26 奪わせない
「君!今見たことをレオナルトに報告して、エリザベータとその侍女の身柄を確保してほしい。証拠はこの耳飾りに仕込んだ術式内にある。公聴会での提示が必要なら、僕が再生する。だから、それは預けておいてくれ。」
後ろで控えていたレオナルトの騎士に、エリオットはファナの耳飾りを差し出しながら指示を出す。
「かしこまりました。」
3人いた騎士のうち一人が進み出て耳飾りを受け取ると、レオナルトの部屋へと急いだ。
「セラフィオス、ネリファス神官の身上を洗って報告してくれ。更に協力者もいるなら洗い出せ。奴は聖寮部の術式研究室の所属だったな?そっちの資料も処理される前に押さえろ。」
エリオットはセラフィオスに背を向けたまま、普段の彼からは想像もできないほど、怒りに満ちた冷酷な声で言う。
「わかった。神殿として全面的に協力しよう」
セラフィオスは顔色悪く、険しい表情で答えた。
エリオットはやっとセラフィオスに向き直り、決意に満ちた目で言う。
「僕はこれから、ファナの捜索に王都へ行く。必ずファナを見つけ出すから、契約の儀は予定通り準備を進めてくれ。ファナを連れ帰り次第、予定通り儀式を行う。それが、今回の一件の責任をネリファスとエリザベータの個人に限定する――神殿にとっての最低条件だ。」
「承知いたした。我々も死力を尽くそう。」
深く頭を下げたセラフィオスを一瞥すると、エリオットは今度はセルジュに振り返る。
「神殿で何か動きがあったら、逐一僕に報告してくれ。方法はいつものでいい。こちらも通信を常時開放して、座標も送っておく。こちらの信号が途絶えたら、即座にレオナルトに報告してくれ。」
エリオットは自分の右耳を指さしながら言う。彼の耳には、あまり目立たないイヤーカフ型の魔具が装着されていた。
「承知いたしました。私はセラフィオス様に協力して、情報収集に努めます。」
「うむ、神殿としてもセルジュ殿にはできうるかぎり情報開示する」
頭を下げたセルジュに続き、セラフィオスもうなづいた。
今度こそエリオットは踵を返し、二人の騎士を従えて部屋を出る。
「君たち、僕はこれから、ファナに仕掛けてある術式の痕跡を追って彼女を探す。彼女の意識が戻ればより詳しい位置情報も分かると思うんだけど――僕は君たちにかまわず動くから、君たちは遅れずについてきてくれ。」
歩きながら騎士たちに言ったエリオットの背に
「承知いたしました!」
と、騎士たちは迷いなく答えたが、その胸中に走ったのは、得体の知れぬざわめきだった。
――まさか殿下、聖女に術式を常時仕掛けていたとは……
互いに視線を交わすこともなく、黙して従った。
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「……」
ぼんやりと、ファナの意識が浮上する。目をうっすらと開けると、薄暗くごつごつした岩肌の天井が目に入る。先ほどエリザベータに叩かれた時、爪が当たったのか頬がじぐじく痛む。
触れようと手を動かすが、手が動かない。
ハッと気が付いて、自分の状況を確認すると、硬い台の上に手足を軽く開いた状態で磔にされていることが分かった。
身をよじると、手首足首だけでなく、腰や膝、首も固定され、ほとんど動けないことが分かる。
「おや?まさか意識を取り戻すとは――本当にあなたは、規格外ですね」
ファナの右手の方から、声がして、一人の神官がのぞき込んできた。ネリファスである。
「……」
ファナは彼とは面識がなかったが、瞬時に彼を敵だと判断し、睨みつける。
「こんにちは、ファナ聖女。目覚めなければ、何も知らぬうちにすべてが終わっていたというのに。まあ、意識のある被検体も久しぶりですので、また違ったデータが取れますかね。」
ネリファスはにやりと笑うと、何やら線が繋がったはさみ状の留め具を持ってきて、ファナの両手首と両足に装着する。
「あなたの魔力は、非常に興味深い。その質は、精霊魔力に酷似しているが――おそらく純度は、その辺のエルフなどよりももっと上でしょう……“女神の供物”として最上の……いや、それ以上の利用価値があるかもしれない……」
