第17話「友愛」
施設職員の中に友人が一人できた。彼の任は僕の支援のようだが、監視が本来の目的と見るべきだろう。毎日決まった時間にボタンを押すだけの仕事で、助けがいるわけがない。とはいえ、何だかんだ意気投合した僕たちは楽しくやっていた。ある程度親しくなったところで、僕は彼に聞いた。組織の本当の目的について――。
「もうおなかいっぱい」
微生物を咥えてはヤブカの口へ五回ほど運んだところでヤブカはそう言った。僕は捕まえたばかりの微生物を勢いよく飲み込んだ。
「もういいのか?」
「うん。ありがとう」
満腹であることを示すように丸い腹を突き出して見せると、ヤブカは兄弟の波へ紛れていった。その後ろ姿を見ながら、僕は深く息を吐いた。――甘えん坊なのはいいが、あんまり構いすぎると一匹だけ贔屓してると思われる。そうなればヤブカはきっといじめられるだろうし、僕だって皆から嫌われるだろう。ちゃんと他の奴らのことも見てやらないと。
そんな事を思っていると、どこからか鳴き声が聞こえてきた。慌てて駆けつけてみると、何匹かののボウフラたちが集まっていた。彼らの視線の先には何やら言い合いをしている様子の二匹のボウフラがいた。
泣いている二匹とは落ち着いて話もできそうにないので、ギャラリーの一匹に話を聞いてみることにした。
「何があったんだよ」
「サクラがたべてたごはんをムクがとったの」
彼女の話ではサクラが食べていた餌の欠片を、そうと知らずにムクが食べてしまったらしい。どうやらそれが喧嘩の発端らしい。
僕はボウフラたちをかき分けて二匹のもとへ向かった。同時に顔を上げた二匹。先に声を上げたのはサクラだった。
「おにいちゃん! ムクくんがわたしのごはんをとったの!」
「でも、わざとじゃないもん! めのまえをおよいでたからたべただけだもん!」
「とったの!」
「ちがうよ!」
二人の言葉は互いに一貫しており盗った、わざとじゃない、の一点張りだった。僕にはこの喧嘩をどう収めたらいいのか分からなかった。
ムクがサクラの餌を横取りしたのは確かなようだが、かといってムクばかりを責めるのも間違っている気もする。親としても兄としても最良の答えを出せずにいた。
古い記憶にある保育士やら学校の先生やら親の姿を思い出してみる。
喧嘩した時、有耶無耶な感じでブツ切りにされてムカついた記憶。そのせいで嫌いになった記憶。でも、喧嘩した相手とはいつの間にか仲直りしていた記憶――。
そうか、僕がやるべきなのは仲直りのきっかけを与えることだけ。その後は当人の意思に任せるべきだ。
僕は二匹の間に割り込み、ムクの前に立った。
「ムク、サクラに謝りなさい」
「わざとじゃないのに〜!」
「わざとじゃなくてもサクラのご飯を盗っちゃったんだろ。もし自分の物を盗られたら、ムクはどんな気持ちになる?」
「……ヤなきもち」
ムクはそう呟くと俯いて静かに泣き出した。自分の行いを省みているのか、それとも自分は悪くないのに怒られていると思っているのか、それは分からない。小さく震えるムクを僕はそっと抱きしめた。
「サクラもきっと、そんな気持ちになったんだよ。だからちゃんと謝ってあげて。気持ちが落ち着いてからでいいからさ」
「……うん」
続いて、僕はサクラの方へ向き直る。サクラは不貞腐れたように唇を尖らせ、顔を背けていた。
「ムクのこと、許してやってほしい。ご飯を横取りされてサクラが嫌な気持ちになったことも分かる。でも、わざとじゃ無かったんだ。ご飯はまだ沢山あるしね」
「でも……」
「サクラ、ご飯取るの上手なんだろ。まだできない奴もいるのに偉いよ。だから、そんな子を助けてあげてほしい。ご飯も皆と分け合ってほしいんだ。一緒に暮らす家族なんだからさ」
「わかった」
完全には納得していない様子だったが、そう答えてくれた。僕は彼女の頭を撫でてやった。
僕はそのまま群れの中へ戻った。そこからこっそりと二匹の様子を見守る。すると、ムクは逃げ出すようにどこかへ泳いでいった。しばらくすると、原型を留めていない何かの死骸の欠片を咥えて戻ってきた。
「サクラちゃん……これ」
ムクは何かの死骸をそっと差し出した。
「うまくできなかったけど、がんばってとったの……ごめんね」
サクラは罰が悪そうに視線を泳がせながらムクに歩み寄る。
「わたしも……ごめんね。わざとじゃなかったのに……」
