09 聖女と王子のマナー講座
「これから食事はすべて僕ととってもらうから」
エリオットがマナーを教えることが決まった昼食前、彼は高らかに宣言した。
「場所は最初は僕の部屋で、慣れてきたら食堂で向かい合って食べてみようね」
「はい、よろしくお願いします。」
ファナは決意に燃える眼差しで、エリオットを見つめる。
侍従にはもう話が通っていたらしく、すぐに二人分の食事が、ワゴンで運ばれてくる。エリオットはワゴンを受け取り、彼を下がらせると、自室のドアを閉めてしまった。
「人の目があると緊張するだろう?誰も入らないように言ってあるから、力を抜いてね」
「はっ……はいっ!」
「ほら、もう肩に力が入ってるよ?」
エリオットはクスッと笑うと、ファナの後ろに回り、両肩に手をかけた。
それから手のひらで撫でおろすと、彼女の手を取り、窓際の二人掛けのテーブルセットまでエスコートする。
「さあ、どうぞ」
椅子を引いて彼女を誘うと、ファナは緊張から少しぎこちない動きで椅子に腰かけた。
「深く腰掛けすぎないで、そう、半分より後ろくらいで、背もたれには触れない。ああ、君はとても姿勢がいいね」
「はい、儀式ではいつも威厳のある立ち振る舞いをしなければならなかったので……」
ほめられはファナは嬉しそうにはにかんだ。
「それはマナーでも役に立つよ。姿勢が良いとそれだけで美しく見えるからね。」
ファナを座らせて、エリオットは、ワゴンをテーブルの傍まで持ってきた。
「これはナプキン。こうやって膝の上に広げる。」
エリオットはかいがいしく、そっと膝の上に広げ、視線を合わせる
ファナは一つも見逃さないよう、しっかりと見つめ、慎重にうなづいた。
「晩餐会では、料理は一皿づつ出てくるんだけど……今日はファナも初めてちゃんとフォークやナイフを使うだろうから、そっちに集中しよう。まずはスープだ」
エリオットはファナの後ろに回り、彼女の手に自分の手を添えて教える。
ファナは緊張で硬くなりながらも、エリオットが教えることを早く吸収しようと頑張った。
「少しは、できていたでしょうか……?」
手取り足取りの訓練を終えて、エリオットも向かいに座り、昼食をとっていると一足早く食べ終えたファナが、恐る恐る聞く。
「うん、君はとっても優秀な生徒だと思うよ。動きも洗練されているから、以前の世界での経験が生きているんだろうね。じき僕と楽しく食事ができるようになると思う」
「よかった……」
ファナの表情が柔らかくほころんだ。
「矢継ぎ早で申し訳ないけれど、食事が終わったら立ち振る舞いの手ほどきになるかな」
エリオットの言葉に、再び表情を引き締める。
「はい、よろしくおねがいします」
昼食の後は、少し休んでから、そのままエリオットの部屋で立ち振る舞いのレッスンになった。
「ファナはすごく姿勢が良いから、そのままでいいと思う。歩き方も……堂々とした感じで。頭が揺れないのがいいね。でも後でドレスさばきは練習したほうがいいかも。」
「は……はいっっ!」
「ほら、目線を下げないで……」
ずっとソファーで見守っていたエリオットが立ち上がり、ファナの傍に立ち、彼女をエスコートする。
「まあ、この宮の外では、必ず僕が付き添うから、君が一人で歩く機会なんてないと思うんだけどね。いつも僕がサポートしてあげるから安心して。」
「そんなっ、そこまでエル様のお手を煩わせるわけには……」
ファナがあわわてエリオットの顔を見上げると、彼は優しく微笑んでいたが、決して譲らない強い意志をその目に宿していた。
「晩餐会の数日後には、国中の貴族を招いて祝賀舞踏会も開かれるんだ。舞踏会って……知らないよね?社交目的で踊りを楽しむ会……って言ったら伝わるかな?」
「ええ、そのような会でしたら、私の村にもありましたよ。マツリの晩に男と女が踊りあかして、そこで結婚相手を見つける者もいます。」
