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蚊としての人生  作者: 内田らいす
第二生:本能のままに
14/21

第14話「蚊、ふたたび」

その名が示す通り「救済」を掲げる組織。奇妙なことに、接触を図ったのは彼らの方からだった。怪しい気もするが、考えるのは後回しだ。日本の常夏化は僕一人では成し得ないものだと分かりきっている。目標達成に少しでも近づく為、彼らの力を借りよう。

 これからまた蚊として生きていくのね。心機一転、今度こそ美少女の血を思う存分吸ってやるわ。

 前話では無慈悲にも遮られた決意の言葉。だけど今回はそうはいかない。

 私は早速、行動を開始した。


 今度こそ運良くその辺りを歩いていないかと思い辺りを飛んでみたものの、道端にいるのは老婦人や主婦と思しき女性ばかり。美少女にはなかなか巡り会えない。そもそも、通りかかっても自転車や車で駆け抜けられてはどうしようもない。でも、まだ始まったばかり。へこたれてはいられない。

 ひょっとして、都心部ならアイドル級の子や現職のアイドルも普通に歩いているのかしら。でも、可愛い子は日本中にいるはず。だからこそミスコンなるものが開かれるわけだし。


 女の子が集まる場所について、前世の記憶からまず思いついたのは、学校。確かに人が多く集まっていたし、美少女とも遭遇できた。でも――。

 あの時私を潰した少女の姿が脳裏に浮かぶ。あんな風に見かけによらずえげつない子だっているだろうし、人が多いということはその分、死のリスクも大きいということ。

 次に思いついたのはカフェや喫茶店。あそこなら、静かで、人も学校ほど多くはないはず。それに、美少女もいるはずだと、私の持つイメージが言っている。


 それじゃ、早速……と、その前に一旦自分がどこにいるのか確認してみることにした。どこか分かれば、何かいいアイデアも浮かぶかもしれない。そう考えたからだ。

 相変わらず酷い視界だけれど、標識に書かれた地名を何とか読み取ってみる。そこに書かれていたのは――読めない文字だった。否、それが感じであることは分かるし、確かに見た事はある。けれど、何故か読めない。形容できない気持ち悪さと恐怖が全身を襲った。

 ひょっとしたらここは私の知っている日本ではないのかもしれない。何か大きな出来事があったか、それとも日本によく似た異世界だったりして……。

 というところまで想像して、すぐにそれをやめた。そんなことあるはずがない。きっと、蚊になったから文字を文字として認識できなくなった。それだけのことだろう。蚊のコミュニケーションでは文字なんて使わないから。

 私は嫌な想像を振り払うように、その場を後にした。


 改めてカフェへ向かっていると、どこからか声が聞こえてきた。


「よう! そこの彼女! 今から俺と交尾しない?」


 見ると一匹の蚊が飛んでいた。

 私はその蚊を無視することにした。あんなデリカシーのない――というより、そもそも蚊にはそんな概念が無いと考えるべきかもしれないが――蚊には関わらない方がいいに決まってる。いきなり本番行為に誘うだなんて。

 しかし、その後も蚊は私に付きまとってきた。


「何だよ、ツレないなぁ」「ねえねえ、無視しないでよ」「もしかして、恥ずかしがり屋なのかな? 可愛いなぁ」


 だんだん私の方も苛立ってきた。ここはガツンと言って追い払った方がいいかもしれない。私は息を大きく吸った。


「いい加減にしてよ! 私はこれから血を吸いに行くんだから、邪魔しないで!」


 すると、蚊は急に勢いを無くしてよそよそしい雰囲気になった。


「あ……そうだったんだ。すんません、じゃあ、さいなら」


 そのまま蚊はどこかへ飛び立っていった。私はうきうきとした気分で先を目指した。それにしても、どうしてあの蚊は急にあんな態度になったんだろう。私の迫力に負けたにしても潔すぎる気がする……。

 その時、私は蚊についてのあることを思い出した。血を吸うのは卵への栄養を得るためだということを。

 え、私もうやっちゃった後ってこと? ということは、さっきの私の発言って……。

 私は顔が熱くなるのを感じた。両手で目を覆い隠して、わけも分からず飛び回った。もうカフェどころじゃなかった。恥ずかしすぎて、一刻も早くどこかへ隠れたかった。

 ちょうどいい街路樹を見つけたので、葉の裏で顔を抑えながら悶えた。


 少し興奮が覚めたころ、ふと何かを感じた。何かはよく分からないけれど、とても魅力的な何かを。

 何かに惹かれて飛んでいくと、一人の男性に辿り着いた。若々しく筋肉質な肉体に力強くて勇ましい端正な顔立ち。イケメンがそこにいた。それを見た途端、胸にズキリと痛みが走った。


――何だかドキドキする。一体どうしたっていうのよ。この胸の高鳴りは彼が健康的で、血液がおいしそうだから? それとも、彼がムキムキのイケメンだから?


