17 聖女のお茶会
「その……体のお加減は……いかがですか?大変重篤な状況だったと聞き及んでおりますが……」
ティーカップをソーサーに置きながら、リリスは話を切り出した。
壁際の高窓から差し込む光が、ティーカップの縁で反射し、彼女の指先をかすかに照らす。
セレノア宮の応接室。侍女長は、突然だったとはいえ久々のお客である上、ファナと並び立つ聖女の来訪に、とっておきの茶葉と、とっておきのティーセットで挑んだ。
菓子はリリスが持参した。彼女のお気に入りの店のもので、王都でも人気があるらしい。
「もうすっかり良くなりました。エルがつきっきりで看病してくださって……以前よりも調子が良いくらいです」
ファナがちょっと冗談めかしてて微笑むと、リリスは心なしか表情を緩めた。
「そうですか。安心しました。ところで、ファナ様は、こちらにはもう慣れましたか?」
「はい。エルがよくしてくださっております。こちらの宮の方々も、親切にしてくださっています。」
「ファナ様は、エリオット殿下を愛称で呼ばれるのですね?それほど親密ですと……もう契約の儀式や婚姻の話も出ているのかしら?」
リリスはつい目を輝かせて乗り出したいのを抑えこんで、控えめな仕草でたずねた。
「契約の儀式…?婚姻……?いいえ、エルから特には……」
ファナは少し困惑しながら答える。
「そうなんですの?それは、打ち明ける秘密を私が奪ってしまったかしら……」
――アクセサリー類にそれだけ防御魔法や探知魔法を重ね掛けして囲い込んでけん制しておいて、肝心の話題はしていないって……あの変態王子……
リリスは心の中で悪態をついて、咳払いをする。
「聖女はただ召喚されただけでは、王子と正式に契約を結べていないって、ファナ様ご存じ――ないですよね」
「はい。そもそも聖女とはどういったものか、私よくわかってなくて……エルに聞けばよかったのかもしれませんが、マナーを学ぶことと、魔法を使うことに夢中になってしまって、まだ聞けてないです」
ファナは少し恥ずかしそうに、指先を組んでそこに目を落とす。
「詳しいことはエリオット殿下から聞いた方がいいと思うのですけれど……」
リリスは再びティーカップを取り上げ、お茶を一口飲んで、少し考えてから続ける。
「対外的には、聖女がどの王子のパートナーであるか、を示すもの、です。実際のところは――私も、聖女に選ばれて、神殿から説明を受けて知ったのですが――王子との契約は、通常の婚姻よりも強く深いつながりを作る儀式……とでもいえばいいんでしょうか。」
「婚姻よりも……強いつながり、ですか?」
ファナは不思議そうに聞き返す。
「ええ。王子と聖女の魔力を混ぜて、同質の魔力を持つ二人になるんですって。通例ですと、聖女の方が世界を渡った分、王子よりも強い魔力を得ることが多いので、足して二で割れば王子は召喚以前より強い魔力になる……という利点があるそうです。」
ファナはリリスの言葉を理解しようと、少し考える。
リリスは、ファナが口を開く前に、つづけた。
「実は、わたくし、レオナルト殿下と半月後に正式な“王子と聖女の契約”を執り行うことが決まりましたの。」
「それは、おめでとうございます。」
ファナが素直に祝福する。
「でもっ……レオナルト殿下は……もともと『青玉の座』の魔力の持ち主……私は――……私も……同じだから……殿下には、私と契約を結ぶ利はないのよ……」
リリスは表情を歪めてつぶやくように言った。自分が嘘をついていることは、自分が一番よくわかっている。
「エリオット様は『藍玉の座』でしょ?もし、私がエリオット殿下と契約を結んで、レオナルト殿下がファナ様と――契約したら、王子殿下はみんな、魔力が上がるわ……。ええ、レオナルト殿下が勝手に先に私を選んでしまったけれど、きっと本当は、ファナ様がレオナルト殿下の聖女――だったのよ……」
リリスは、そう言って、空になってしまったティーカップを両手で包み込むように握りしめ、うつむいた。
「エルは……渡しませんよ。私は、エルがいいんです」
ファナが、恥じる様子もなく、さらりと言った。
「え?」
リリスが思わず視線を上げる。
ファナがティーポットを持ち上げて、微笑んでいる。
「おかわりはいかがですか?」
「ええ……ええ、いただくわ」
リリスは呆然としながらティーカップをソーサーに置く。
ティーポットを傾けながら、ファナが歌う様に言った。
「リリス様は、エルとつながりたいですか?一つに、なりたいですか?」
「え?ええっ?契約ってそういう意味じゃ……」
リリスはファナの言葉に赤面してしまう。
「だって、王子と聖女の契約って、魔力をつなげて、混ぜて、二人が一つになるんでしょう?」
