序 雷と刺青と、遠い国から来た娘
「なんで、正当なる王位継承者である私が、お前のような妾腹と神聖なる儀式に臨まなければならないのだ」
第一王子のレオナルト・ヴァルトリアは忌々し気につぶやいた。その声は、呟きにはやや大きく、すぐ後ろを歩く第二王子のエリオット・ヴァルトリアの耳に届く。
「レオナルト殿下、そのように申されますな。王の血を引く男児は召喚の儀にて伴侶を決めるのは古来よりの習わし。召喚の儀を経て世界を渡った乙女は、強大な魔力を持つ聖女となり、大きな国益となりましょう。」
一歩先を行く大神官のセラフィオスは長く白いひげを撫でつけながら、レオナルトをたしなめた。
「ふん。全く、儀式が18歳になる年の、決まった新月の決まった時刻でないと執り行えないなどと、歳が同じとは、忌々しい。」
レオナルトの憤懣は収まらない。エリオットは無表情を貫いて歩を進めた。
暗く緩やかな階段を降り、やがて一行は広いホールへと出る。壁には無数の灯が揺らめき、神聖な精油の香りが立ち込めている。床には大掛かりな魔法陣が描かれ、この儀式を行う神官たちが取り囲んでいる。
魔法陣の向こう側には、年頃の娘たちが10名ほど並んでいた。彼女らは高位貴族の令嬢たちで、みな美しい容姿と高い魔力を有している王子妃候補だった。聖女の召還は、この世界から選ばれるとは限らないものの、王国内の魔力を多く有した高位貴族の令嬢から選ばれることが多く、彼女らの父親たちの強い要望もあり召喚の儀には候補たちが立ち会うのが恒例となっていた。
「レオナルト殿下、今日この日を迎えられましたこと、心からお喜び申し上げます」
中でも飛び切り着飾った少女が一歩前に進み出て、美しくカテーシ―を披露する。アルセノール公爵家のエリザベータであった。彼女はこの中で最も高位で最も多く魔力を有するといわれており、以前から自分は第一王子の聖女として召喚されると社交界で吹聴していた。
美しいエリザベータの微笑に、レオナルトも機嫌を持ち直して大様にうなづいた。
「静粛に。それでは、リューセイオン王国第三十二代国王が御子、第一王子レオナルト・ヴァルトリア殿下、ならびに第二王子エリオット・ヴァルトリア殿下の、聖女召喚の儀を執り行う」
大神官セラフィオスが朗々と告げる。
神官たちが持ち場につき、令嬢たちの侍女が各々の主人にヴェールを被せ、令嬢たちはひざまづいて祈りの形に指を組み、そっとまぶたを下した。
レオナルトとエリオットは手順どおりに前に進み出て並び立つ。
大神官が聖魔法の祝詞を唱え始め、神官たちが魔法陣に魔力を流す。
二王子は同時に短剣を取り出し、同時に自らの手のひらを切りつけ血を魔法陣に落とす。
全て古来からの手順通りだ。
魔法陣は正しく光を帯び、広間はまばゆい光に包まれた。
やがて光が落ち着くと、魔法陣の中に一人の少女の姿が見えてくる。美しく着飾り、薄いヴェールをかぶって祈りの姿でひざまずくのは、エヴァンセール伯爵家のリリスである。
「なっ……!!」
魔法陣の向こう側にいる乙女たちの中から、エリザベータが驚愕の表情で立ち上がるのが見えたその時だった。
耳をつんざくような雷鳴がとどろき、まばゆい閃光が魔法陣に落ちた。
「キャァっっ」
リリスが短い叫び声をあげ、頭を覆って倒れこむ。
焦げたような臭いがして、白煙の中から青白い稲妻を纏った乙女が現れた。
黒々とした髪を結いあげて、赤い櫛を挿し、耳には大きな耳飾りをしている。首からは鈍く光る大きな緑の石のペンダントを下げ、手首には何重かの貝の腕輪をしており、服は動物の皮をつなげたようなものだった。そして何よりも異様だったのは、顔にも腕にも足にも、見えている肌中に渦のような不思議な模様の刺青が施されていることだった。大きな黒い瞳は見開かれて、呆然と立ち尽くす二王子をとらえていた。
