01 ファナトゥナカです
エリオットは乙女を抱えたまま聖堂を通り抜け、乗ってきた馬車に乗り込む。
少し離れた場所では、第一王子の一行が、新たな聖女の選出をリリスの親であるエヴァンセール伯爵や、その細君と喜び合っているのが見えた。一足早く馬車を出したのはアルセノール公爵家だろうか。やや遠巻きに、聖堂を訪れていた民衆たちも祝福を送っているのが見える。
「僕の宮までお願い」
馬車のドアを閉めようとしている侍従に告げると、彼は怪訝そうに眉をしかめる。
「陛下への謁見はよろしいのですか?」
「ああ、後で構わない。どうせ僕が先に行けば、レオナルトの機嫌を損ねるだけだし。陛下へ報告だけはしておいて。異界からの聖女の可能性があり、休息が必要だとでも言っておけばいいだろう。」
「わかりました。では、後日整いましてから改めて謁見という事で。」
従者は一礼し、ドアをしっかりと閉める。やがて馬車は動き出した。
刺青の乙女を抱いたまま座面に身を預け、エリオットはホッと詰めていた息を吐き出した。
エリオットの居住する宮殿『セレノア宮』は、王城の中でも北側の少しじめじめして暗い場所にある。背後には原初の森と呼ばれる手つかずの原生林が広がっており、この森自体は王国にとって聖域であるものの、木々の枝葉が密集していて迷いやすいため、人々が好き好んで入り込む場所ではない。森から吹く風は濃密な木々の息吹を纏い、良く言えば人々の気持ちを落ち着け、悪く言えば華やいだ気分も陰鬱に沈めていくものであった。
この宮殿に、エリオットは5年前から一握りの従者と騎士、使用人たちと暮らしている。
馬車は正面玄関に止まり、従者の手によってドアが明けられる。エリオットは刺青の乙女を抱きかかえたままステップを降りた。
「殿下、わたくしが代わりましょうか」
騎士が進み出るが、エリオットは首を横に振る。
「いや、今日のために多少は体を鍛えてきたんだ。自分の乙女くらい、自分で運ばせてくれ。部屋は整っているか?」
「はい、万事抜かりなく整えてございます。」
出迎えに来ていた侍女長が目礼する。
エリオットは満足げにうなづくと侍女長に先導されて宮殿に入っていった。
刺青の乙女が目覚めたのは、次の日の昼過ぎだった。エリオットはずっと彼女の枕元にいて、目覚めたときも居合わせることができた。
「ん……」
乙女が身じろぎして、エリオットは読んでいた本から目線を上げた。
彼女はゆっくりとまぶたを上げる。エリオットははやる気持ちを抑えて、ゆっくりと本をサイドテーブルに置くと、身を乗り出した。
「気分は……どう?」
「……」
少女はエリオットを視界にとらえると、目を見開いた。黒々とした瞳に、エリオットの姿が映っている。
「はじめまして、僕はエリオット・ヴァルトリア。この国の第二王子だ。」
「エ……エリ?く…に?おう…じ……?」
「ああ、エリオットだ。」
「エ…エリオ……?」
「言いづらいなら『エル』と呼んでくれ。」
「エル?」
少女は起きようと身をよじる。
「良いよ、まだ起きなくて。」
エリオットは彼女を押しとどめ、布団をかけ直す。
「名前だけ、教えてくれるかな?」
「……ファナ」
「そう、ファナか。いい名前だな。」
エリオットが目を細めて、ファナの髪を撫でると、彼女もちょっと頬を赤らめて目を細めて布団に潜り込む。
ほどなくして、部屋のドアがノックされた。
「大神官セラフィオス様がいらっしゃいました。」
ドアの向こうからくぐもった声が聞こえる。エリオットが入室を許可すると、大神官セラフィオスが侍従に伴われて入室してきた。
「お加減はいかがですかな?」
「先ほど目覚めた。名は『ファナ』というらしい。」
再び寝入ってしまった彼女の顔を見やりながらエリオットが答える。
セラフィオスはひげを撫でつけながらエリオットとファナを見比べる。
「ファナ…様ですか……。」
「ああ。で、この娘が来た世界について、何かわかった?」
エリオットが鋭い視線を送ると、セラフィオスはふむとうなって目をつぶる。
