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刺青の聖女と契約の王子  作者: じょーもん
第二章

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14 危機

 エリオットはファナを抱えたまま、廊下を滑るように歩き、王族の控室の扉を――()破らんばかりに押し開けた。


 室内を一瞥する。

 中央に据えられた、彫刻の施された大理石の長卓。

 王族の客人のために設えられた格式あるそれは、ファナの小柄な身体を横たえるには十分な広さがあった。


 エリオットは躊躇なく、その上に置かれていた花瓶や文書、器具の類を手早く薙ぎ払い、床に散らす。

 そして、ファナをそっと横たえる。


 ――間に合ってくれ……!


 彼女の刺青の状態を正確に視るため、エリオットは法衣の前合わせを素早く解き、首元から下腹部までを露わにする。

 肌の上に刻まれた、光を帯びる魔力回路――それが今も、かすかに明滅していた。


 ――魔力の源より下には、浸食していないはずだ……


 へそから下の回路に異常が見られないことに、一瞬だけ息を吐く。

 しかしその直後、ファナが喉を詰まらせるように咳き込み――赤い血が、再びその口元からあふれ出た。


 ――まずい、また魔力が……肺の毛細血管に達したか?!


 エリオットは即座に、胸部に基本型の治癒術式を展開。

 鮮やかな魔法陣が光を放ち、損傷した組織の修復を開始する。


 やがてファナの唇に、かすかに赤みが戻る。だが、顔色は依然として蒼白のままだ。


 彼は、彼女の両手をそっと握り、自らの魔力を流し込む――


 だが次の瞬間、眉をひそめる。


 ――なんだこれ……ズタズタじゃないか……しかも……この魔力残滓は……




「殿下、神殿医局庁の聖療部から派遣されたネリファス神官をお連れしました!」


 控室の扉が開き、神官たちが入ろうとする。


 エリオットは視線すら向けず、鋭く叫んだ。


「下がれ! 邪魔をするなっ!!」


 だがその中のひとり、ローブの裾を乱さぬまま静かに一歩踏み出した男――ネリファスが、冷静な声で言った。


「……わたくしでしたら、“反転式四層回路”の再接続も対応可能です。術式を正面から読める方が、他にいらっしゃるでしょうか?」


 エリオットは、ようやく顔を上げた。

 その目は、冷ややかな怒気を孕んでいる。


「ファナの魔力は特異なんだ。当代随一の魔力感応性を持つセラフィオスでさえ、わずかな魔力で拒絶された。君たちが無防備に手を出せばどうなるか――想像するのは、容易いだろう!」


「……しかし……」


 なおも引かない気配に、エリオットはついに苛立ちを露わにした。


「この世界で、ファナの魔力に拒絶されていないのは僕だけだ。魔術回路の構造を理解しているし、彼女の魔力を“目覚めさせた”のも、僕だ。僕しか治療はできないんだ――出て行ってくれ!」


