13 水鏡の罠
国王の乾杯の後、晩餐が始まり和やかな空気で会場は満たされた。
ファナは少々ぎこちないものの、10日間の特訓の成果をいかんなく発揮し、彼女の横顔ばかり見詰めているエリオットの方がマナーが怪しい気配すらある。
レオナルトの横のリリスは、貴婦人たちからの視線のせいかやや表情が硬いものの、貴族令嬢らしい優雅さで食事をこなしている。
食事が進み、会話も一段落ついたころ、華やかな貴族令嬢の一団の中から、ひときわ美しく着飾った令嬢が立ち上がった。
深紅のドレスを纏った、エリザベータ・アルセノール。血のように赤い大粒のルビーが、耳元や首元に、惜しげもなく煌めいている。
食事のざわめきが引いて、会場の視線を一身に集めてゆく。
「皆さま――私、アルセノール公爵家令嬢、エリザベータ・アルセノールと申します。
本日この場にお招きいただきましたこと、心より光栄に存じます。」
広間の中央に進み出た彼女は、優雅に一礼して美しく微笑んだ。
「僭越ながら――筆頭公爵家の令嬢として、また社交界にて若輩の皆様を預からせていただいております立場より、今宵この祝祭に、ささやかではございますが、“余興”をご用意させていただきました。女神より選ばれし聖女様方のお力を、民の皆々にご覧いただけることは、王国の加護に対する確信と、未来への希望をもたらすものでございましょう。」
口上を述べると、壁際に控えていた神官たちに視線を送る。神官たちは恭しく一抱えほどある銀の皿状の水盤と、それを置く台とを、エリザベータの前に設置した。
「こちらにございますのは、神殿に秘蔵されております、第28代王妃マリアベル陛下が聖女として異世界より顕現された際にもたらされた『天座の水鏡』でございます。」
そう言うと、エリザベータは水盤に張られている水に手をかざし、
「“エリザベータ”」
と、名前の魔法を発動する。
すると、水盤の水が紅玉のように煌めきだし、中から美しい炎の孔雀が舞い上がった。
孔雀は優雅に白銀の間のシャンデリアすれすれを飛んで、その美しさに人々は感嘆の声を漏らす。
「このように、“真名”を用いた魔法を水鏡に発動させますと、その者の魔力強度に応じて水面が輝き、所持する属性に従って、美しい情景が顕れますの。もし、ご迷惑でなければ――聖女様お二方に、“聖座の光”をここで顕していただくことは、叶いませんでしょうか?」
広間を一回りした孔雀を肩に止まらせてから、手のひらで撫でて霧散させると、“二人”と言いながらも、まっすぐとリリスを見据えてほほ笑んだ。
――さあ、リリス、『青玉の座』を偽ったあなたの罪を、白日の下に晒して差し上げますわ!
リリスも目を見開き、エリザベータを真正面から見つめる。
衆目の視線が、まるで導かれるように、ゆっくりとエリザベータからリリスへと移っていく。
リリスの顔から血の気が失せ、膝の上に置かれた手は、カタカタと震えている。
エリザベータの唇は弧を描き、目がうれし気に細められた。
「『青玉』の光はさぞ美しくございましょう。さあ、リリス様、どうか今一度、その尊き光を、この場にお示しいただけますよう――」
エリザベータの言葉に操られるかのように、リリスは立ち上がると、ぎこちなくゆっくりと、水盤の前へと進み出る。
「さあ――」
エリザベータが笑みを深くしながら促す。
リリスは震える手をゆっくりと上げて――――
「リリス!」
会場に響き渡る声。椅子を蹴る勢いで立ち上がったのは、レオナルトだった。
彼はツカツカとリリスのすぐ後ろまで歩み寄ると、ためらいなく後ろから抱きしめ、彼女のへそあたりを包むように手を組んだ。
「リリス、大丈夫か?顔色が悪い。 昨夜はあまり眠れなかったと聞いたが、無理をせず、具合が悪ければすぐ言え。」
さほど大きな声ではないが、会場の隅々まで聞こえる声音で言い、そっとリリスの首筋に後ろから口づけた。
「リリス、俺が魔力を補助するから、そのまま発動しろ……」
皆に聞こえない声でリリスに囁くと、レオナルトは、重ねた手と、そっと触れた唇から、静かに魔力を送り込んだ。
――伝導率が悪いが……俺の魔力量なら十分だろう……
リリスは彼の魔力を感じ取ると、微笑んで手を水盤の上へ差し伸べる。
「申し訳ございません殿下……でも、大変心強うございます――」
彼女はあだっぽく笑うと、
「“リリス”」
と魔法を発動させた。
すると、水面はまぶしく七色に輝きだし、星屑の灯を集めたようなユニコーンが浮かび上がる。
ユニコーンもまた、広間の天井付近を駆け回ると、フッと霧散した。
「おお!ユニコーンとは!我が国の国母の象徴!」
「見ましたか?『青玉の座』と伺っていたけれど、あれは『金剛の座』の光だわ!」
「すばらしい、やはりリリス様こそ選ばれた聖女……」
「見ました?レオナルト殿下の御寵愛を!」
貴族たちがこぞって賞賛の言葉を投げかける中、レオナルトはリリスと向かい合って抱きしめると、頬にキスを送る。
「ありがとうございます……」
リリスが彼にしか聞こえないように囁くと、レオナルトも
「……当り前だ。お前は俺の妃だからな」
と囁き返した。
仲睦まじく席へ戻っていく二人。その後ろ姿を見送りながら、なんとか令嬢の顔を保ったエリザベータは、それだけでも、さすがと言うほかはなかった。
――どういうことよ!『金剛の座』に『ユニコーン』ですって?しかもなんなのアレ!殿下とは冷え切ってるんじゃなかったの?!