「ふむ……。過去にニホン国から迎えられた妃たちと座標が似ております。第5代王妃ナギサ陛下、第20代王妃エリカ陛下――」
「……かの世界のニホン国か……、確か魔法も魔力もなく、カガクというものが発達して、馬の無い馬車や、鉄の巨鳥が空を飛ぶという世界だったか……」
「さようでございます。第20代王妃エリカ陛下の自叙伝『遥かなる故郷』は読まれましたかな?」
「ああ、王子教育の中で読まされた覚えがあるよ。ファナもあのような不思議な世界からやってきたというのかい?」
「おそらくは……。ただ、『遥かなる故郷』の中では、刺青の風習は書かれておりませんでしたし、服装も何か違うような気がいたします。かの世界は聖女の出身地としては比較的多い異世界ではありますが、まだまだ調査が必要ではありましょうな。」
「ああ、引き続き頼む。でもカガクが進んだあの世界から来たなら、ちょっと苦労するかもなぁ」
「そうでしょうな。しかし、かの世界から来た聖女は皆、保有する魔力も多く、教養も高く素晴らしい聖女となられました。ファナ様もエリオット殿下のお力に、必ずやなりましょう」
セラフィオスが微笑むと、エリオットは苦虫を噛み潰したような表情になる。
「それは面倒だね。実に面倒だ。あんまり優秀だと、レオナルトが黙っていないだろうからな。」
セラフィオスはエリオットの表情を見て、ますます笑みを深めた。
「エリオット殿下、なにはともあれ、聖女召喚おめでとうございます。己が乙女を大切になされませ」
セラフィオスは言い残すと退出してゆく。
夕暮れ時、ファナは再び目を覚ました。
先ほどの覚醒の時とは違い、ビクッと体を揺らして素早く目を開けると、あたりをきょろきょろと警戒し、エリオットの姿を認めるとベッドから飛び降りて絨毯に這いつくばる。
「ど…ど…どうしたの?!」
彼女の素早い動きにエリオットは慌てて読んでいた本を閉じて、床にひざまずいたファナに手を差し伸べる。
「トカプノヌプクシルの主トカムナカムゥィにあらせられるかっ。我はアヌカリ村が族長トヨキリの娘、カムナギィのファナトゥナカでございます。トカプノヌプクシルにわが魂を招いていただけましたこと、心より感謝いたしますっ!」
「えっ?えぇっ?は?なっ、なに?なに??何言ってるの?」
ファナの口から次々飛び出る聞きなれない単語にエリオットは目を白黒させる。
「その太陽のように輝く御髪、遥かなる天空を思わせる美しく蒼き瞳、古来よりわが一族が崇め奉る全能の神、トカムナカムゥィではございませぬか?」
「い…いや、僕は普通の人間だし、僕の髪も目の色も、そんなに珍しくない色なんだけど……」
「あなた様のような方々がほかにもっ!やはりここはトカプノヌプクシルなのですね!」
「……いや、ここはリューセイオン王国なんだけど。」
エリオットが困ったように眉を下げると、ファナは一瞬言葉を失う。
「リューセイオンおうこく……」
「そう、リューセイオン王国、僕はエリオット・ヴァルトリア。この国の第二王子だ。」
「あ……エル?」
「そう、エルだ。覚えてるじゃないか。」
エリオットは手を差し伸べて、ファナを立ち上がらせる。
「すみません、先ほどのは夢かと思ったのです。本当にここは、トカプノヌプクシルではないのでしょうか」
ファナはエリオットをうかがうように上目遣いで見上げた。
「うん、ここはトカ……なんとかではないよ。僕は神ではないし、君は昨日の召喚の儀で世界を渡って来た聖女だ。君はニホン国から来たのではないのかい?」
「ニホンこく?いいえ、私はアヌカリ村からやってまいりました。アヌカリ村はモユカ山のふもと、アハノハ川のほとりにある村です。」
「そ…そうなんだ……?セラフィオス……あー、大神官は、君がニホン国からやって来たと言っていたが……、君の国ではカガクが世界を支配していて、金属の船が空を飛んだり、星まで行ったりするんじゃないの?」
「カガク?何ですかそれ。船は分りますが、キンゾクとは何でしょうか。」
「え、君、金属を…知らないの?」
「?」
首をかしげるファナに、エリオットは愕然とするのであった。