 その言葉と同時に、空中に素早く魔術記号が描かれ、簡易結界が扉を覆い、神官たちを空間ごと隔絶する。


 部屋には、ふたりきりになった。


 エリオットは、低く息を吐くように呟いた。


「……僕がやる。僕が彼女を診る。僕だけが……彼女に触れていいんだ」


 再びファナの手を取り、魔力を流し込む。

 もう片方の手で、刺青の文様をなぞるように触れながら――彼はその“構造”を、細かく、執念深く、確認していった。


 エリオットの手が、ファナの刺青の上を静かに滑る。指先に伝わるのは、肌の感触ではない。

 回路の鼓動。魔力のざわめき。そして、そこに混ざる異質な残滓――赤い、まるで毒のような波長。


「……完全に回路が崩れてる。損傷階層、二層目から四層目にかけて……螺旋構造が捩じれてる。こじれて、絡まって……これ、解除しないと……」


 エリオットの目が鋭く細まる。掌に新たな魔術陣を展開し、指先で浮かせた陣をファナの刺青と重ねる。


「反転遮断式、適用……違う、位相が合わない。これは……魔力逆流を利用した“干渉回路型”の外部式……っ、ちくしょう、誰がこんな……っ」


 その時だった。


「……たすけて……いたいよ……エル……」


 かすれた声。喉から漏れる、うわごと。


 エリオットの指が止まった。瞳孔が、かすかに揺れる。


 彼女が、自分の名を呼んだ。意識が朦朧とした中で、それでも――


「大丈夫、聞こえてるよ、ファナ……僕が、ここにいる」


 指が再び動き出す。だがその動きは、明らかに変わっていた。

 冷徹な修復ではなく、慈しむような触れ方へと変化している。


「……よく耐えたね。僕が、全部直すから。もう誰にも、壊させない」


 新たな魔術陣が掌に咲き、青白い光が刺青に沿って流れ出す。

 それは、彼女の崩れた魔力回路を一本ずつ拾い上げ、再接続していく精密な術。


「僕以外じゃ、無理だよ。君の構造、誰も理解できない。僕だけが、君の中にあるすべてを視られるんだ」


 エリオットの声は静かで、しかし異様な熱を帯びていた。

 指先がファナの下腹部に触れかけ、刺青の端をなぞる――


「ここは、侵されてない……良かった……」


 青白い光が、回路全体に広がっていく。呼吸が浅く、しかし規則正しくなり、

 ファナの眉間の緊張が、ようやくほぐれ始めた。


「もう大丈夫。君は……僕が守る」


 彼女の肌に広がっていた赤い波長は、次第に淡く消えていった。





 処置が終わると、エリオットはファナの服を整えて、壁際に据え付けられていた長椅子に彼女を寝かせる。


「……体温も温存しなきゃ……」


 つぶやいて、自分の上着を脱ぐと、彼女にかけた。上着にはずいぶん熱がこもっていた。

 治療に夢中で、上着を着たままなことすら忘れていた。


 額の汗をぬぐいながら、ようやく簡易結界の存在を思い出す。

 それを解除した瞬間、扉が控えめにノックされた。


「殿下、セルジュです。神官様方が面会を希望しておられます」


 エリオットが扉を細く開くと、侍従のセルジュが心配そうに立っており、その後ろにはセラフィオスや数名の神官が控えている。


「セルジュ、馬車の支度を。……それと、彼女に掛けるものを持ってきてくれ。神官たちには――セラフィオス以外、入れるな」


 エリオットの言葉にうなづいて、セルジュはセラフィオスだけを中に入れ、自分は馬車の手配に行く。中に入れてもらえなかった神官たちは、扉の外から動こうとはしなかった。


「……ふむ、どうやら山は、越えたようじゃな……」


 長椅子で眠るファナの顔を見て、セラフィオスが安堵のため息をつく。


「ああ……」


 エリオットは、セラフィオスの方は見ないで、険しい顔をしている。

 セラフィオスは、いつものように髭を撫でながら、言った。


「ネリファスが申しておる。神殿にて静養なさってはどうかとな……」


「断る」


 エリオットは即答した。


「……執着も過ぎれば、かえって聖女様を危うくするやもしれぬぞ……?」


「それでも、断る。ファナを他人に預けるなど――無理だ。」


 二人の間に重い沈黙が落ちた。


 エリオットが、やっとセラフィオスの方を向いて、口を開いた。


「今回の水盤、精霊魔法系の術者に反応する術式が組み込まれていたんだと思う。」


 セラフィオスは目を見張り、落ち着きなく髭を撫で続ける。


「精霊魔法……とな? そんなものが、今さらこの大陸に……?」


「ああ。“魔力の波形に異常を引き起こす反転ルーン”の痕跡が、ファナの魔力回路のそこかしこに残滓として残っていた。あれは、()()()()()()()に特に影響を及ぼしていて――“精霊との共鳴成分”を含む魔力にだけ反応し、逆流現象を起こしたとしか考えられない……」


「……なんと……それほどの術式が、仕組まれておったとは……」


「おそらく、逆流した魔力が回路を一時的に遮断し、神経迷走反射を誘発して昏倒させる――そんな仕組みだと思う。精霊との共鳴性の高い術者ほど、重篤な症状になる可能性が高い。」


