12 祝祭の開扉
いよいよ晩餐会の当日となった。
セレノア宮から王宮までは、エリオット専用の馬車で向かう。
向かい合わせに座ったエリオットは、窓から差し込む夕陽の中で、ファナの仕上がりを満足げに眺めていた。
ファナが身に着けているのは、この日のために彼があつらえた、特別製の聖女の法衣。
手触りの良い純白のシルクで仕立てられ、袖口と裾には、漆黒の糸で精緻な刺繍が施されている。
その縫い目に沿って黒曜のビーズが編み込まれており、彼女がわずかに身じろぐたび、光を弾いて微かに煌めいた。
胸元から首にかけては総レースの詰襟で、透けるような生地越しに、肌に刻まれた刺青の一部がうっすらと覗く。
模様とも紋様ともつかぬその線は、レースの繊細な柄と溶け合い、神の加護にも、呪いにも見える神秘を漂わせていた。
髪は、本人の強い希望で高く結い上げられている。
それでも、化粧にはさほどの抵抗を見せなかった。
侍女は、顔に刻まれた刺青がやわらぐよう、白粉をはたき、目尻と唇に薄く紅を差した。
――聖女様の黒い御髪には、紅の目元が合うと思っていたので……思った通りでした。すごくミステリアスで、エキゾチックです!
それは、身支度が整った瞬間、侍女が感嘆混じりに漏らした言葉。
そして――
「良いんじゃない? 刺青が薄いと、余計にファナの顔の造形の美しさが際立つね。……あー、もう、誰にも見せたくない。晩餐会なんか、欠席しちゃいたい」
そう言ったのは、何度侍女長に「乙女の身支度に立ち会う男があるか」とつまみ出されそうになっても、耳飾り一つでさえ、侍女に着けさせることを拒んだ王子だった。
馬車に乗っていた時間はほんの少し。すぐに止まってドアが開けられる。
エリオットのエスコートで降り立った眼前には、王城が祝賀の華やかな雰囲気を纏って夕闇の中にそびえたっていた。
「僕から離れないで……絶対に」
エリオットはファナの耳元でささやいたが、その声色にいつもの甘さはない。
ファナも緊張した面持ちで、ゆっくりとうなづいた。
王宮儀礼室の高位女官に先導されて、控えの間に通される。
そこでは神官たちが待ち構えており、ファナの装飾品をチェックしたり、施されている術式の安全性を確認したりした。すべてが終わると、今日の日のためにあつらえられた聖杖を持たされる。
ファナの聖杖は、彼女の座の黒曜を表した漆黒の杖身に蔦模様が彫り込まれ、先端には彼女の保持する全属性を表した6つの宝珠が煌めていていた。
やがて先ほどの女官がやってきて、晩餐会の行われる白銀の間の扉の前へ案内される。
扉の前には、同時に入場するレオナルトとリリスもやって来たところだった。
リリスの手にも、聖杖が握られている。彼女の杖は、白い杖身でサファイアがあしらわれており、先端には、赤、緑、透明の宝珠が煌めていた。
「愚弟よ、聞くところによると、政務を放棄して聖女に張り付いているそうじゃないか。」
皮肉を含んだ声音で言い放ったのは、レオナルトだった。
入場の名乗りが始まるまで、あとわずか。
リリスは一歩後ろに控えている。エリオットもまた、ファナの前に立ち、その言葉を真正面から受け止めた。
「そうだね。でも王家の都合で聖女を召喚したんだ。彼女が困らないように気を配るのは王子の大切な務めだと思うんだけど」
「侍従や侍女まで締め出して、何から何まで手取り足取り……お前のは度を越している。一人の女に溺れることが、王子の務めとは思えんがな。」
「良いじゃないか、僕は王座には興味がない。僕はファナがいて、彼女さえ隣で笑ってくれていれば、王座も名誉も全部いらない。あんたにとっては愚かな弟で好都合じゃないか。」
「それでもだ。王族として果たすべき責任というものがあるんじゃないか?王族は愛欲に溺れていていい立場ではないんだぞ……」
レオナルトの目が、心底軽蔑するようにすがめられた。
「余計なお世話だよ。ファナの聖杖を見ろよ。この一本だけで、どんな意味を持つか、聡いあんたならわかるだろ?彼女がこの国にいるだけで、僕は王子の責務は果たしているんだ。まあ、僕にとっちゃ、そんなことだって、どうでもいい。僕はこの先、彼女の事だけを見て、彼女の事だけを考えて、彼女を喜ばせることだけを生きがいに生きていくつもりだ。」
レオナルトの目元がわずかに動いた。
その弟の眼差しに、後ろに控える少女へ向けられた確かな熱を感じ取る。
「……本当に気持ち悪いな、お前は」
「うん、自分でもちょっとそう思うよ。でもね――」
