表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
刺青の聖女と契約の王子  作者: じょーもん
第二章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

24/68

23 刺青の夜

 夜、ファナはエリオットの部屋の前に立って、深呼吸してから扉をたたいた。


「エル、ファナです。」


 今日の夕食には、エリオットは姿を現さなかったので、午後中庭でわかれて以来、数時間ぶりだ。

 侍女長は、「契約前の最後の晩餐なのに」と若干憤っていたが、彼がどれだけ真剣に考えてくれているか、ファナには分っていたので、むしろとりなす側となった。


 人の動く気配がして、少し待つと静かに扉が開かれた。


「入って……」


 強い覚悟を湛えた瞳で、エリオットがファナを迎え入れる。

 ファナは、ごくりとつばを飲み込んでから、彼の部屋に足を踏み入れた。


「気分を落ち着けるお茶……淹れたから、飲んで。」


 エリオットは彼女をソファに座らせると、ハーブティーを手ずから淹れて差し出して、自分も彼女の隣に座った。ファナは、エリオットの体温を身体の片側に感じ、安堵と共に、得も言われぬ高揚感がひたひたと沸き上がる。


「ファナ……実は、神殿で契約の儀が聖女の肉体を再編成してしまうって聞いてから、ずっと考えていたんだ。」


 エリオットは膝の上で手を組んで、静かに話し出した。


「君は、契約で自分が変わってしまっても構わないって言ったけど……やっぱり、僕は嫌なんだ。誤解をしないでほしいんだけど、君の変化を否定するわけじゃない。でもね、契約による再編成を考えれば考えるほど、それがファナに一方的な変化を強いているようにしか思えない。」


「そんなことない」と言いかけたファナに、エリオットは首を横に振ってから続ける。


「それだけじゃない。実は、先日もう一度神殿に行って、セラフィオスに記録を見せてもらった。――ああ、別に調査とかじゃなくて、知的好奇心を満たすためって言ってある。そうしたら、いくつか気になる記載を見つけたんだ。精霊魔法やそれに類似した文化圏から召喚した聖女が、どうも魔力系統に不具合を発生させている症例を――、これらの事からも、僕はファナを再編成したくない……そう考えるようになったんだ。」


「でも!契約しなければエルが――」


 ファナがエリオットを泣きそうな顔で見上げる。


「そうだね。僕はたぶん魔力が不安定になって死ぬと思う。悪いけど、僕は死にたくない。もっとファナと、ずっと生きていたい。」


 エリオットは彼女の腰に手を回して、抱き寄せる。


「だからね、僕は必死で考えていたんだ。そんな時、君が……僕に、刺青を刻む提案をしてくれた。」


 彼は、ファナの服の上から、右わき腹に手を這わす。ファナの肩が、ビクッと震えた。


「考えが、舞い降りたんだ……君の新たに刻む刺青を、僕の“魔力の源”と繋ぐ接点として、契約の儀と同時に永続的に接続し、魔力と属性を共有させる。そうすれば、君の身体を再編せずに疑似的とはいえ儀式を成功させられるって……」


「……エルの魔力と……永遠につながって、エルが助かるんですか?」


 ファナは全部は理解できていないようで、首をかしげながら聞き返す。


「そうだね。簡単に言ったらそういう事。」


「私の刺青が……そんな、大切なものになれるなら――私、ほんとうに、うれしいです!」


 ファナは頬を紅潮させ、笑顔を浮かべる。

 しかし、エリオットは浮かない顔でファナを見る。


「でもね……その刺青なんだけど、魔石に術式を書き込む要領を参考に刻もうかと思うんだけど……構造の関係上、骨にまで刻まなくちゃいけないんだ。あばらのあたりは神経が多いから、一番痛い場所な上、僕の魔力を流しながらの施術になるし、術式の構成を邪魔するから、痛み止めも使えない……」


 彼は痛みを想像して、少し身震いをした。


「……本当に、かなりつらい施術になると思う……本当は君にそんな思いさせたくないんだけど……これ以上は、思いつかないんだ。それでも君が望むなら――僕に刻ませてほしい。」