 蚊としての本能か、女としての本能か、私の体はフラフラとその男性へと近づいていった。


――ダメよ! 私には、女の子の血を吸うって目的があるのに。この転生だって、そのためにしたのよ。なそもそも私、男の血なんて……でも、気持ちを抑えられない。

 そして、ついに私は男性の腕に止まった。ほんのりと香る汗の匂い。ひょっとして、彼は走ってきたのかな。何て考えてしまう。

 そんな私の予想の答え合わせのように、乱れた荒い息遣いが聞こえた。その度に、私の心は震えた。


――そっか。彼の吐息、二酸化炭素が私をここに導いてきたんだ。それなら、きっとこの出会いは運命だったんだわ。

 抑えられぬ衝動のまま、私は彼の腕に口を近づけた。あなたの血を……少しだけでも……。


 まず、彼の皮膚に傷をつける。――ごめんなさい。心の中で謝りながら皮膚を切り裂き、できた傷に素早く針を差し込む。その際に血が固まらぬように、さらに痛みを感じないように唾液を流し込むことも忘れない。

 もう少しで私たちは結ばれる。ヘモグロビンで染められた、血液という名の赤い糸で。

 そして、その時が訪れる。人間だった頃、ストローを使った時のように吸ってみると、口の中に熱が広がった。彼の血液が私の中に少しずつ流れてくるのを感じる。よく表現される鉄錆の味とはまた違う味がする。上手く表せない不思議な味だ。

 彼の腕に止まっていると、心地よくて安心する。彼とひとつになって、いつまでもこうしてい


「うわっ、蚊だ。死ね」


 次の瞬間、真上から振り下ろされた彼の掌によって私はぺしゃんこに潰された。力強く、鮮やかで、私では見逃してしまうような殴打だった。そのまま体を摘まれると、「気持ち悪い」という罵倒の言葉とともに、地面にごみのように捨てられた。遠のく意識の中、駆け寄ってくる足音が聞こえた。


「あ! おーい!」

「ごめん、私遅れた?」


 女性の声……まさか……彼女?


「いや、俺が早く来ちゃっただけ。でもそのせいで蚊に刺されちゃって……痒いよ」

「大丈夫! じゃじゃーん! 某有名な虫刺され用のお薬! ちゃんと持ってきてるから」


 何よ……某有名な虫刺され用のお薬って……。匂いだけで分かるわ……それ、ム〇でしょ……普通に〇ヒって言えば……いいのに……。そっか、これが俗に言う「おもしれー女」ってやつね。


「ホント? さすが用意周到だね」


 ああ、私が触れた場所に薬が繰り広げられていく。私と彼の唯一の繋がりが壊れていく。私たちを結んでいた赤い糸が解かれていく。他ならぬ、彼自身の手によって。

 数分もすれば、薬が塗り広げられた彼の腕からは私が存在した証である痒みも、腫れも、皮膚の赤みすら消えてしまう。後に残るのはほのかなハーブの香りと清涼感だけ……。


「じゃあ、行こうか」


 私にはもはや何をする力も残されていない。それでも、せめて彼女の姿を目にしたい。もともと視力の弱い目ももう見えない。けれど私には視える。彼が選んだ彼女の姿が。その姿は、私が望む美少女そのものだった。

 と、いうことは――。


「もう少し…………待ってたら……吸えた、のかな……美少女の血……液」


 それでも、彼の血を吸ったことは決して間違いじゃなかったと思う。

 私の骸はここで孤独に朽ちていくばかり。けれど、きっと二人は手を繋いで、二人だけの時間を、二人だけの世界を歩いていくのだろう。

 きっと明日になる頃には、私の存在なんて彼の記憶には残っていない。けれど、この時に彼女と交わした言葉はきっと彼の記憶に残っているはず。


――二人とも、幸せになるのよ!


 二人の足音と共に遠ざかる世界。消えつつある私の内が、じんわりと何かで満たされていく。

 その温もりは、血液とは少しだけ違っていた。

つづく

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