囲気は、どう考えても精霊や神ではないような気がした。


「いや、たぶんそういうものじゃない。七百年以上の寿命を持つ者と言ったら、他にエルフがいるな。でも、あいつの耳は普通の人間だった。エルフが耳を隠すなんてありえないからなぁ……」


 エリオットが言うと、ファナは不思議そうに言う。


「えるふ は、耳を隠さないんですか?」


 ファナの発音に、違和感を持ったエリオットは、彼女がエルフを知らないのにすぐに気が付いた。


「ああ、エルフっていうのはね、この大陸に――そう、だいたい八百年くらい前まで、森に住んでいた種族なんだ。

 精霊の声を聴くために、耳がとても長くてね。それが彼らの誇りでもあった。

 精霊魔法を操る、誇り高い一族だったって言われてるよ。

 だから、あの耳を隠したり、まして切り落としたりなんて、絶対にしなかったっていうのが通説なんだ。

 それに、あまり人間と仲が良くなかったからね。

 もし“人間に化ける”ようなことをしたとしたら……それは、エルフにとって相当な屈辱だったはずだよ。」


 言いながら、エリオットはふと思いつく。


「そもそも、彼らがこの大陸を去ったのは、人間が術式魔法を確立したからだって言われてる。精霊魔法に誇りを持つエルフにとって、術式で魔力を操作するのは耐え難いことみたいでね……

