第12話「越えられない壁」
フロン類について調べてみると、どうやらエアコンや冷蔵庫といったものの冷媒に使われていたようだ。人々に快適さをもたらす物が、逆に人々の脅威となっていたとは滑稽なことだ。だが、人間も馬鹿じゃない。現在ではフロンを使わない物へ切り替えられているようだ。
春輝――今は転生して翔太という名前だ――と別れた俺は、美少女探しを再開した。
さて、美少女はどこにいるのやら。記憶から美少女――特に女子高生がいそうな所をあげてみる。学校、プリクラ機、テーマパークやスイーツ店……だいぶイメージが偏りがちな気もするが、こんな感じだろうか。
彼女の一人でもいればこういうことにも詳しくなれたのかな。まあ、できる気はしないけど。蚊に転生したのをいいことに、美少女の血を吸おうとしてる変態だから……いや、ヘンタイじゃねぇから! 蚊に転生するのを受け入れる理由として仕方なくというか、蚊として生きる上での目標であって……やめよう。否定する言葉を並べたところでその考えを持ったという事実は変わらない。そもそも誰も聞いてないし。それに、俺が何を考えているかなんて、誰にも分からないじゃないか。客観的に見れば、一匹の蚊が吸血した相手がたまたま美少女だった、ってだけだ。その目的なんてどうだっていいはずだ。
とりあえず学校に行ってみることにした。人の数が多い分、美少女にあたる確率も大きいと考えたからだ。しかし、自分がいるのがどこなのか分からない。日本のどこかなのは確かだが、正確な地域や地名などはさっぱりだ。まあ適当に飛んでいればそのうち分かるだろうし、学校にもつくだろう。多分。
俺は街を見渡せるように、と空高くから街を見下ろした。そこから見えるのは数多くの家、家、家……じゃない。何も見えない。正確には、モノクロームの視界の中で酷くぼやけた像が何となく見える。蚊の視力ではこんなものなのか。と、なると他の方法を考えなければならない。一体どうしたものか。
頭を悩ませていると、また何かを感じた。さっきのものとは違う、匂いでも音でも、まして視覚でもない。人間だった頃は感じたことのない感覚だった。その意味を考える間もなく俺の体は動き出していた。その何かは大きく感じられるようになった。
そして、その場所にたどり着いた。俺の目では、大きな何かの影があるようにしか見えない。けれど、確かに視える。ここには沢山の人間がいる。とりあえず行ってみよう。この建物が何か、考えられるものは多いが、俺にとっては「学校かそれ以外か」の二択しかない。
窓と思しき場所から中を覗くと、三十人程の人影と、賑やかな声が聞こえてくる。
「ねえ、見てコレ! 可愛くない!?」「え! 買ったの!? いいな〜」「やべぇめっちゃ腹減ったんだけど」「……俺の席座られてる」「手のサイズ比べてみようぜ」「おい、やめろよ」
会話内容や聞こえてくる声の特徴から、何となく学校な気がしてきた。いや、でもまだ分かんないぞ。もう少し様子を見よう。
しばらくすると少しずつ声が減り始め、代わりに足音や何かが床を引きずる、聞き馴染みのある物音が聞こえてきた。
これは席に戻る時の音。間違いない、ここは学校だ。
チャイムが鳴った。
――絶対に学校だ!
「はい、号令ー」
――確実に学校だ!!!
「起立!」
――間違いなく学校だ!!!!!
