第13話「神の部屋/接触」
フロンの規制が想像より厳重で、あいにく少しも入手できていない。化学の知識が乏しい僕にはフロンの構成元素すら分からず、生み出すこともできない。このまま僕たちの夏はここで終わってしまうのだろうか……。様々な情報を仕入れる内に、ある地下組織の存在を知った。組織の名は、環境再生機関サルベイション。
少女の手によって殺された俺は、再び向こう側へ行くことになった。短い時間だったけれど、蚊として生きるのも案外悪いものじゃなかった。とはいえ、もう一度というのは遠慮するが。
何の後悔も未練も無い。まあ、美少女の血を吸うという目標は達成できなかったが仕方ない。そもそも俺はオスだったんだから。それに、これは罰だったんだ。楽しむために与えられた命じゃないことは分かってる。
さあ、「神の部屋」へ行こう。今度こそ人間として生まれ変わるために。
新たな旅路の始まり。その第一歩を踏み出すことすらなく、俺は「神の部屋」にいた。恐らく、俺の死を察知した神様がここへ直接送ってくれたのだろう。相変わらずだだっ広い空間に、玉座がポツンと置かれただけの殺風景な部屋。神様はやはりその玉座にいた。
よく見ると以前来た時とは玉座が変わっていた。その上、その周りの床は一層丁寧に磨かれており、鏡のように反射している。それどころか、もはや輝きを放ってすらいる。
新たな玉座に心を踊らせる神様と、丹念に床を磨くお付きの人――恐らくはあの白服たち――の姿を思わずイメージしてしまう。
「おかえりなさい。待っていましたよ」
神様は笑顔で迎えてくれた。あの少女の狂気的なものとは違う、心が解けていくような暖かくて優しい笑顔だった。
「蚊としての日々は楽しんでいただけましたか? ……と言っても、あくまでも罰なので楽しむ余裕など無かったかもしれませんが」
確かに散々な結果だった。あれはあれでスリルはあったが、生と死の狭間で生きるハラハラドキドキな人生なんてこれっぽっちも望んじゃいない。
だけど――ひょっとして俺がメスだったら何か違う結末もあったのかな。もう無意味だと分かっているが、そう考えずにはいられなかった。おかしなことに、俺の頭のなかはそのことでいっぱいだった。
「それでは、改めて転生の儀を行います。あなたの魂を、本来あるべき姿へ――」
「あの……!」
突然飛んだ声が神様の言葉を遮った。神様は不思議そうな様子で俺を見つめていた。それを見て初めて、さっきの言葉は俺が発したものだと気づいた。けれど、言葉を続けられない。俺は何を言いかけたんだ? 何を言おうとしたんだ?
場を繕う言葉すら喉元でつっかえて出てこない。俺は絞り出すように、強引に言葉を引き出した。
「今度はメスの蚊に転生させてください」
空気が凍りついた。神様は漫画の一コマのように目が点になっている。何とか理解しようとしているのだろうが、発した俺ですら理解できていないのだから、神様はさぞ頭を悩ませていることだろう。
――何言ってんだ俺! せっかく人間に戻れるってのに!
心の中で自分にツッコミを入れるが、それで何かが変わるわけもない。一度口から出た言葉を無かったことにはできない。
ダラダラと流れる冷や汗が俺の額を伝う。落ち着かない様子でソワソワしていると、突然神様の瞳から涙が零れた。今度は俺が呆気にとられた。
「罰を受けてもなお贖罪を願う心……何と清らかなんでしょう」
き、清らか? いやいや、罰を願うだなんてただのドMじゃないですか。何か変な勘違いをさせてしまっている。一刻も早く取り消さなければ。
けれど「誤解です」の一言すら発することはできなかった。
「うぅ……ぐすっ……何と素晴らしいんでしょう……おいおいおーいおい おいおーい おーいおいおーい おい……」
いくらなんでも泣きすぎじゃね? 「おーいおい」って泣き方するやつ初めて見たわ。あれって「おいおい泣く」を誇張しすぎた漫画的なやつじゃないのかよ。
「この泣き方は……私たち神族にとって最上位の敬意や感動の現れなんですぅ……おーい おい……」
いつまで泣いてるんだ……。神様ってこんなキャラだったっけ?
まあ、神様みたいな人間を超越した上位の存在のことなんて俺たちに理解できるはずないもんな。そういえば、日本の神には和魂と荒魂ってのがあるって聞いたことある。このキャラ崩壊だってそういうものだと思えば何ら不思議なことじゃない。
「あの、転生のことについてなんですが」
神様のキャラ崩壊というおかしなものを見たことで逆に冷静になれたからか、少しの詰まりもなく声を出すことができた。そう、早く誤解を解かなくちゃならない。メスの蚊なんかじゃなくてちゃんと人間になるんだ。そして、約束を果たすんだ。
自分より少しだけ歳上のお兄ちゃんとなった春樹――何度でも言うが、今は翔太という少年に転生している――と出会い、友達になって一緒に遊ぶ。その光景をイメージするだけでも自然に笑みがこぼれる。
「俺は蚊じゃなくて人間に――」
「そうですね、人間にするだなんて勿体ない。喜んで蚊に再転生させます。お望み通り、メスとしてね」
そうじゃないってば! 何なんだよ今日の神様は! キャラ崩壊なんてモンじゃないぞこんなの!
それを口に出す間もなく、周囲に眩い光が広がり始めた。
――あぁ……これ転生する時のやつだ。逃れることのできない確定演出だ。
何が何だか全く分からないけど、どうせメスの蚊になるのなら、今度こそ美少女の血を吸っ――!
決意を言葉にし終えるより前に、俺の意識は光の粒となって霧散した。
つづく