 ネリファスがもしエルフだとしたら、術式魔法の中心みたいな神殿に長期間籍を置くのなんて、拷問に近いと思うんだけど……」


 馬車の中に沈黙が落ちる。


「……耳を、隠してでも?」


 しばらくして、ファナがぽつりとつぶやいた。


「誇りをすべて捨てた……そんなエルフが、いたんでしょうか……」


 エリオットはしばらく考えて、


「わからない。何しろ、彼らがこの大陸を去って八百年も経っているから。」


 とつぶやいた。



 ++++++++++++++++++



「う……」


 エリザベータは、暗がりの中目覚めた。

 窓のない、広い空間。冷たい床の上に彼女は倒れていた。

 上体を起こして、周りを見る。


 高く遠い天井や、寂しい石の壁には、薄明るい青色の灯りがともっていたが、空間全体がどうなっているかはよくわからなかった。


 気を失う前の事を思い出してみる。


 第二王子と聖女の契約の儀に出席するために訪れた神殿で、聖女に危害を加えたとして拘束された。

 それから、王子から尋問という言葉の辱めを受け、屈した。

 毒杯を賜り、それから――それから―――


「お目覚めですかな?お嬢様」


 不意に後ろから声をかけられた。


「お前は……ネリファス?」


 振り向くと、ネリファスが内面を読ませない、聖職者らしい微笑を湛えてそこに立っていた。


「お前が、私を地下牢から連れ出してくれたの?お父様の命令かしら?やはり私を見捨ててはいなかったのね」


 エリザベータは嬉し気に立ち上がった。


「お前は転移が使えるもの……あら、でも、王城は転移が使えないってレオナルト殿下が――」


 そこで彼女は、自分が見慣れない白い服を着ていることに気が付く。

 それはまるで、聖女の法衣のようだった。


「聖女の法衣を選ぶなんて……あなた性格が悪すぎでなくて?」


 スカートをつまみながらエリザベータはネリファスを睨む。


「いいや、貴女は“聖女になった”のですよ。エリザベータ・アルセノール……」


「え?」


 エリザベータは目を見開いた。

 ネリファスの顔に暗い影が落ち、先ほどまでの聖職者らしい雰囲気は霧散していた。


「王城は転移が使えない。それは正しい情報です。」


「で……では、どうやってわたくしを地下牢から……」


 エリザベータの表情が、だんだんと恐怖に染まってゆく。


「『聖女の召還』の術式を使ったのですよ。貴女は確かに世界を渡り、女神の恩寵をその身に受けている……」


「聖女……召喚?!でもそれは、王子のみが―――」


「いいえ、私があなたを召喚しました。召喚の術式をちょこっと変えて、貴女をピンポイントで、ね。」


 ネリファスが面白そうに笑いながら、右手の人差し指でエリザベータの眉間を指した。


「ああ……貴女の“王子様”の名前を、教えてあげましょう」


 ネリファスが小さく笑う。


「……私の、本当の名は――」


 一拍の間を置いて、


「“オルディウス”」


 その瞬間だった。

 エリザベータは、オルディウスがふれている額から、身体の中を衝撃波のようなものが走り抜けるのを感じた。

 彼女は目を見開いて、オルディウスを呆然と見つめていた。


 やがて、熱のこもった、ため息のような声で、


「オル……ディウス……」


 と口の中で甘く転がす。


 その反応を見たオルディウスは、少し嫌そうに眉をしかめたが、満足げに頷いた。


「そうです。さあ、判定の魔具です。持ってみてください。」


 いつか、ファナが破壊した物と同じ形の判定の魔具を、オルディウスが差し出すと、エリザベータはうっとりとした目でそれを受け取る。

 それは、エリザベータの手に触れるや否や、真っ白に輝きだした。


「ふむ、術環からの魔力の強制放出機構も正常に作動している。魔力量も『金剛の座』。申し分ないな。」


 判定の魔具を彼女から取り上げると、オルディウスはエリザベータの手を引いて、広間の奥の方へと進み出る。


 エリザベータは終始うっとりと彼を見上げ、なすがままに導かれた。


 やがて辿り着いたのは、大理石でできた人が寝られるほどの台だった。

 オルディウスは、エリザベータを横抱きに持ち上げると、その台の上へと横たえる。


「まあ、オルディウス様……わたくしにお情けをいただけますの?嬉しい……」


 上気した頬で、色めくエリザベータにあいまいに微笑んで、彼は一歩引く。

 それから、汚いものを見るような表情をして、


「……恋の暗示も、効いている……効きすぎなくらいだな。」


 と嘲笑した。

 それからぶつぶつと口の中で呪文をつぶやくと、大理石の台の向こうに灯がともる。


 光の中に浮かび上がってきたのは、玉座に座った、美しいエルフの女だった。

 大きさは人間の二倍ほどで、目を閉じ眠っているように見えた。


「さあ、女神よ……久しぶりの『神喰(しんしょく)(にえ)』だ。存分に喰らうがいい。」


 オルディウスは、今までの猫なで声を捨て、地の底から響くような、恐ろしい声で言った。


 すると、その声に呼応して、女神の髪や、服の裾や、指先や、身体のありとあらゆるところから、細い細い白い糸のようなものが、スルスルと這い出してきて、大理石の台の上に寝ているエリザベータに向かう。


「あぁ……オルディウスさま……」


 ……糸は、首筋、胸元、太腿、足の指先にまで絡みつき、静かに締め付けていく。

 しかし彼女は一切抗わず、むしろうっとりと微笑みながら身をゆだねていた。

 その表情は、まるで快楽の中に祈りを見出した者のようだった。

 やがて彼女を繭のように包み込むと、ズルズルと大理石の台から、女神自身の方へと引きずっていった。


「聖女の法悦が、女神の最大の糧になるとしても……自分が使われていると思うと、気分が悪いな。穢らわしい……」


 手繰り寄せられる繭を見送って、オルディウスは心底嫌そうにつぶやいた。


 ……繭が女神の前まで運ばれた瞬間、

「ぱきっ」と乾いた音が響き、女神の胸元に一直線の亀裂が入った。

 その裂け目は、静かに左右に開いていく。


 彼女の断面は、無数の白い糸で埋め尽くされていて、エリザベータを包んだ繭を取り込むと、何事もなかったように閉じてしまった。


「ゆっくり味わいなさい……」


 オルディウスは、女神に愛おしげにつぶやくと、背を向けて広間から歩き去った。

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