サクラはムクが差し出した死骸を少しだけ噛みちぎり、残りをムクの方へやった。
「はんぶんこにしましょ! それと、わたしがごはんのじょうずなとりかた、おしえてあげる!」
「ほんと? ありがと!」
その様子を見て、僕はちょっと感動した。親代わりといっても、所詮は真似事に過ぎない。でも何とか良い感じになったみたいだ。
その数日後、二匹は楽しそうに餌を採っていた。二匹だけじゃなく、他の皆も餌を摂るのが上達していった。お互いに教えあう様子を想像すると、微笑ましく思えて胸が温かくなった。
*
変わり始めたのは家族だけじゃなく、僕自身もだった。三度ほど脱皮を重ね、体が幾分か大きくなっていた。四度目の脱皮、それが始まろうとしていた。
体を水面付近まで泳がせる。自分の意思とは違う本能のようなものでそれを行っていた。今までにない異様な感覚が全身を襲う。
やがて、背中のあたりが裂けた。透明な膜を破り出てきた僕の新たな体。それは以前のものとは少し違っている気がした。
酷い眠気の中、僕は水面付近に浮かび続けていた。
――おにいちゃん。
声が聞こえる。
――おに……ちゃん。
今すぐにでも泳いでいきたい。けれど、僕の体は少しも動かなかった。
…………。
誰かの声が聞こえる。声の主は分からない。けれど、聞いたことがあるような……。これは夢なのだろうか。
…………くん。
◆
「はじめくん!」
膝の上で座る少年が、声をかけてきた。ふと見上げた時計は休み時間終了の五分前くらいを差す。
俺達がいるのは「学校」だ。でも、ただの学校じゃない。ここは死者が転生までを過ごす場所なんだ。
転生の十日前、俺は教室を見つめていた。
一人、また一人と転生していき、教室には空白が増えていった。
「それで、春輝も明日転生……そういえばお前、今朝春輝の見送りしてただろ」
その日の朝、俺は春輝と最後の挨拶を交わしていた。
転生の儀を行うため、「神の部屋」へと誘われる春輝。その背中に声を掛けた。
「俺、生まれ変わったら絶対会いに行くから! 死んだりするんじゃねぇぞ!」
「うん! 僕、生きるよ! 何があってもね!」
その前日、俺は春輝から来世での目標を教えてもらった。
「春輝くんは、生まれ変わったら何したい?」
「……お父さんやお母さん、皆に会いたい」
転生した俺は、同じく転生していた春輝と再会した。しかし、言葉を交わすことは叶わなかった。転生の際に記憶は失われるため、あの時の約束を果たせるかすら分からなかった。
――これはあの子の記憶、心を形作っていたものです。「学校」や転生の儀にて魂から抜き取ったもの。
否、記憶は別の形となって保存されている。けれど、苦痛の記憶は転生の瞬間まで人々の心に残り続ける。
「屋上に連れて来られた。何人かにスマホを向けられて、『ここから飛べ』って言われた。変な話だけど、俺はこいつらの期待に応えなきゃって思った」
蒼太は俺に話してくれた。蒼太は「学校」で最初にできた友達だ。いつも馬鹿なことばかりしていて、俺たちのムードメーカー的な存在だった。
―― バカな振る舞いをして、バカなことやって、何も考えずにバカとして生きていれば苦しくもない。
そう言いながら蒼太は自嘲気味に笑った。
その二日後、俺は神の部屋にいた。
「あなたへの罰は『蚊に転生すること』です」
転生の日に春輝が手渡してくれた一冊の本、それは春輝の大切なもの、副葬品だった。それは他者の手に渡ることは禁じられていたのだ。
罪の代償として、俺は蚊に転生した。それが波乱の幕開けであった。
最初の転生ではある少女によって殺された。その時の俺の肉体はオス。つまり血を取り込むことはできなかった。しかし、人間にそんなことは関係ない。メスの蚊に罪を被せられ、俺は死んだ。
「つ・か・ま・え・た・♡」
二度目の転生ではメスの肉体になったが、ある男性を吸血している間に殺された。
その後も転生を繰り返し、蚊としての生を繰り返していた。
◆
断片的な記憶の欠片たち。それは唐突に途切れる。そして、代わりに不可解な光景が映る。人々に襲いかかる異形の黒い生物の姿。――ただの悪い夢だ。目を覚ませばこれまでと変わらない平穏が、家族が待っている。
闇が世界を包み込んでいる。卵の中にいた時のような柔らかくて温かな世界。サナギとなった僕は、その闇の中で同じ夢を繰り返し見続けていた。
つづく