言うと、ネリファスはファナの下腹部に右手を当てると、全体重をかけて押し、魔力を流し始めた。
「かっ……はぁっ――」
腹に激痛が走り、思わずファナの口からうめき声が漏れた。
魔力の源を直接手で握りつぶされるような激痛と、ネリファスの全身を蝕むような魔力の不快さとで、身をよじろうとするが、拘束されてそれも叶わない。
「はは、すばらしい。なるほど、この刺青が魔力の増幅路になっているのか。非常に興味深いな。では、魔力の質は――」
ネリファスは興奮した声音で左手で持った器具の数値を読みながら言って、下腹部から手を放すと、今度はファナの右の手のひらに自分の手を押し当てる。
やがて、合わされた手のひらから、魔力が無理やり引きずり出される感覚がして、ファナは吐き気を覚えた。
「ん……この魔力は……小僧の?ここまで体内に残留しているとは……」
ネリファスは再び手を下腹部に戻すと、今度は魔力の源に直接働きかける。
「――一線、越えてしまったのですね。しかも、一度や二度ではない……契約前からずいぶんお盛んだったようで」
下卑た笑みを浮かべ指摘されたファナは、怒りと羞恥に赤面し、目をそらした。
「でも、お生憎様です。この程度の汚染、私の術式でいくらでも“洗浄”できます。元通りの綺麗な器に戻してあげましょう。そして、あなたの肉体も女神の供物として改造すれば――王子様との記憶も、全部すっかり綺麗になくなります」
「それってどういう……?!」
思わずファナはネリファスの顔を見る。
彼は、捕らえた獲物をいたぶるように、愉快でたまらないという顔で答えた。
「言葉通りですよ。これからあなたを作り変えるんです。何も見えず、何も感じず、ただその魔力を捧げ続けるだけの肉の塊に。そうそう、腕は確かなのでご安心ください。私はもう何人も、聖女を作り変えてきましたから――大丈夫、王子に腰を振って悦んだその身体でも、ちゃーんと供物になりますよ」
耳元で囁かれ、言葉の毒を流し込まれる。
ファナは、恐怖と羞恥と混ざった混乱の中、ネリファスの手から逃れようと身体をよじりもがこうとした、が、拘束はきつく、ほとんど身体を動かすことができなかった。
ネリファスの手のひらが今度はファナの口をふさぎ、口の中から体内へと魔力を流される。
胃や肺から直接魔力を流し込まれる不快感は格別で、ファナは思わずえずいた。
「本当に、あなたたち人間とは、悲しいくらい滑稽です。愛だの恋だのにかこつけて、その内実は汚らしい欲望を、こすり付け合う事に悦びを見出す愚かな生き物が――」
吐き出したいくらい気持ち悪いのに、ネリファスの魔力はファナの内臓を浸食し、満たしてゆく。身体の内側から、こねくり回されるようなおぞましい感覚の中、視界の端が滲み、ネリファスの声も遠くに響いているようだった。
それでも、ファナは――まだ落ちていない。堕ちたくなかった。
――いやだ、エルに全部あげたこの身体も、心も、明け渡したくない……
ファナは必死で思って、意識を保とうとする。
「くっ、一筋縄ではいかないか――これほどまでの抵抗を見せるとは、もしやこれは、“供物”どころではなく、“女神の器”そのものにも――」
ファナの意識がなかなか落ちないことに、ネリファスの表情が、喜色に染まる。
「まあ、どちらでもいい。後からいくらでも修正はできる。さあ、苦しいだろう?辛いだろう?早く意識を手放してしまえ!」
ネリファスが、手から放出する魔力を一層強くした。
ファナの刺青が赤く、青く、まるでせめぎ合う様に明滅する。
――エルっ!たすけてっっっ
「あああああああああああああっっっっ」
ファナが、目を見開き、のどを振り絞って、あらんかぎり叫んだその時である。
閃光がひらめき、轟音と共に、部屋の扉がはじけ飛んだ。
「ファナぁぁぁぁっっっ……ッ、来た……今、来たからっ!!」
砂煙の中から叫び声をあげ、飛び出してきたのは、エリオット。
ファナが待ち焦がれたその人であった。