憤懣やるかたない、荒れ狂った心持を無理やり笑顔で押し込めて、ならば、とばかりにファナに視線を移す。
「リリス様があのように美しい光を示された今、もう一人の聖女様――ファナ様にもぜひ、この“聖座の証”を、皆様にご披露いただければと存じます。」
エリザベータのよく通る声に、色めき立っていた貴族たちのざわめきが静まり、今度はファナへと視線が集まった。
ファナは、焦るでもなく、戸惑うでもなく、畏れるでもなく、凪いだ表情ですっくと立ちあがると、恐ろしく良い姿勢で進み出た。ワンテンポ遅れて、エリオットが立ち上がると、
「僕を置いて行かないでよ」
と拗ねた顔で追いついて、エスコートを申出る。
リリスとレオナルトに触発されて、自分も当然出ていくものだと思ったのだろう。
「ごめんなさい、エル。私、緊張していたみたい」
ファナが、エリオットに微笑むと、彼は誰の目から見ても最上の上機嫌になった。
「よし、じゃあ、僕たちもみんなに見せつけようか?」
いたずらめいて囁くと、ファナもクスクス笑う。
――何を見せられているのかしら……
そう思ったのは、水盤のわきで二人を待っているエリザベータだけではなかったに違いない。
二人は仲良く水盤の前に辿り着くと、エリオットは先ほどのレオナルトに倣って、ファナの背後に回り、後ろから抱きしめて、へその上あたりに手を重ねた。そして、首筋に唇を寄せ、
「こうするのが、『天座の水鏡』の作法みたい」
とクスクス笑う。
上座では当てこすられたレオナルトが、恥かしさをごまかす憤怒の表情で二人を睨みつけている。
「さあ、僕たちの魔法を見てもらおう?」
エリオットはファナの右手を持ち上げて、手の甲に自分の手を添えると囁いた。
ファナはうなづいて、魔力を込める。
「“ファナトゥナカ”」
唱えた瞬間、エリオットの目が見開かれた。
――なにかが、おかしい?!
水面に一瞬、見慣れぬ術式の輪郭が浮かび上がった気がした。
その瞬間、ファナの差し出した右手から、刺青を伝って赤い輝きが這い上がる――。
「あっ……」
ファナが小さく悲鳴を上げた。
ファナに触れていたエリオットにも異変が伝わった。
広間の灯が一斉に消える。
一瞬、青白い、幽霊のような輪郭が無数に浮かび上がった気がした。
令嬢たちの悲鳴が上がる中、広間の灯が再び一斉に点いた。
「ファナァッ!!」
エリオットの悲痛な叫びが広間に響き渡る。
エリオットの腕の中で、ファナは意識もなくぐったりとしていた。
「……まあ、なんと恐ろしいっ!」
エリザベータが声高に叫んだ。
「『黒曜の座』とは……かくも、恐ろしい光景を見せてくださるものなのですね?しかも、この程度の魔法で意識を失ってしまわれるとは……エリオット殿下も苦労なさるわね。」
エリザベートは、いたわしげな表情を作るも、ファナの失態という思わぬ収穫に喜色を隠し切れない。
会場の空気は張り詰めたまま、誰もが言葉を失っていた。
ファナの意識を奪ったあの異常な魔力の揺れ――
やがて、その沈黙を破ったのは、ファナを抱きかかえるエリオットだった。
「ちがうな……今のは、“天座の水鏡”が反応する通常の魔力現象ではないと思う」
彼は台の上にある水盤を睨みつける。
「彼女は、正式な名を発して魔力を注いだだけだ。……だというのに、発動直前、水面に刻まれた術式は、見たことのない配置と発光を見せた」
「しかし、殿下。宝物庫から取り出した後、何人もの神官によって、安全性は確かめられています。」
「第一、ファナ様の前にエリザベート様もリリス様も『天座の水鏡』を正常に起動しているのですよ?」
水盤を運んできた神官たちが、心外だとばかりに次々と反論する。
「う……ぁ……」
その時、エリオットの腕の中で、ファナがうめき声をあげた。
見れば顔は土気色で、目元がひどく赤い。手や足が時折ピクピクと痙攣を起こし、口からは、こぽりと血が滴り落ちた。
エリオットの顔色が、瞬時に青ざめた。
――まずい、魔力経路が損傷している。早く手当てをしなければ!
「今はいい、言い訳は後にしろ!」
エリオットは吐き捨てるように言うと、彼女が吐血しているのが見えないよう抱えて、足早に広間を後にする。
神官席から数人の神官も立ち上がり、彼の後を追った。
「ファナ様は身体がお強くないのかしら?」
「でも、判定の魔具を壊されたそうですわ。もしかしたら、お召しになった力に、まだお身体がついていけていないのかしら」
「でも……あれだけの魔力が、あの細い身体に? むしろ……すごすぎて怖いわ」
「あのような倒れ方、日常でも頻繁にあるのではなくて?」
貴族たちはめいめいに囁いている。
エリザベータは、扇子で口元を隠しながら、エリオットの出て行った扉の方を見つめていた。
「……お気の毒なこと。まさか、“黒曜の座”があれほど繊細なお身体だったとは、どなたも思わなかったでしょうね?」
にんまりと微笑んだその顔には、気の毒の気の字も見当たらなかった。