エリオットは、ファナの手を取った。
指先から、わずかに魔力の脈動が伝わる。
「彼女が笑ってくれるなら、それでいい。正直、国がどうなろうと、僕には……関係ない」
直後、儀式官の低い声が響いた。
「これより、王子と聖女の入場を始めます」
扉がゆっくりと開かれる。
光が満ち、拍手が待つその先へ――二人は歩き出した。
会場は『白銀の間』という名にふさわしく、磨き抜かれた白い大理石の床には、銀の象嵌が祝福を表す魔法陣を模した文様を描き出している。天井には無数のシャンデリアが煌めき、壁の燭台の灯と共に、会場を温かい光で満たしていた。
晩餐会には国中の侯爵以上の当主夫妻や王子たちと同年代の子息たち、神殿の上位司祭が招かれていた。
一部を除いて皆、レオナルトたちには期待のまなざしを向けていたが、エリオットたちに対しては、何とも言えない複雑な視線を投げていた。
そして、先ほど除かれた一部とは、エリザベータとその取り巻きの令嬢たちの事で、リリスとファナに対して侮蔑と敵意を隠そうともしていなかった。
その視線の中を、レオナルトとリリス、エリオットとファナは、好奇も悪意も気にも留めず、一段高い自分たちの王族席へと向かった。特に異世界からやって来たファナに対しては、その堂々たる様に、ちらほらと賞賛の声も漏れたが、その瞳の奥に浮かぶのは、美しさに対する驚きというより――測りかねる“異物”への戸惑いだった。
広間の上座には、すでに国王と王妃が控えていた。
王が静かに手を挙げると、セラフィオスがゆっくりと前に進み出る。
聖女たちは、それぞれ玉座へ向かい、一礼を捧げた。
「皆々様、今宵この場にお集まりのは、ただの祝宴のためにあらず。
これは、神より遣わされた御使いを迎え、我が王国が新たなる加護を得ることを寿ぐ、聖なる契機――」
セラフィオスは、会場中を見渡す。
聖女然とした青玉の聖女から紹介をするのか、何もかも規格外の黒曜の聖女から紹介するのか――
会場中が固唾を飲んで耳を澄ましていた。
「まずは、この地より生まれし聖女。
リリス・エヴァンセール殿。青玉の座に座すその力は、清き水のごとく、静かにして深し。
神託の声に耳を澄まし、民の祈りに応えるにふさわしき者と、神殿は確信しております。」
リリスが一歩前へ出て、優雅に一礼する。
会場が拍手で満たされ、正当なる聖女の姿に、貴族たちの間に、安堵ともいえるささめきが広がった。
「次にご紹介いたしますは――
異界より招かれし、もう一柱の聖女。ファナトゥナカ殿。
その身に刻まれしは、時を超え、言葉を持たぬ大いなる力の系譜。
黒曜の座の象徴を与えられしは、神々しき奇跡の証。
いまだ解き明かされぬ理を内に宿し、我らの時代に問う者なり」
ファナが一歩前へ出て、静かに一礼する。
この王国のマナーに則っているはずなのに、何か感じる異国の典礼の気配が、会場の空気を張り詰めさせる。
会場を、完全な静寂が支配した。誰一人、セラフィオスの言葉の真意を飲み込もうと微動だにしない。
永遠かとも思われたその時、上座から大きな乾いた拍手の音が聞こえた。
会場で一人、エリオットが満面の笑みで拍手を送っている。
会場中の視線を集めても、彼は意に介さず、一人拍手を送り続けた。
やがてパラパラと神官席から拍手が起こり、会場中に広がった。
「二柱の聖女を得て、我らの王国がいかなる未来を築くのか――
それは、今ここに立ち合う、我らひとりひとりのまなざしに委ねられております。
神の祝福とともに、皆様のご加護を――」
緊張の糸が途切れる。
緊張から解き放たれたため息と、好奇、悪意、賞賛、侮蔑……様々な思惑が入り混じった囁きが会場を満たした。
セラフィオスの紹介が終わり、二人の聖女が席へ戻ると、王座に座していた国王がゆっくりと立ち上がった。
その動きに、広間の空気が再びぴたりと静まる。
傍らの侍従が銀の杯を差し出すと、王はそれを手に取り、低く、しかしよく通る声で口を開いた。
「今日という日は、我が王国にとって、またとない節目の日である。
二柱の聖女を迎え、時代は新たな加護のもとに歩み出すだろう。
願わくは、この加護が、民にとって安らぎであり、未来への灯火であることを。
我がリューセイオン王国の栄えと、聖女たちの健やかなる導きを祝して――」
王は杯を掲げた。
「乾杯」
その言葉を合図に、広間中で一斉に銀の杯が掲げられ、澄んだ音が重なり合って鳴り響いた。




