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刺青の聖女と契約の王子  作者: じょーもん
第二章

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20/68

19 告白

 ファナはエリオットの部屋の前に立って、深呼吸してから扉をたたいた。


「朝早くすみません、ファナです。」


 声をかけると、どかどかと人の動く気配と音がして、すぐに扉が開かれた。


「大丈夫、起きてた」


 顔をのぞかせたエリオットは、昨日着ていた服のままで、シャツにはしわが寄っている。顔色は青白く、目の下に(くま)が浮かびあがり、見るからに憔悴していた。


「……エル、どうしたのですか?」


 思わずファナが問いかけると、エリオットは力なく笑って答える。


「一睡も……できなかったんだ。中に入って?お茶を用意させるから。」


 ――会ったらすぐに思いを伝えようと思っていた。

 そんな張り詰めていたファナの気持ちが、実際にエリオットの顔を見たら、ほろほろと崩れていく。


 ファナは素直にエリオットに誘われ、彼の部屋へと足を踏み入れる。



 幾度となく訪れて、たくさんの時間を積み上げたはずのこの部屋に、今はただ静けさだけが満ちていた。

 ファナとエリオットは向かい合ってソファーに座っている。

 侍女長が持ってきてくれたお茶が、柔らかい湯気をゆらゆらと上げて、少しだけ部屋の温度を上げているような気がした。


「……ごめん、僕、一晩考えたんだ。君に、何か、気に障ることをしてしまったんじゃないかって……でも、思いつかなくて……」


 先に口を開いたのは、エリオットだった。

 彼は、まるでこの世の終わりみたいな暗い眼をして、ティーカップに視線を落としていた。

 ファナは瞬時に自らの過ちに気が付き、慌てて言う。


「ち……違うんです!エルが悪いんじゃないです!エルは全然悪くない。」


「そうなの?」


 エリオットは、ソファーに座ってから初めてファナの顔を見た。


「はい……あなたを避けてしまったのは、私自身の問題というか……とにかく、あなたには何の落ち度もないんです……」


 ファナは、もじもじと言い淀む。顔に血が上ってくるのを、感じた。

 そんな彼女をエリオットは不思議そうに見つめている。


 ファナはしばらく思案してから、いよいよ決意を固めると、革袋の中から今朝作ったナイフを取り出す。

 作られたまま、柄を付けていない抜き身の刃は、まだ低い午前の光が差し込むほの暗い部屋の中で、ちらちらと鈍く光を反射した。

 ファナはそれを両手で捧げ持つ。かすかに震える指先が、刃に小さな波紋のような煌めきを走らせた。


「これを――」


「――僕にくれるの?」


 ファナがうなづくのを見て、彼はおずおずと手を差し出し、その刃を受け取った。


「すごい――綺麗だね……黒曜石で出来ている……君が作ったの?」


 エリオットはしきりと感心しながら刃をいろいろな角度で眺めている。

 彼の問いに、ファナは耳も首も、真っ赤にしてうなづいた。


「あなたを……あなたを想って、作りました……」


「え?」


 エリオットの視線がファナをとらえた。


「ここにきて、あなたにもらったたくさんの事、思い出しながら、作ったんです。それで、私……」


 彼女は言い淀んで――


「こんな気持ち、本当は持っちゃいけないかもしれない。あなたを汚すことになるのかもしれない……でも、もう、止められなかったんです……」


 それから決意を改め、とうとう決定的な言葉を口にする。


「たぶん――恋を、してしまったんだと思います。」


 その瞬間、エリオットのファナを見る目が見開かれる。


 沈黙が流れる。

 呼吸の音すら、聞こえなくなる。


 ファナは、視線を落とし、両手をきゅっと握った。

 ――怖かった。でも、言わなきゃ。最後まで言わなきゃ。


「エル、好きです。あなたに――恋をしてしまいました。」


 時が止まった。


 エリオットの中で、何かがちぎれた音がしたような気がした。


 生暖かい液体が、鼻から唇、そして顎を伝う。


 ポタリと、テーブルクロスの上に深紅のしずくが滴る。


「エ……エル?!」


 ファナが慌てて立ち上がる。

 エリオットは鼻を抑える間もなく、ソファーに倒れこんだ。


「ちょ……えっ?えぇっっ!エル、大丈夫ですか?!」


 愛しい人の声が、耳にこだまする。


 一睡もせず懊悩の夜を越えたエリオットの身体は、ファナの告白に耐えきれなかった。

 歓喜が脳細胞を焼き切っていく感覚の中、エリオットは意識を手放した。



 ++++++++++++++++


 午後の日差しが差し込むころ、エリオットは自室のベッドで目を覚ました。


 ――徹夜は身体に堪えたらしい……


 ぼんやりと横を見やると、ベッドのわきに座り込んだ体勢のまま、縁に頭を預けてファナが眠りこけている。


 ――そんなところで寝ていたら、体を痛めてしまう……


 思って身体を起こすと、その気配でファナも目覚めた。


「あ……おはようございます。エル、大丈夫ですか?」


 眠そうに眼をこすりながら、エリオットを心配するファナ。

 その顔を見て、彼は瞬時に気を失う前の事を思い出した。


「……っっ、だっ……だいじょうぶっ……だよっ!」


 エリオットの声が上ずった。顔も、耳も、首も……どんどん赤くなってゆく。


「ファナ……その、さっき言ってた“恋をした”って……あれ、本当?」


 口元に手を当て、消え入りそうな声で、それでもファナをしっかりと見据えて、エリオットがたずねる。

 ファナも思い出して顔を赤くするが、確かにこくりとうなづいた。


「僕の事……好きっていうのも――」


「はい……エルが好きです。」


 ファナの言葉に、再び意識が飛びかける。

 体中に歓喜が駆け抜け、もうここですべてが終わってしまっても構わないとすら思う。


 ――いやいや、僕は、もっともっと、ファナといろんなことをして、一緒に時を重ねて、いろんなファナを知っていくんだ。


 エリオットは、じわじわと湧いてくる喜びの実感に、身震いした。


「ファナ!正式に契約しよう!最短で!!それから、結婚もしよう!婚約なんか飛ばして構わない!!」


 エリオットは完全に覚醒すると、ファナの両手を取って叫んだ。


「え?!ええっっ!!」


 ファナは思わず勢いに気おされる。

 しかしエリオットは止まらない。


「ファナ!一つになろう!魔力も何もかも全部!僕、もう待てないよ。」


 エリオットはファナを一度強く抱きしめると、勢いよく部屋を出て行った。



「セルジュ!セルジュはいるか?!ファナと契約するよ!!それから結婚もだ!!」


 彼の叫ぶ声が廊下から聞こえる。

 よく聞き取れないが、ぼそぼそとセルジュの返す声も聞こえた。


「は?知らないよ!慣例なんてくそくらえだっ!最短で契約の儀をするよう、神殿に申請してっ!!――招待客なんていらないよっ!僕とファナだけで式を挙げるっっっ!!」


 エリオットの声がだんだんと遠くなってゆく。


 ファナは、気が付けば笑っていた。

 あふれ出す喜びが止まらなかった。

「ははは、あははははは」


 初めて、恋が成就した。一番重い、本物の恋が。

 ファナの胸も暖かい歓喜で満たされていく。


 彼女は、手足の隅々まで、喜びで満ちていくのを感じていた。

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