16 独占の結界 ―あの変態魔術王子の置き土産―
「今回さ、僕がファナと同じベッドで寝てても、誰も何も言わなかったよね。セルジュだって小言を言わないし……あとでグチグチ言われるの、覚悟して構えてた僕がバカみたいだ。」
ファナが治療から目覚めて朝食をとったのを見届けると、エリオットは自室の執務机に着いて、晩餐会での出来事をまとめた報告をめくりながら言った。
「……お説教、して差し上げた方がよろしかったでしょうか?」
控えていたセルジュが聞く。
「いや、いいよ。ただ、ちょっと意外だっただけ」
「……殿下がどれほどファナ様を大切に思われ、どれほど必死だったか。あの場にいた誰もが理解しております。あの状況で、殿下がとる行動は必要不可欠なものであり、死にかけたファナ様に無体を働くような御仁ではない、と皆わかっているのです。」
「……そう、ありがとう……」
エリオットは少しきまり悪そうに視線を報告書へと落とした。
「それよりも、ファナ様の方が――驚かれたのでは?あの状況では……殿下と何か“深い関係”に至ったのではないかと、誤解されても不思議ではありません」
「それが聞いてよ!ファナ、僕が『添い寝は魔力の具合を逐一確かめる必要があって、添い寝になったけど、やましいことは誓ってしてない』って弁解したら、何て言ったと思う?!」
「……?」
「『とても、あたたかくて、よかったです。私も村にいる時は、具合の悪くなった弟とよく添い寝をしましたから』だって!!」
「ブフッッ、殿下!全然男として意識されていないじゃないですか!」
「……そうなんだよ!最近距離が縮まって、ファナだって僕の事、多少は意識してくれてると思っていたんだけどなぁっ!」
エリオットは机に突っ伏して泣きまねをした。
「で、殿下。本当のところ、添い寝に一切の下心はなかったのですか?」
「……ごめんなさい。全然なかったとは……言えませんっ!!」
――でも、あんな状態のファナに何かするとか、僕はそんな奴じゃない
とかなんとか、エリオットはぶつぶつ言いながら、再び報告書に目を落とす。
「うーん、水盤は壊されてるし、術式の痕跡もきれいに消されてる……断片からの解析も、完全に無理か。」
「はい、昨日ご報告した後、神殿に術式や魔術の断片からでも解析が可能か、あらためて問い合わせましたが――やはり不可能とのことです。この報告書にはセラフィオス様も目を通されたそうですので、内容に誤りはないものと存じます」
「こうも手回しよく隠ぺいするって、やっぱり、あれはファナを狙ったとしか考えられないよね。」
「やはり、アルセノール公爵家の仕業でしょうか?それでしたら、そちらの方向で調査いたしますが――」
セルジュの言葉に、エリオットは報告書を放り投げると、両手を組んで考える。
「例えばさ、僕が聖女を害そうと、一連の事件を仕組んだ人間だったとしたら、こんな風にあからさまに魔具を壊したり、術式を消したりしないと思う。」
「と言いますと?」
「だって、現に一番に疑われているじゃないか。セルジュは公爵が怪しいって思ったんだろ?」
「……そうですね。しかし、公爵はたとえ怪しまれたとしても、それを黙らせる力をお持ちです」
セルジュが首をかしげると、エリオットは否定する。
「いや、公爵の性格を考えれば、そんな杜撰な計画は立てないよ。彼なら、きっと、水盤が事件後に調査されて術式が明らかになったとしても、自分は無関係だとシラを切りとおすはずだ。」
「なるほど。では一体誰が……」
「おそらく、公爵家とは一切関わっていない、公爵家を犯人に仕立てたい人物だとは思う。」
「そうなると、見当もつきませんね。」
セルジュがお手上げだとばかりにため息をついた。
「とりあえず僕は、別の線から当たってみたいと思うよ。術式魔法研究学会の王都定例大会が明後日だろ?」
「……殿下は、ファナ様を優先されて欠席なさると思っていましたが……」
セルジュは懐から手帳を取り出すと、予定を確認する。
王都で開かれるその大会には、準会員であるエリオットにも招待状が届いていた。
「うん、研究発表は欠席させてもらおうと思ってるんだけど、レセプションだけ参加したい。今年はガラトゥス・ミルドアが基調講演をするんだよ。彼は古術式学を極めた人で、精霊魔法にも多少の理解がある。術式の枠外から魔力を捉えようとした数少ない人物なんだ。」
セルジュが眉をひそめる。
「……魔力を、術式の“枠外”から、ですか?」
「そう。原始魔法から術式魔法の体系化の過程を、術式理論の枠を超えて説明しているんだけど――彼は一度だけ論文で触れてる、“術式の構造外に位置する魔力干渉”っていうやつ。あれが、ファナの精霊魔法と関係ある気がして、ちょっと確かめたいんだ。」