たまたまやってきた場所が学校だったとは、世の中上手くできている。あまりにも上手くできすぎていて、「ご都合主義」という言葉が頭に浮かぶ。まあ、そんなことはどうでもいい。過程にドラマがあろうがなかろうが、目的の場所にたどり着けさえすればそれでいい。むしろ苦難を伴うドラマなら無い方がいい。
教室の中は今まさに始まった授業の真っ最中。黒板の上を走るチョークの音や板書を書き写す音、何人かの話し声、と懐かしい音が空間を支配している。気づかれぬように羽音を抑えてこっそり忍び込む。
教室後方から見渡してみる。相変わらず視界は悪い。けれど、不思議と相手がどんな人間なのかが分かる。これは蚊の能力の一つなのだろうか。
さて、目標たる美少女はここにいるのだろうか。俺は一人一人を確認していくことにした。
まずは窓側の席から。
普通、普通、微妙、まあまあ、普通、論外、悪くない、まあまあ――。
三列分の女子を見てみたが、いまいちパッとしない顔ぶればかり。決して可愛くないわけじゃない。ただ美少女と呼べるほどではないというか、俺の好みではないだけだ。
――さて、次の列へ移ろう、と視線を向けた時、突如として俺の頭に電撃のような衝撃が走った。視線の先にいるのは、気だるそうな様子の生徒。彼女こそ俺が求めていた美少女だ。
今にも眠ってしまいそうな彼女に近づき、そっと制服に止まる。
訪れた場所が偶然学校だっただけでなく、美少女までもこんなにあっさり見つかるとは、もはやご都合主義ですらない手抜きといっても差し支えないだろう。
ようやくツキが回ってきたのか知らないが、ここまできたのならこの先も俺に都合の良い展開になることを祈るばかりだ。
飛んでしまうと気づかれるので歩いて進む。目指すはむき出しの首筋だ。足が六本もあるので、次にどれを動かせばいいのか混乱してくるが、慎重に一歩ずつ踏み出す。
布の上から彼女の肌へ跳び移る。それほど長い道程ではないが、俺は達成感に包まれていた。だが、それも一瞬のことだった。彼女の手がこちらに伸びてきたのだ。咄嗟に飛び立ち、それをかわす。過剰に反応して大きく飛び退いてしまったせいで、せっかくたどり着いたのに台無しになった。振り出しに戻る、か。でもまた仕切り直せばいい、俺はそう思ったが、彼女がそれを許さなかった。
「……蚊」
一言だけぼそりと呟いた。ふいに俺は身震いした。まだ血を吸うどころか、口を近づけてすらいない。それに、俺が彼女と接触していたのはほんの一秒にも満たない時間だ。それなのに俺の存在に気づき、それどころか俺が蚊だと気づいている。何者なんだ、この少女は。
「幼い頃から、私は肌が弱かったの」
突然少女が喋りだした。誰に向かって語りかけているのかも分からない。ただただ恐怖だった。クラスの奴らは全員無視している。どうなってるんだ、一体。
「いわゆる敏感肌。何度も自分の身体を呪った。でも、おかげであらゆる感覚が研ぎ澄まされたの。敏感にね」
敏感肌ってこういう物でしたっけ? いくらなんでも敏感過ぎてもはや鋭敏肌、それどころか能力者や化け物の類じゃないか。
ゆっくりと振り返る少女。彼女と目が合った。見開かれた目と微かに微笑みの形を象った唇。俺の体は恐怖で固まってしまった。
彼女の唇がゆっくりと言葉を紡ぐ。
「次は、殺すわよ」
俺は絶叫しながら――もちろん、人間には聞こえないが――一目散に外へ飛び出した。
何なんだ、この学校は。超能力の育成学校か、それとも化け物の通う学校なのか? どっちでもいい。あんな奴と同じ空間にいたら命がいくつあっても足りない。
九時間後――。
あの学校から逃げた後、それまでのツキが嘘のように美少女はおろか学校すら見つからなかった。草花を転々としながらその蜜を吸うばかり。けれど、まだ悲観することはない。人間に比べれば短いとはいえ蚊の命は一日しか持たないわけじゃないのだから。たとえ今日出会えなくとも、明日がある。明日がダメでもまたその次の日がある。
そんなわけで、今日のところは休むことにした。とりあえず、安全そうな民家の家具の裏あたりにも忍び込むとしよう。
昼間と同じように住宅街を飛び回る。暗闇と窓から漏れる明かりで――景色は変わらずモノクロだが――街の様子が違って見える。蚊の本能のせいか、ついついその光に惹かれそうになる。
選り好みする必要もないので、適当な民家を選んだ。二階の窓が開いており、網戸に僅かな隙間があったのでそこから侵入した。部屋の中は妙に甘い匂いが立ち込めていた。
俺が勉強机と思われる物の陰に隠れたのとほぼ同時に、部屋の扉が開いた。入ってきたのは一人の少女だった。それも、かなりの美少女だった。不思議なことに、その顔はどこかで見たような気がした。初めて見るはずなのに、誰かの面影がある。
彼女はまっすぐ机に向かい、椅子に座り込んだ。今、俺の目の前には彼女の脚がある。ここからなら、きっとバレずに血を吸える。彼女が敏感肌でなければ、だが。
果たして、俺は脚に張り付いた。勝利を確信し、そのまま口を近づける。しかし――
血が吸えない。口を押し付けてみても、柔らかくて曲がってしまい、ちっとも刺さる気配がない。何度やっても、角度を変えてみても結果は同じだった。
人間だった頃の記憶がふと蘇る。それは、人を刺すのはメスの蚊だけという雑学。と、いうことは、まさか俺はオスだったのか!?
