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刺青の聖女と契約の王子  作者: じょーもん
第二章

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20 唯一不可侵の権利

 ファナがエリオットに想いを告げた翌日、ふたりは早くも神殿に呼び出されていた。


 応接室は、かつて「判定の儀」のあとに通されたあの部屋。白を基調とした内装に、幾何学模様の装飾が控えめに施されている。


 室内では、大神官セラフィオスがひげを撫でつけながら、ゆっくりと立ち上がった。


「エリオット殿下、ファナ様。ご婚約並びに、かの契約の儀――その日取りも定まりましたな。心よりお祝い申し上げます」


 セラフィオスの声音には、穏やかな祝意と、わずかな含みが滲んでいた。


「……ふーん、婚約したことになってるんだ」


 エリオットは祝いの言葉の端をすくい取ると、にやりと笑って見せた。


「……王子殿下が無理を通されましたからな。さすがに、婚約期間もなくご結婚と申されても、神殿としては手続きが追いつきませぬ」


「だってさ――契約の儀と聖女との結婚だけは、僕たち王族の男子に認められた、唯一不可侵の権利なんだ。僕はそれを行使しただけさ」


 淡々と告げるエリオットに、セラフィオスはやや呆れた表情を浮かべつつも、それ以上は何も言わなかった。


 出されていた花茶をひと口、喉を潤わせてから、セラフィオスは本題に入った。


「本日お越しいただいたのは、七日後に決定いたしました『契約の儀』について、正式なご説明を差し上げるためです。この話は――契約の当事者である王子殿下と聖女様に、神殿より直接伝えることが定められております」


 そして、少しだけ声を柔らかくして、エリオットへと視線を向ける。


「ところで殿下。契約の儀について、どの程度ご存じでいらっしゃいますかな?」


 話を振られたエリオットは、眉をひそめ、少し訝しげな顔をした。


「……知ってるよ。契約して、魔力を融合して、属性を共有して……契約できなかったら死ぬ。それが“王子の運命”だろ?」


 当たり前のように言うエリオットに、“王子の運命”が初耳だったファナは思わず彼を見てしまう。


「なるほど。では……それは本当に、契約のすべてだと思われますか?」


 セラフィオスの目が、かすかに光を帯びる。

 それは、何かを試すような、底知れぬまなざしだった。


「……すべてじゃないのか?」


 眉をひそめたまま、エリオットが問い返すと、セラフィオスはどこか満足げに微笑み、傍らに置いていた大きな古書をゆっくりと取り上げた。


「これはですな。歴代の大神官たちが、聖女召喚と契約の儀について記してきた、極秘の記録書でございます。公にはされておりませんが……実に興味深い例が多くございますぞ」


 ぱらぱらと頁を繰りながら、指先が一箇所で止まる。


「――ああ、ありましたな。第二十二代国王の、第三王子殿下の事例です」


 そこに記されていたのは、にわかには信じがたい内容だった。


「このとき召喚されたのは――一匹の、雌猫でございました」


「……は?」


 エリオットの口から、間の抜けた声が漏れる。

 ファナも、隣で目を丸くしていた。


「はい。正真正銘の、猫でした。ところが不思議なことに、第三王子殿下にだけは、その猫の聖女と心が通じたそうです。言葉を交わし、互いを深く理解し、召喚から半年後――『契約の儀』が執り行われました」


「猫と……契約……?」


 あまりの話に、エリオットは椅子の背にもたれたまま絶句する。


 セラフィオスは、微笑を深めて続けた。


「ええ。そして、その儀の最中に、ひとつの奇跡が起こった。女神の恩寵が働き、聖女は――完全なる人の姿となったのです」


「っ……!」


「種族の違いを超えて結ばれたふたりは、仲睦まじく暮らされ、多くの子をもうけ、老いてなお寄り添っておられたとか」


 セラフィオスは本をそっと閉じ、脇に戻すと、花茶に口をつけた。

 一拍の沈黙のあと、静かに語り始める。


「……これはあくまで、極端な一例にすぎません。ですが――他にも前例はございます」


「本来であれば、子をなすことが難しい種族。あるいは、生殖の概念を持たぬ存在。中には、男性が聖女として召喚された例も、極少数ながら記録されております」


 言葉の端々に、歳月の重みが滲む。


「それでも皆、契約の儀を経たのちには――王子殿下と、子をなすことが叶ったのです」


 セラフィオスは、花茶を再び一口含んでから、ゆっくりと続けた。


「……私どもも、すべてを理解しているわけではございません。しかし、どうやらあの儀式は――聖女の身体を、王子との契約にふさわしい“かたち”へと、再構成するもののようです」