「……こちらにお呼びしてはいかがですか?」
セルジュが意外そうな顔をしてたずねる。
「いや、彼は僕が呼んだくらいで来てくれるような人物じゃないよ。たぶん、陛下が呼んだってダメだと思う。」
エリオットは苦笑しながら言った。
2日後、エリオットはファナが召喚されて以来、初めて一人でセレノア宮から外出した。
「ファナ、なるべく早く帰るから。一人にしてごめんね?」
彼女の両手を取り上げて、自分の魔力を注ぎながら、額に口づけを贈る。
ふわっと魔法陣が浮かび上がり、ファナを頭から包み込んだ。
「この術式は、君の魔力構造に僕のを薄く重ねてるから、外部からの魔力干渉は全部撥ねる。僕以外の誰かが触れようとしたら、反応して弾くよ。……ああ、もちろん軽いやけどくらいで済むと思うけど。」
「殿下……」
背後からセルジュの遠慮がちな声がした。
「半日留守にするだけで、掛けるような魔法ではありませんよ。第一、侍女も、触れられなくなりますが……」
「……あ」
エリオットが瞬きを一つし、それから微笑した。
「……まあ、仕方ないね。手伝いは少し不便になるかもしれないけど……」
視線をファナに向ける。
「でも僕は、君が他の誰かに触れられるのを想像するだけで、気が狂いそうになる……」
エリオットはファナの頬に指を滑らせながら言った。
「ファナ、ごめん。君に少しだけ、不便を強いることになる。でも、今回は……僕がどうしても行かなくちゃならない場所なんだ」
「わかりました。私は大丈夫です!お帰りをお待ちしておりますね!」
元気いっぱい微笑むファナに、また心臓を鷲掴みにされたようなしぐさをして、エリオットは歓喜のうちにのけぞった。
「ほら殿下、行きますよ。今生の別れじゃないんですから」
セルジュに引きずられて、馬車に乗り込み、セレノア宮を発って行ったエリオットを、ファナは見えなくなるまで見送っていた。
見送って、宮の中へ戻ろうと踵を返す。
と、その時、別の馬車がやってくる音がした。
「なにかしら……?」
首をかしげていると、馬車はみるみるやってきて、ファナの前へ止まった。
侍女が下りてきて、スカートの裾を捌きながら一礼すると、丁寧な所作で扉を外から開いた。
「こんにちは、ファナ様。」
優雅な仕草で馬車から降りてきたのは、聖女の法衣に身を包んだリリスだった。
ファナは一瞬あっけにとられて動きを止めたが、はっと気がつくとエリオットとのマナーレッスンを思い出し、優雅に一礼を返す。
「こんにちは、リリス様。ようこそ、セレノア宮へ」
ファナのくったくない微笑に、リリスはほっとしたように、少し肩の力を抜いた。
「……突然の訪問、申し訳ありません。お見舞いと、その……同じ聖女として、少しお近づきになりたくて……」
リリスは、少し迷ってからはにかんで、手を差し伸べる。
「よろしければ……握手を」
ファナは少し驚きつつも、喜んで手を差し出した。
手が触れるか触れないか……
―――バチッ
静電気のような、激しい音がして、二人の手が弾かれた。
「あっっ!」
「えっっ?」
二人の声が重なる。
「魔力……障壁?」
リリスが自らの指先と、ファナとを見比べながら言う。
「―――――あっっっ」
ファナは少し考えて、思い出す。
「先ほどエルが、魔法をかけて行ったんでした!エル以外私に触れない魔法!!リリス様!お怪我はございませんか?!」
ファナはリリスの指先を確かめようと手を伸ばしかけて、また止める。
リリスは瞬時にファナが言っていることの意味を理解して、頬をひきつらせた。
「……エリオット殿下以外触れない障壁? あの変態魔術王子……とうとう術式に独占欲を刻み始めたのね。しかももう、“エル”って愛称まで……いったいいつから、こんなに拗らせてたのかしら」
「……へんたい?とはなんですか?」
初めて聞く単語に、ファナは純粋に疑問を浮かべたまま、首を傾げた。
「ほほほほほっ、なんでもございませんわ! ファナ様、ぜひ聖女として、そして王子殿下のパートナーという同じ立場として……これから仲良くしていただけましたら、光栄ですわ!」
ファナはぱっと顔を輝かせて、小さく手を叩いた。
「あの……リリス様、せっかくおいでくださったのですから、よろしければお茶をお淹れします! 今、私ひとりですし……」
リリスは一瞬だけ戸惑ったように瞬きをして、それからふっと笑んだ。
「……そうですね。火花も落ち着いたことですし、ぜひご一緒させていただきますわ、ファナ様」
二人の聖女は並んで歩きながら、セレノア宮の中へと姿を消していった。