「ふーん、まあ似たようなもんかな……って、ファナも、そういう相手とか……もしかして、いたの?」
「いませんよ。十三でカムナギィの候補となりましたので、マツリには参加したことがありません。」
ファナがおかしそうに笑うと、エリオットは心底ホッとして胸をなでおろした。
「こっちの舞踏会は、まあ、結婚相手を探すのが目的で参加する人もいるんだけど、それ以外にもいろんな目的でいろんな人が参加するんだ。今回は、僕と君のお披露目も含まれてるから、たぶん最初の方で踊らなきゃならない。」
「……私の村の踊りでは……きっとないですね。」
「うん、たぶん絶対に違う気がする。ダンスも一緒に練習していこうか?」
エリオットは素早くファナの腰に手を回し、腕を引いて回転させ、彼女を自分と向かい合わせになるようにして言った。
ファナはとっさのことに一瞬理解が追いつかなかったが、腰を抱き上げられて、思っていたよりエリオットの整った顔が近くにある事に気が付いて赤面した。
「エル様……近いです……」
「緊張する?でも、舞踏会ではこれくらいか、もっと近い距離で抱き合って踊るんだよ?やっぱり練習が必要だよね。」
「……それも、エル様が教えてくれますか?」
ファナはうつむいて恥ずかしそうに聞く。
「―――っ、もちろんだよ。」
エリオットは、ファナの言葉に喜色を浮かべる。
「他に誰が教えるのさ。本番だって君は僕とだけ踊るだろうから、僕に全部任せてよ」
エリオットの頼もしい言葉に、ファナは安心したように破顔する。
「何から何まで、ありがとうございます。私のパートナーがエル様で、本当に良かった」
「礼には及ばないよ。では、今夜からそちらも始めよう。夜までには音楽を流す魔具を用意しとかなきゃね。」
ファナの純粋な信頼の前に、エリオットは腹の内などみじんも見せない微笑で返すのだった。
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「殿下、本当にこの調子でこの先10日間続けるおつもりで?」
夕食後、今度は中庭でダンスのレッスンの待ち合わせをする主人に、侍従のセルジュは音楽を流す魔具に魔石をセットしながらたずねる。
「何か問題ある?」
ベンチで機嫌よく足を揺らしながら座っているエリオットは、何のためらいもなく彼に答える。
「大ありです。聖女召喚の儀から、殿下は一枚も書類を作っていません。サイン一つもしておりません!ずーーーーーーっと、ファナ様につきっきりで、ちょっと離れたと思ったら、ずっと上の空じゃないですか」
「だって、僕の聖女が来たんだよ?第一、僕に回ってくる仕事なんて、緊急度も重要度も大したことないんだし、仕事なんかより、聖女の方がずっと大事じゃないか。」
「そんな風におっしゃらないでくださいっ!それに何ですか?!今日は私を締め出して、結婚前の男女が、部屋に二人きりでこもりきりなんて、破廉恥な!レオナルト殿下の耳に入ったら、また何を言われるか分かったもんじゃないですよ??」
「やましいことは何にもしてないんだから、いいじゃないか。だいたい彼女は僕の聖女だよ。僕は彼女とじきに契約するし、結婚だってそんなに先じゃない。目くじら立てなくてもいいと思うんだけどね。」
エリオットは面倒くさそうに、セルジュを見やって口を尖らせた。
「それでもですよ。ただでさえファナ様は目立つお方なのですから、いらぬ悪評など立てない方がよろしいでしょう?心ないことを言われて傷つくのはファナ様ですよ?」
「は?そんな言葉、僕がファナの耳に入れると思う?」
言い合っていると、練習用の軽やかなドレス姿のファナが中庭に現れた。
「お待たせしてすみません。よろしくお願いします」
「大丈夫、大して待っていないよ。じゃあ、僕と頑張ろうね」
エリオットはジェスチャーでセルジュを追い払うと、その目にファナだけを映したのだった。