 部屋には、重苦しい沈黙が流れていた。

 エリオットは絶句し、微動だにできなかった。

 ファナもまた、視線を伏せたまま、口をつぐんでいる。


 その中で、セラフィオスだけが、何事もなかったかのように口を開いた。


「……この件は、同性や他種族あるいは異世界より聖女様を迎えられた王子殿下と聖女様にのみ、お話ししております」


 その声音には、ひとつの慣例として処理されてきたことへの、ある種の諦観すら感じられた。


「経験則ではございますが、この世界の“同種族”より聖女様を召喚された場合、肉体や魔力の構造に顕著な変化は生じません。ですので――レオナルト殿下とリリス様には、お伝えしておりません。……どうか、この話は内々に」


「……変わるって、どういう意味だ。どこまで――何が……?」


 エリオットの声には、隠しきれない動揺が滲んでいた。


 セラフィオスは静かに頷き、事実のみを淡々と語り出す。


「まず間違いなく、魔力の混合に伴う変化、属性の共有による変化――そして何より、子をなすための、生殖構造の再編。これらは、ほぼ確実に生じると考えられますな」


 エリオットの喉が、ごくりと鳴った。


「……ただし、精神の核、心の構造といった領域には、干渉いたしません。外観につきましても、もとより“ヒトに近しい形”であれば、大きく変わることは稀でございます」


 エリオットは顔を手で覆って、押し黙った。

 ファナは心配そうに彼を見つめている。


 やがて、彼女は意を決して、口を開いた。


「エル……私は、変わることが怖くないんです」


「あなたと契約すれば、私たちはひとつになる。あなたの魔法を、少しずつ理解できるようになるかもしれない。あなたも、私の中にあるものを感じ取ってくれるかもしれない」


 ファナはそっと目を伏せた。


「私は、“神の妻”として、この身を捧げるはずでした。でも――あなたといると、私は、人でありたい、そう思ってしまうんです」


 微笑みながら、彼女はその視線をもう一度エリオットに向ける。


「あなたの子を産み、育て、ともに老いていく。神のもとに帰るよりも、あなたのそばにいることを選びたい。……それが私にとって、初めての“願い”なんです」


 エリオットは静かに顔を覆っていた手を下し、ファナを見る。


「ファナ……きみは――それでいいの?僕のために、身体を変えられ、魔力も変えられ、子を産む道具みたいに――」


「そんな風には思っておりません。だって……私は、エルのもとに在りたいと思ったのです。誰かに命じられたのではなく、私が――自分で、選んだのです」


 ファナはエリオットの固く組み合わされた両手を取り上げて包み込みんだ。


「それに、あなたといられるなら、たとえ道具でも構いません。……でも、私、知ってます。あなたが、そんなふうに私を扱う人じゃないって。だから、大丈夫です」


 ね?と、ファナが優しく微笑みかける。


 エリオットは、それを見て、どこか諦めたように息をついた。だが、その表情には、すがすがしさと、ほんの少しの泣き笑いが混じっていた。


「……敵わないな。そんなこと言われたら、僕、もう……君をただの聖女としてなんか、見られないよ」


 場に、静かだが確かな決意が満ちる。


 それを受けて、セラフィオスが口を開いた。どこか安堵したような表情を浮かべて、静かに告げる。


「それでは、ご両人とも――お覚悟はお決まりのようですな。予定通り、『契約の儀』の準備を進めさせていただきますぞ」


「ああ、頼む」


 エリオットは短く答え立ち上がった。けれどその声には、かすかな痛みが滲んでいた。



 セラフィオスは、二人が部屋を出る時に、ほんの一瞬だけ、ファナの方へと視線を移し、深く頭を下げる。


「……ファナ様。ご決断、本当にありがとうございました」


「……?」


 ファナが目を瞬くと、セラフィオスはそのまま、ややしわぶかい声で、穏やかに言葉を紡いだ。


「このお話を殿下に申し上げる際、私には一つ、危惧がございました。……もしや殿下は、“契約の儀そのもの”を取りやめようとされるのではないか、と」


 ファナの目がわずかに見開かれる。


「かつて、王子と聖女は皆、再構成を“祝福”として受け入れてまいりました。ですが――祝福を疑い、制度を拒んだ者たちは、記録にすら残されることなく“欠陥”とされ、静かに消されていったのです」


 セラフィオスの声には、苦い記憶を抱えるような、老いた者の重みが宿っていた。


「殿下が、そうならずに済んだ。それは、あなたのおかげです、ファナ様。……心より、感謝申し上げます」


セラフィオスは再び頭を下げた。


「……帰ろう、ファナ」


エリオットは、ファナの手を引いて、その場を後にした。

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