「……」


 セラフィオスの、髭を撫でる手が止まる。

 エリオットは険しい表情で目をつぶり、顔を手で覆う手と、絞り出すように言う。


「しかも、不幸なことに、ファナの魔力回路は刺青が増幅器官として機能しているんだ。もともと多い自身の魔力と、反転された魔力で、回路がズタズタに引き裂かれていた。しかも、オーバーフローした魔力は、肺の毛細血管や、神経系まで侵していて……彼女は――どれくらいの苦痛に(さいな)まれたんだろう……」


 再び、二人の間に沈黙が下りた。


 今度は、しばらく考えたセラフィオスが先に口を開いた。


「……それは、すまなんだ。まさか精霊魔法に反応する術式など、仕込まれておろうとは……。検査を任せた者たちも、痕跡すら感知できなかったようでな……」


「……当然なのは分っている。僕だって、起動したときに、気付くことも、反応し、対応することもできなかった。あれは、本当に巧妙に隠されていたと思う……」


 エリオットの声には、静かな怒りと悔恨が滲んでいた。


「だが……いったい誰が、何のために、そんな術式を仕込んだのじゃ? 精霊魔法の使い手など、この大陸では八百年も前に姿を消しておる。以降は……せいぜい、召喚によって一時現れた聖女様くらいなもの……」


「セラフィオス」


 エリオットが顔を上げ、射抜くような視線を送る。


「ファナの魔法が、術式理論では説明できないメカニズムで起動していること――それを知っているのは、誰だ?」


 セラフィオスは再び髭を撫でながら、ゆっくりと思い出すように言葉を紡いだ。


「うむ……まずは、陛下にはしかるべくご報告申し上げておる。それから、各派の大神官、儀式術式局にもな。以前の聖女に似た例がないか調べさせた際、聖遺物管理局へも話が通った。そして、医務庁の高位神官と聖療局の神官にも……万が一に備えて、最低限の情報は共有しておいたつもりじゃ」


「そうか……」


 エリオットは目を細める。


「今日の『天座の水鏡』の担当は、聖遺物管理局だったよね?」


「……なにっ? まさか殿下、神殿の中に聖女様に危害を加えんとする者がいると、そう仰るのか!?」


 セラフィオスは愕然とし、怒りを含んだ声を上げた。


「……あるいは、以前から潜ませていた毒針に、彼女が“たまたま”触れてしまっただけかもしれない。だが――そんな偶然を信じるほど、僕は甘くない」


「……なんということじゃ……もし神殿が、自らの聖女を傷つけたとあらば――儀式の権威など、もはや地に落ちたも同然じゃ……!」


「だから、ファナを神殿には預けられない」


 エリオットは静かに、だが断固とした口調で言った。


「神殿と敵対する気はない。今は騒ぎ立てたりもしない。だけど――信頼なしに彼女を委ねることはできない。それだけは、わかってほしい」


 ちょうどその時、控えめなノック音がして、セルジュが毛布を手に現れた。馬車の支度が整ったという。


「僕は、セラフィオスのことを信頼している」


 エリオットは静かに言った。


「だから、今回のことを正直に話した」


 セルジュから毛布を受け取ると、それをファナにそっとかけ、彼女を優しく抱き上げる。


「……話す相手を間違えないでほしい。僕は、セラフィオスを信じている。だからこそ、正直に話した。僕の信頼を――どうか、裏切らないでくれ」


「……承知した。そなたの言葉、しかと胸に刻もう……」


 セラフィオスは深く、深く頭を下げた。エリオットはその背に何も言わず、セルジュに先導され、部屋を後にした。


 廊下にはまだ数名の神官が残っており、エリオットの姿を見るなり、慌てて駆け寄ってきた。


「聖女様は!?」


「ご無事ですか?」


 エリオットはわずかに眉をひそめたが、すぐに柔らかな笑みを浮かべて応じる。


「大丈夫だよ」


 神官たちの後ろから、先ほど退けられた神官、ネリファスが一歩前へ出る。


「セラフィオス大神官からの説明は、すでにお聞き及びでしょう。それでは、聖女様は我々が責任をもってお預かりいたしますので――こちらへ」


 と、差し出された手を見て、エリオットは無言で笑みを消し、ファナを抱く腕に力を込めた。


「その必要はない。彼女は僕の聖女だ。自分の聖女くらい、自分で面倒を見られる」


 そう言い放つと、神官たちに背を向け、ファナを抱きしめたまま、まっすぐに歩き去った。



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