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刺青の聖女と契約の王子  作者: じょーもん
第三章

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32 蒼の瞳の底

 レオナルトとリリスは、乗って来た自分たちの馬車で王宮に向かった。その後を、エリオットは自分の馬車で追いかける形になっている。


 傾きかけた午後の日差しの中、エリオットは馬車の座面に身を預け、手足を組んで物思いに沈んでいた。

 先ほど、レオナルトに見せられた資料がぐるぐると頭の中を巡り続けている。

 ファナが召喚されるずっと前から――それどころか、エリオットが生まれた時からすでに、女神への生贄候補として目をつけられていたこと。ネリファスの地下研究所でファナがされていたことが、おそらく「処置」の一環だということ。魔具から聞こえた会話からも、ネリファスは何人も聖女を供物として改造してきたと言っていた。あの紙の枚数だけ、本当に聖女が「処置」され、人ではない何かにされて女神に捧げられた――


 ふと、王国暦324年の第十三代国王第四王子と聖女の報告を思い出す。

 契約前に聖女を奪われて、王子は二年後に死亡していた。聖女は『封印の贄』となっていた。

 あれは、ファナを取り返せなかった――エリオットだ。


 ――あの王子は、聖女を失って、なお二年も、生きていた……

 きっと、必死に聖女を探し続けたのだろう。

 たとえどんな姿でも、生きてさえいてくれたなら――見つけ出せるかもしれない。

 その一縷の希望にすがって、地獄のような日々を、二年も。


 エリオットは眉根を寄せて目をつぶる。四百五十年以上前の王子の心の軋みが、我が事のように思えて、胸が痛い。


 ――それに、リゼリヤーナの記録……


 エリオットは目を開けて、自分の膝に視線を落とす。


 あの一枚には、信じられないほど多くの情報が詰め込まれていて――

 そのすべてを理解するには、まだ時間がかかりそうだった。

 父王の聖女召還やその失踪については、王宮や社交界ではタブーとされていた。現在、それについて語るものは誰一人いない。親は子に語らず、孫にさえ伝えない。若い世代では、“聖女ではない王妃”が当たり前のものとして受け入れられていた。だから、エリオット自身も詳しくは知らない。リゼリヤーナという名前すら、今日初めて知った。でも、本来は王子の配偶者は聖女しかありえなかったはずだ。

 そして、側妃イレーネの顛末……


 再び、エリオットはそっと目を閉じた。

 瞼の裏に浮かぶのは、遠い日の母の面影――

 優しく、たおやかで、儚げで。


 記録では、病死とされている。


 けれど今なら、わかる。

 母もまた、女神の贄のためにその命を摘み取られた。


 ――女神。

 ただ恵みを与えるだけの、遠く優しい存在だと、思っていた。

 けれど今は、少しだけ……ほんの少しだけ、わからなくなっている。

 見てはいけないものを、覗いてしまったような――妙な胸騒ぎがする。


 馬車が静かに止まった。王宮に着いたのだ。


 先行していたレオナルトたちの馬車は、別の玄関へと向かっており、ここで降りるのは自分だけだった。


「お待ちしておりました。エリオット殿下、ご協力に感謝いたします」


 出迎えたのは、昨日の物取りで世話になった第三騎士団長と、数名の騎士たちだった。


「ご苦労。すぐに案内してくれ」


 エリオットが言うと、騎士たちはすぐに先導に移る。


「本来は私たちの領分ではないのですが……情報の拡散防止の観点からも、第三騎士団が中心になって捜査を行うことになりました」


 並んで歩く騎士団長が、苦笑まじりに頭を掻く。


 第三騎士団は、本来は街区の警邏や一般市民の取り締まりを担当する部隊だ。

 だが、ネリファスの地下施設に踏み込んだ実績を買われて、引き続き捜査を任されたのだという。


 正直なところ――神殿とも、王族とも距離のある部隊だ。

 今後、捜査がどの方向に転んでも、第三騎士団が表に立ってくれるのは、都合がいい。


 ……レオナルトも、なかなかよく考えているじゃないか。


 エリオットは、謎の上から目線でひとりごちた。



 エリオットが連れてこられたのは、王城の地下に位置する牢だった。

 地下牢は、使用人などの懲罰を行う、鉄格子のついたあまり清潔でない一般房と、貴族や王族など一定の地位を持つものが入れられる、最低限の調度品を整えた貴賓房とに分かれている。


 エリオットは、エリザベータが貴賓房にいると思っていた。が、貴賓房の前は通り過ぎる。

 案内されたのは、最奥の一室。一般房の中でも、重罪人のみが収監される、身体拘束付きの房だった。


 牢番がカギを開けると、エリザベータが昨日の『契約の儀』へ参列時のままの服装で、壁際で座り込んでうなだれていた。よく見ると、壁から伸びた鎖にその両手が繋がれていて、自由に動き回ることはできないようだ。


「ここなんだ。貴賓房かと思ってたんだけど。」


 エリオットが正直な感想を言うと、騎士団長は深刻な顔をしてエリオットの耳元で囁く。


「……実は、陛下からの御命令でして。

 ファナ聖女誘拐の件に、アルセノール公爵令嬢が関与しているとの報告が上がった途端、拘束次第、即時処刑とのお達しが下りまして……。ですが、レオナルト殿下が『捜査のために生かすべきだ』と強く進言され、何とか押しとどめてくださったのです。今は、こうして当房での拘束というかたちで、ようやくご納得いただいている状態でして……」