その時、再び扉が開き、何者かが入ってきた。
「お姉ちゃん、スマホの充電器借りていい?」
「いいけど、何で?」
「何か急に充電できなくなっちゃって」
他愛もない会話をする妹らしき人物。その声を耳にした途端、俺は全身の血液が逆流するかのような感覚になった。間違いない……この声の主は、あの学校の――。
こんなところにはいられない。早く逃げなくちゃ。俺は入ってきた窓を目指す。
「お姉ちゃん、網戸ちょっと開いてるよ。虫入って来ちゃう」
「あ、ありがとう。そうだ、窓も閉めて」
「はーい」
目の前で窓が閉まった。逃げ場はもう……いや、まだだ。妹が入ってきたドアがまだ――、
「ドアも閉めなきゃね」
そんなぁ! 閉じ込められた!
見つからない場所へ隠れるため、慌てて羽ばたく。しかし、不思議なことに羽が上手く動かず飛べない。どこからか風が吹いている。窓もドアも閉まっているのに、一体どこから……?
「エアコン気持ちいい~。最高~」
「窓開けるより断然いいわ~」
密室を作り、エアコンの風で機動力を削ぐ。なんて綿密に練られた作戦だろう。彼女らは確実に俺を仕留めようとしている。現時点で脱出は不可能、チャンスが訪れるまで待つしかない。
風に押されながら羽を動かす。その時、ふと力んでしまったせいで、羽音が鳴ってしまった。
「! お姉ちゃん、蚊がいるよ!」
クソっ、気づかれた。やっぱりこの妹化け物じゃないのか。
「え? あ、私も刺されてる」
刺したのは俺じゃない。ということは、ここに俺以外の蚊がいるのか? それならば、そいつを殺させれば彼女らの警戒も解けるはずだ。さっきの羽音もそいつに擦り付けてしまえばいい。さっさと捜し出し、二人の前に追い立ててやる。
机の下、ベッドの下、壁や天井、あらゆる場所を捜してみるが姿はない。視覚で捉えるのは不可能だった。他の手段は……羽音、羽音だ。上手くやれば、それを聞いて近づいてくるかもしれない。しかし、見つかる可能性も――いや、迷ってる暇はない。一か八かだ。
俺は目いっぱい羽ばたいた。
それらしき蚊は現れない。飛んでくる様子もない。その代わりに、人の声が飛んできた。
「あ、あそこだ!」
まずい、見つかった。このままじゃ殺される。
「よくもお姉ちゃんの血を……私だけのお姉ちゃん……だから血液も私だけの物なのに! 許せない!」
い、妹さん? っていうか、吸ったの俺じゃない! 人違い……じゃなくて蚊違いです! 冤罪です!
何度も振り返りながらでたらめに飛ぶ。ただただ少女の手から逃れることだけを考えていた。けれど、容赦なくその距離は縮まっていく。真上に現れた手の影が、辺りを薄暗く染める。もはやこれまでか……。
「つ・か・ま・え・た♡」
上下から迫ってきた手によって俺は闇に閉じ込められ、そのまま全身を引き潰された。脚が取れたり体が破れたりする感触はあるのに、痛みが無いのが不気味だった。
少女が手を開き、再び白色の強い光が目を灼く。その瞬間、こちらを見つめる一匹の蚊の姿が見えた気がした。
薄れゆく意識の中、声が聞こえた。酷く無邪気で、明るい声。
「お姉ちゃん! 殺ったよ!」
つづく