「ええ、でも、なんか、そういう言い方、ちょっと恥ずかしいわ」
赤面するリリスに、魔力の話なのに、とファナは首をかしげる。
「リリス様は、レオナルト様とつながりたいでしょ?一つになりたいでしょ?」
「……まあ、えぇ……」
「そうですよね。晩餐会でのお二人の姿……覚えているんです。私がはっきり覚えている、晩餐会の最後の記憶です。水面が白く輝いて、美しい大きな動物が駆け回って……それも美しかったけれど、微笑み合うお二人が、本当に美しかった……」
「……」
「私も、エルとあんなふうになりたいって――思ったんです。だから、私はエルは渡しません。」
そう言ったファナの瞳は、強い意志を持ってリリスを見つめていた。
「それにリリス様?私、後から聞いたんですよ。『青玉の座』っていうくらいだから、本当は青色に光るだろうに、あの白色の光は何だったのかなって。あれは、『金剛の座』の輝きなんですってね。」
リリスは、微動だにせずファナの顔を見つめていた。
「もしかしたら、その王子と聖女の契約は、魔力を混ぜて分け合うだけの単純なものではないかもしれませんよ?」
ファナは属性判定と魔力量評価の後のセラフィオスとのやり取りを思い出しながら言う。
自分と魔力を通わせたエリオットは、かなり魔力が上がったらしい。だからリリスとレオナルトも魔力を通わせて上がったかもしれないが、エリオットが口止めしていたから、彼女には言えない。
「……そう……なのかしら……私も殿下のお役に……立てるのかしら……」
リリスは言われたことをにわかに飲み込めず、呆然としたままつぶやく。
「……それでも、エルと一つになりたいですか?」
微笑を消した、真顔でファナがリリスをのぞき込んだ。
一瞬その瞳の黒さに、何か獰猛な――人ならざるものの気配を見たリリスは、背筋に寒気が走り、身震いをする。
「いいえ。私はレオナルト殿下がいいわ。」
リリスは首を横に振る。
「そう……よかった。」
ファナはまた柔らかい微笑の表情に戻り、椅子へと戻る。
「魔力というものを、私はこの世界で初めて知りました。この国では、魔力のやりとりは、日常の一部のように受け止められているのかもしれません。けれど、私にはそれが――とても深く、“心の奥に踏み込む”ようなことに思えるんです」
ファナは、膝の上で組んだ手を見つめながら、ゆっくりと言葉を続ける。
「それが――他者を自分の身体の奥深くまで招き入れることだったり、逆に、自分が相手の内側にまで入り込むような感覚だと知ったとき……私は、戸惑いました。私のいた場所では、そんなふうに、根源まで他者と交わるという経験は、ありませんでしたから」
リリスは、あっけにとられた。
彼女はそんな風に魔力を考えたことがなかった。なぜなら、彼女は生まれたときから魔力はともにあり、魔力はそういうものだと信じ込んでいたからである。
「そんな風に考えたこと、ありませんでしたわ。」
「リリス様は、そんな敏感で繊細なものを共有するなら、レオナルト様がいいでしょう?」
「ええ、ファナ様は……エリオット殿下が良いのね?殿下に恋……してらっしゃるのですね。」
リリスが微笑ましそうに言う。
が、ファナはその場で目を見開いて硬直した。
「こ……こい……?私が……エルに……恋?」
「……?ファナ様?」
「そ……そんな……私が?この私が……エルに……恋を……??」
ファナのあまりの狼狽えぶりに、リリスは焦り始める。
「えっ?まったく、全然、自覚なくていらっしゃったの?あんなに仲睦まじい様子で……こんなに御寵愛を受け入れているというのに?」
「ど……どう……どうしましょうっっ!私がこんな、穢れた気持ちをエルに抱いていたなんて!エルに知られたら……きっと、失望される……」
「……本気でそう思っているの?なら、エリオット殿下も浮かばれないわね……」
「ええっ、違うのですか?!」
慌てふためくファナに、リリスは少しだけ余裕ぶった笑みを向ける。
「それは――わたくしが言う事ではないかもしれませんが――エリオット殿下を、彼の言葉、ふるまい、与えてくださるもの、もう一度、よく考えなおしてみれば、おのずと見えてきますよ?」
「……?」
ファナはいぶかし気にリリスを見ていた。
「では、私はそろそろおいとましますね。ぜひ、わたくしたちの契約の儀にはご参列ください。」
リリスはつきものが落ちたように屈託なく笑うと、ファナに手を差し伸べ、握手を求めた。
ファナが思わず、その手を取ろうと手を伸ばす。
――バチッッ!!
ものすごい音が響いて、二人の手が弾かれる。
「あの変態魔術王子……」
リリスは、手をさすりながら、思わず悪態をついた。