「陛下が?」


 エリオットが聞き返すと、団長はうなづいて肯定する。


「はい、今回の件、一番お怒りなのは陛下でして、どう転んでもアルセノール公爵令嬢は……」


「そうか……でも、それと捜査(これ)は別の話だ。で、何か聞き出せた?」


「……正直、困っております」


 団長が低くつぶやいた。


「私ども、普段は酔っ払いの保護やスリの取り締まりが仕事でして……。こういった、高貴なご身分の方にどう接してよいか、まったく……」


 エリオットは鉄格子の扉をくぐると皮の手袋をはめながら言う。


「問題ない。あとは、僕がやるよ」


「……は。よろしくお願いいたします」


 騎士たちは明らかに安堵した顔で一礼し、牢の外へ下がった。




「やあ、晩餐会以来だね。昨日は眠れた?この部屋は少し冷えるから、君が寝不足じゃないか、心配だな。」


 エリオットが猫なで声で問いかけると、ピクリと頭が動く。


「昨日の僕たちの『契約の儀』には参列していなかったみたいだけど……どこで何をしていたのかな?」


 エリザベータがゆっくりと顔を上げると、エリオットの笑顔と視線がぶつかった。

 エリオットはどこまでも優し気に微笑んでいたが、その瞳の奥では冷たい憤怒の炎が渦巻いている。


「……知らないわよ……急に拘束されて、ここに連れてこられて……こんなこと、お父様が許すはず――」


「ふーーん、あくまでシラを切るんだね?」


 エリオットは楽しそうに言うと、エリザベータの前にしゃがみ込んだ。


「アルセノール公爵は手を引いたよ?今君が、ここで、こんな姿でいるのが全ての答えだと思うんだけど……」


 エリザベータの目が見開かれる。

 その隙を逃さず、エリオットは懐からファナの耳飾りを取り出して両手で握って呪文を唱える。こちらの耳飾りは、エリザベータが叩いた時に落ちた方とは反対側。ずっとファナが身に着けていた方にも、風景の録画機能があったのだ。


「実はねぇ、証拠はちゃんと保存してあるんだ。君ほどの高い地位の者を拘束するのに証拠がないなんて、そんな間抜けなことするって思ってた?ほら、これはあくまでバックアップ用で、もう一方はレオナルトを通して陛下へも伝わっている。」


 エリオットの手の中で、立体映像となってファナへの暴行が再生されている。

 音は入っていなかったが、ファナが必死に身を丸める姿は痛々しく、加えられている暴行の激しさを物語っていた。

 エリザベータはあっけにとられて、食い入るようにそれを見ていた。


「ねぇ、なんでこんなことしたの?ファナが君に何かした?」


 エリオットが、エリザベータの瞳をのぞき込む。その瞳は蒼く、どこまでも透き通っていて、エリザベータには深い海の底へと引きずり込まれるような気すらした。


「王子の聖女に危害を加えるって、どういうことか、君、本当にわかっていたのかな?」


 エリザベータが目をそらそうとすると、その視線の先にエリオットが入り込む。


「ねぇ?なんで、ファナを、傷付けたの?なんで、誘拐に協力したの?ねぇ、なんで?」


「ひぃっ」


 喉の奥で悲鳴をあげて、エリザベータは目を固く閉じる。

 彼女は知らなかった。いつも物静かで、理知的で、どこか影の薄いエリオットが、こんなにも静かで底知れぬ怒りを宿す人間だったなんて。


「僕の聖女に、触ったんだよ?その事実だけで、君はもう終わってる。どうしてわからないの?」


 エリオットは、手袋の指先を軽く整えると、静かにエリザベータのあごに指を添え上向かせた。


 顔に触れられたことに驚いた彼女は思わず目を開ける。


 表情が抜け落ち、目が見開かれたエリオットの顔が、眼前いっぱいに広がっていた。



「臭いな……エリオット、そんなところに膝を……よくつけるな……。」


 エリオットの背後から、牢に入って来たのはレオナルトだった。


「あー、言われてみれば、臭う、かな。まあ、この服はもう捨てるよ。こんな所へ来てた服でファナに会えないし。後で一着用意させといて。」


「お前……」


 眉をひそめ、声のトーンがわずかに揺れる。

 絶対零度の怒りを湛えたまま微笑む弟に、レオナルトは一瞬だけ息を呑み、それから侍従の差し出した椅子に腰を下ろした。


 エリザベータは突然現れた第一王子に、どういう表情を向けたらいいのかわからず、困惑している。

 と、彼女の前に、レオナルトが何やら布切れを投げ出した。


「?」


 しばらく見つめて、それが自分の侍女、リュシアが身に着けていた侍女服のリボンタイだと気が付いた。

 泥と、べっとりと付いた大量の血が、彼女の運命を物語っていた。


「お前の侍女は、既に処された」


 レオナルトは全く感情の載っていない、平坦な声で言う。


「王子の聖女に手を上げる……それがどんな結果をもたらすか、お前たちはよくわかってなかったようだな」


 エリザベータはこわごわとリボンから視線を上げる。


 穏やかな顔のまま、獰猛な怒りをその身に宿した二人の王子が、そこにいた。

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