第11話「はじまりの羽音」
一口に温室効果ガスといっても種類は様々で、二酸化炭素やメタンガス、一酸化二窒素、フロン類などがある。これらのうち、フロン類がもたらす温室効果は凄まじいようだ。当然、条約やら法やらで規制、廃止が推進されているがそんなものは無視だ。今こそ新たな段階へ進む時だ。
長い夢を見ていた。「学校」で皆と過ごした日々の夢。ほんの数日前のことなのに、あの毎日が今では遠い昔の思い出のように感じて、懐かしい気持ちになる。
あの後、少しの手違いもなく蚊に転生したわけだが、この新しい体にはちっとも慣れない。足が六本もある上に羽根もついてるし、飛んだことなんてないから羽根の扱いが難しく、ちょっとした風でもすぐにバランスを崩してしまう。ふらついて蜘蛛の巣に引っかかりそうになったことも一度や二度じゃない。やっぱり、羽根二枚ってのは無理があるんじゃないですか? 四枚になっても、それはそれで困るけどさ。
おぼつかない飛び方でやっと花に止まった。俺はそこで一息つくことにした。花の蜜を吸っていると、嫌な羽音とともに何者かの影がやってきた。
「そこん蚊さん、ちぃと場所ば空けてもらえんね? 蜜ば取りきらんとたい!」
え、あんた誰?
振り返るとミツバチが飛んでいた。自分が蚊になったせいか、それは巨大な怪物のように見えた。あまりの迫力に圧倒され、俺は慌てて身を引いた。ミツバチはといえば、俺を襲う様子はなく、蜜を集めるのに必死な様子だった。さっきの言葉も、蜜を取りたいからどけ、と言っていたのだろう。多分。
ミツバチの言葉がなぜ訛った感じで聞こえたのか疑問を感じた。ひょっとして、虫の種類によって言葉が違うのだろうか。面白そうだと感じた俺は、少しだけ確かめてみることにした。とはいえ、蚊を食べるようなやつに話しかけるのは自殺行為だ。なるべく安全そうな虫を選ぼう。
地面を見下ろすと、草むらを飛び跳ねているバッタを見つけた。こいつは多分大丈夫なはず。そう思い、話しかけてみる。
「こんにちは」
「こんちは! 蚊さん、おでかけしとるだか」
なんか微妙に訛ってる感じだね。どこか親しみやすさがある気もする。
次は空へ目を移すと、優雅に舞うアゲハチョウがいた。蝶も多分大丈夫だろう。あんな口じゃ蚊なんて食べられそうにないし。
「こんにちは」
「蚊の方よ、吾が美しき羽を見たまへ」
何だか古風な話し方だね。それにしても、蚊になったことで羽の模様がよく見える。確かに綺麗だな。一通り堪能したところで、次なる相手を探す。
細い木に張り付く斑点模様。あれは、確かカミキリムシ。結構怖そうな見た目だし、もしかしたら食われるかもしれないけど……。俺は好奇心と若干のスリルを抑えられず、カミキリムシのもとへ飛んだ。
「こ……こんにちは」
「嗨,蚊先生! 雖然很熱,但是一起加油吧!(やあ、蚊さん! 暑いけど、頑張ろうね!)」
国際的な感じだね。人間だった頃は気づかなかったけど、カミキリムシもグローバル化しているんだな……って騙されんぞ。お前、思いっきり外来種だろ! 悪しき不法滞在者め、荷物まとめてとっとと日本から出ていけ。
と、その時俺は本来の目的を思い出した。そうだ、こんなことをしている場合ではない。俺が蚊になるという罰を受け入れたのは、他の虫と異文化交流をしたかったからではないのだ。
俺は羽を広げて飛び立った。すると、背後から声が聞こえた。
「蚊先生!(蚊さん!)」
振り返ると、さっきのカミキリムシがこちらに大きく手を降っているのが見えた。
「祝你好運!(幸運を!)」
何て言ってるかさっぱり分からない。けれど、何だか応援してくれてる気がする。外来種……案外悪いやつじゃないのかもしれないな。あ、人間の皆さんは外来種を見つけたら補殺、もしくは行政機関などに連絡してくださいね。
外来カミキリムシの言葉を胸に、美少女探しを頑張るぞ! と、意気込んだものの、これといったアテはない。食パンをくわえた子と曲がり角で……なんて可能性もあるし、少しだけ辺りをうろついてみることにした。
ぎらつく日差しがジリジリと俺を灼く。何だこの暑さは。空を飛んでいるから幾分かはマシとはいえ、それでも体のすぐそばを、熱と湿気のある空気が流れていく。俺が死んでいた間に、地球温暖化はまた一段と酷くなっていたようだ。
住宅地をフラフラと飛んでいると、突然不思議な感覚に襲われた。誰かに、あるいは何かに誘われているような気がする。その何かを辿ってみると、一軒の家にたどり着いた。何の変哲もなくありきたりで、かといって見覚えもない家。一体、何が俺をここまで連れてきたのだろうか。
家の中から何かを感じる。どこからか入れないか、と辺りを回ってみる。三周ほどしたところで裏庭側の窓が開き、一人の女性が出てきた。彼女が何かの正体なのか、俺との関係を探るため前世の記憶を掘り起こす。だが、そこにあの女性の姿はない。全く覚えのない、知らない人だった。それでもこの家には何かがある気がして、彼女が出てきた窓から侵入した。
リビングと思しき空間。テレビ、テーブル、椅子とソファ。家具にもこれといって気になるものはない。隣の部屋も見てみると、そこには小さなベッドがあり、赤ちゃんが寝ていた。不思議な感覚はこの子からしていた。この子は蚊を惹きつける能力の持ち主、とでもいうのだろうか。
気になった俺はさらに近づいてみた。その赤ちゃんに触れてみると、何だか懐かしい感じがする。ふいに泣き出した赤ちゃん。その顔に覚えはない。見るのは初めてのはずなのに、知っている気がする。
そうか、この子は――。俺は気がついた。この子が誰なのか。
物音がしたかと思うと、さっきの女性――この子の母親が家に入ってきた。赤ちゃんを抱きかかえながら、翔太、と名前を呼びながらあやしている。
――翔太、それが今の君の名前か。ちゃんと人間になれたって教えてくれたんだね。俺はこんな姿になっちゃったよ。でも、きっとまた来るから。今度は人間として。その時には、もう一度友達になってくれるよな。春輝。
心の中でそれだけ念じ、別れの言葉は告げずに開きっぱなしの窓から外の世界へ抜け出した。約束は未来の俺に託して、俺は今の目標を果たすとしよう。
色々気が散ってしまったけど、今度こそ大丈夫。さあ、美少女を目指して一直線だ。
つづく
今更ですが誤字や脱字、言葉遣いの間違いや表現上の違和感などにお気づきの際にはご指摘いただくか、「馬鹿め」と嘲笑っていただけると幸いです。今回の話では、特に虫たちの台詞が嘲笑ポイントだと思います。