「エル、おねがいします。」


 ファナは迷いなく答えた。

 エリオットは泣きそうな顔をして、彼女を強く抱きしめた。



 そのままエリオットはファナを抱き上げて、ベッドまで行く。

 ベッドはすでに施術する準備が整えられており、掛布が片づけられ、いくつかのクッションと、施術道具が箱にまとめられて置かれていた。

 清潔なシーツの上にファナをそっとおろすと、


「魔力回路の様子を見ながら施術するから、上は脱がすよ。」


 声は平静を装っていたが、エリオットの指先はかすかに震えていた。

 彼はそっと寝間着の前を開くと、すぐに視線をそらして、必要以上に肌を見ないように努めた。

 ファナは素肌に触れた空気に、否応がなく緊張が高まるのを感じる。


 エリオットはクッションをいくつかあてがって、ファナの体勢を整え、右わき腹の刺青の空白が真上に来るように調整する。


「どう?苦しかったり、無理な体勢じゃない?」


「う……ん。大丈夫そう。」


 ファナが少し身じろぎをして確かめながら答えるのを見てから、エリオットは施術する皮膚を消毒し、箱の中から鋭いキリのような針を取り出した。


「本当に、刻んでしまってもいいんだね?」


 エリオットは、針を持った右手から、先端に魔力を流しながら言う。針の先端は、エリオットの魔力の属性を示す、風と水が混ざった青緑色に輝いていた。


「これを刻んだら、もう君は僕から逃げられない。僕は君を、一生、絶対に離さないよ。」


 空いている左手を、ファナのへその少し下あたり、“魔力の源”の上に置き、こちらも魔力を流し始める。


「今が、君が逃げられる最後のチャンスだ。」


 囁くような声だったが、はっきりと、静かな室内に響いた。


 ファナは、幸せそうに微笑んで言った。


「一番痛い場所に、あなたの印を刻んでください。それが私の人生で、たった一つの願いだから――」



 最初のひとはりが、肌の上に置かれる。

 力を入れて刺し入れると、すぐに肋骨にあたるが、さらに力を入れ骨を削る。


「あっ……ぐぁっっ――」


 思っていた以上の衝撃に、ファナの身体が揺れ、目が見開かれる。

 エリオットの手が止まったのに気が付いて、ファナはそれでも微笑を作り言った。


「かまわない……つづけて」


 エリオットは顔を歪めたが、次のひとはりを刺し込んだ。


 ひとはりひとはり、エリオットは、己が考えうる最高の魔法陣を、刻み込む。

 施術が進むにつれ、ファナの呼吸が浅くなり、その額には脂汗がにじむ。


 ――そうとう痛いだろうに……

 魔法陣を刻むエリオットも、心が切り刻まれるように思える。


 最初のうめき声以来、ファナは声を漏らさなかったが、顔色はどんどん悪くなっていった。

 針が差し込まれる痛み。刺し込まれた後の傷の痛み。刻み込まれた骨の痛み。

 すべての痛みがとめどなく彼女を襲う。

 気を失うこともできない。


 ――でも、全部受け止めたい……全部……


 すべての痛みが意識を覆い尽くした、まさにその時だった。

 ……ふと、微かなものを感じた。

 激痛の海の中に、確かに存在する、ひんやりと優しい――


 ――あ……エルだ……エルの魔力……


 不意に、気が付いた。

 激痛の中に、さわやかで冷たい……夏山の朝風のような、エリオットの魔力を感じた。

 鮮烈な痛みの中で、その魔力は甘やかで、ファナに彼の存在をありありと感じさせる。


 彼と永遠につながれば、ずっとこの魔力に(いだ)かれる。

 それは、人生のすべてを差し出すに値する、代えがたいことに思えた。

 痛みが意識を、我と彼の境をあいまいにし、恍惚とした悦楽にうっすらとまぶたを開く。


 ミトノカビメのあの世とこの世の境を揺蕩う心地は、きっとこのようなものではないか……


 ファナの目から、一筋の涙が流れた。



 エリオットは気が付いた。ファナの刺青が魔力を帯び、輝き始めたことを。

 あと少しで完成する。

 額の汗をぬぐい、ふとファナの顔に目をやると、彼女は恍惚の中、うっすらと目を開けていた。漆黒の瞳は怪しい青い光をたたえ、かすかに開いた唇からは、ほのかな燐光と共に、聞き取れないため息のような言語が発されている。


 ――これは、あの時と同じ……


 彼はファナが初めて魔力に目覚めた瞬間を思い出していた。



 環が繋がり、彼女の刺青の回路に光が走る。


 エリオットは針を置くと、彼女と両手を繋ぎ、自分の魔力を流して回路が繋がっていることを確認する。


「ファナ、終わったよ。回路も正常に繋がっている。今、痛みを取るからね」


 エリオットは施術した部位に手を当てて、治癒術式を展開した。

 痛みが消えたファナの身体の中には、エリオットの魔力の残滓だけが残った。


 エリオットは、痛みが消えた彼女を見下ろした。

 ファナは静かに目を閉じ、安らかな息をしていた。

 その唇が、微かに動く。


「これで……私は、エルのものです……」



 エリオットは彼女を壊れ物のように大切に抱き起すと、そっとその身体を抱きしめる。


「ファナ……ありがとう……痛かったよね」


「ええ……でも、ずっとエルの魔力、感じていたから……」


 ファナが甘えるように彼に身体を摺り寄せる。


「どうしよう……もっとエルを感じたい……エルと……つながって、一つになりたい……」


 かすれた声で、耳元でささやいた。

 エリオットの身体に、甘やかなさざめきが走り抜ける。


 彼はゆっくりと息を吐くと彼女の耳にささやき返した。


「いいよ……全部もらうし……全部あげる」


 この上なく幸せそうに頬を紅潮させて、エリオットはファナをそっとベッドに押し倒した。

 ファナは、何のためらいもなく彼に腕を伸ばし、彼を抱き寄せる。


 呼吸も、心臓の鼓動も、境界を失って、ただひとつの存在になっていく。


 ファナは、かすかな声で彼の名を呼び求めた。


 エリオットは、震えるように答え、ファナのすべてを抱きしめた。


 この夜、エリオットは王子ではなく、ファナは聖女ではなく、唯一として刻み込んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