場を支配した静寂を破ったのは、第一王子のレオナルトだった。
「リ……リリスっ!私の聖女は、私の妃は、リリス・エヴァンセールであるっ」
レオナルトは腰を抜かしてその場にくずおれているリリスの手を引いて彼女を立たせ、魔法陣から引きずり出す。
「殿下っ!勝手なことはっ。どちらの聖女がどちらの殿下の妃か、まだわかりませんぞ!」
大神官が慌てるが、レオナルトは叫んだ。
「私の妃は、このリリスだっ。このような不気味な刺青だらけの乙女が、この正当なる王位継承者の妃であるものかっ」
リリスは最初混乱していたようだったが、レオナルトにかき抱かれて自分が選ばれた実感がわいてきたのか青白かった頬に色が戻り、微笑みすらした。
彼女はレオナルトの肩越しに、魔法陣の向こう側で悔し気に唇を嚙むエリザベータを見つけて、優越感から口角が自然と上がった。
「レオナルト殿下、わたくしを選んでいただき、誠にありがとうございます。必ずや殿下のご期待に応えてみせますわ」
リリスはレオナルトにしなだれかかりながら、微笑んだ。
レオナルトは満足げにうなづくと、彼女の腰を抱いて、自らの侍従や騎士を引き連れて広間を後にする。
第一王子の一行の後には、選ばれなかった乙女たちが各々の侍女を従えて退出していく。最後尾には顔を手で覆い、侍女に支えられたエリザベータがよろよろと付いてゆく。彼女は最後に振り向き、すごい顔で召喚されたもう一人の聖女を睨んだが、何も言わず広間を退出していった。
広間には、大神官と神官たち、そして第二王子のエリオットと、刺青の乙女が残された。
「……ねぇ、君……」
エリオットが彼女に手を伸ばし、話しかけたその時、刺青の乙女の真っ黒い瞳からフッと輝きが失せ、彼女は膝から崩れ落ちる。
「危ないっ」
思わずエリオットは彼女を抱きとめた。
刺青の乙女はくったりと脱力して、気を失っている。
「セラフィオス、彼女が、僕の聖女?」
エリオットは彼女を抱いたまま、大神官のセラフィオスを不安げに見やる。
セラフィオスは眉間にしわを寄せて、目をつぶってひげをさすりながらしばらく考えた後、重い口を開いた。
「わかりませぬ。しかし、レオナルト殿下のあのかたくなな態度……どうにもなりませんな。」
「そう……だよねぇ」
エリオットは困ったように眉を下げて、刺青の乙女を見やる。
「僕がこの娘のパートナーになるとして、何か問題はありそうかな?」
エリオットの問いに、セラフィオスは少し考えて答える。
「複数人の王子が一度に儀式を行うのは、珍しいことではありません。複数人呼び出された場合は、本来ならば魔力の相性を確かめてから相手を決めるのが慣例ですが……勝手に相手を決めてしまうなど、こんなことは前代未聞で、わかりませぬ。」
「そっか……」
エリオットは彼女の頬をなぞりながらつぶやくように言った。
「この娘、どこから来たんだろう。王国の娘じゃないよね?」
「むぅ……もしや、この世界ですらないかもしれませんな。まあそれは追々調べますとして、ひとまず引き上げましょう。」
「うん、とりあえず、この娘は僕が連れて行くよ」
エリオットは彼女の膝裏に手を差し込んで、抱き上げた。
「では殿下、後でそちらにも伺わせていただきます。」
セラフィオスはエリオットに会釈し、魔法陣を片づけている神官たちの方へ行った。
エリオットは刺青の乙女を抱き直して、彼女の意外とあどけない寝顔を見やった。
何とも言えない感情が沸き上がり、口元が自然と緩んでしまう。
(僕の……僕だけの聖女……僕の、妃……)
腕にかかる重みが、確かな実感としてそこにあった。