第10話「神の部屋/転生」
一度原点に立ち返ろう。僕は何をしたいのか。僕の目的は、日本の常夏化だ。その為に地球温暖化を促進している。しかし、依然として状況は変わらない。地軸をずらすとか、他の手段も考えはした。だが、実現する前に行き詰まる。地道にやるしかあるまい。
ついに蒼太もこの「学校」からいなくなった。俺たちのグループで残ってるのは俺だけ。他の奴ら――ここでできた友達は、皆現世に旅立っていった。多分、今頃何度目かの誕生を果たしているんだろうか。
教室の中も人が減って随分静かになった。でも、俺もここに来るのは今日で最後だ。明日になれば、俺も皆のいる世界へ行ける。
その日の夜、俺はいつもより夜更かししながら本を読んだ。友達の一人、春輝が転生の直前にくれた本。明日が来るまでにこれだけは読んでおきたかった。少年が不思議な力で猫になるという、突飛な物語。もう既に終わりは見えている。
ページをめくる度に、紙の擦れるざらついた音が部屋に広がる。文字の列に視線を走らせては、またページをめくる。そんな行為を十回も繰り返すと、そこには「終」の文字が。
終わった。その瞬間は意外に呆気ないものだった。でも、何となく達成感があった。これで、もう思い残すことはない。安心した俺は、物語の余韻そのままに眠りについた。
ベッドの上で思い出す本の内容。猫としての新たな人生を選んだ主人公を見送る彼の友人。その姿が、転生した春輝達を見送った俺と重なって思えた。だけど、俺の物語はまだ結末には至らない。むしろこれから始まるんだ。そしてそれは、この作品とは違うものになるはずなんだ。
ハッピーエンドを思い描いているうちに、俺は眠っていた。
翌朝、俺は「神の部屋」へ行く準備をしていた。と、いっても部屋の中を整頓してぬいぐるみの「まろくん」と春輝の本を目立つ場所に置いただけだ。
それから何分かした後、誰かが部屋のドアをノックした。
「須治島 一様、お迎えにあがりました」
部屋を出るとそこには白服の人がいた。間違いない、迎えが来たんだ。俺は嬉しさと切なさが混ざったような複雑な気持ちになった。
白服の後に続いて歩いていくと、屋外の開けた場所で立ち止まった。これから「神の部屋」まで瞬間移動するんだ。知ってる。見たことあるから。
白服が何かを呟くと、直後に視界が歪んだ。まるで世界がかき混ぜられているみたいだった。色が、光が、空間が、時間が混ざり合って最後には真っ暗になった。
目の前にはどこまでも闇が広がっている。その時、無意識に目を瞑っていたことに気づいた。目を開くと、歪みはなくなっており、目の前に扉があった。これが「神の部屋」へ続く扉なんだろう。俺はそれを思い切り開けた。
扉の向こうには、だだっ広い空間と玉座のような椅子、そしてそこに座る女性――神様の姿があった。よく分かんない布を身にまとった、いかにも女神って感じの見た目だった。
「ようこそ。ここでの日々はいかがでしたか?」
神様は扉から入ってきた俺の目を見て、そう聞いてきた。透き通った美しい声に思わず惚れ……ている場合じゃない。何か答えないと。でも、突然過ぎて何を言ったらいいか分からない。
「えっと……その、まあ、楽しかったです」
すると神様は安心したように胸を撫で下ろし、良かった、と一言呟いた。
「本来では、これから転生の儀として一日かけてあなたの魂を浄化することになります……が、あなたにはいくつかお話することがあります」
お話? 何のことだ?
俺はふと、春輝の本に目を落とした。ひょっとして……いや、そうに決まってる。これを俺が持ってるのがまずかったんだな……。そう思うと不安になってきた。俺は小さく返事をし、どんなことを言われるかと身構えた。
「あなたもお気づきのように、そちらの本についてです。それはあなたのものではありませんね」
「春輝の……でも、『最後の願い』だったんです。だから――」
「分かっています」
最後まで言い切ることなく、神様に制された。けれど、口調は優しくて諭されるような感じがした。
「しかし、それはあの子の物。他の者には与えないことが掟です」
「……すみません」
そう答えると、手の中の本はひとりでに空中へ浮かび上がるとそのまま神様の手元へと飛んでいった。神様はそれを、大事そうに両手で抱き抱えた。
「あなた方の思いや『最後の願い』は尊重します。こちらは持ち主にお返ししましょうね」
持ち主に返すだって? 春輝はもう転生しちゃったはずなのに、一体どうするんだ? まさか、俺のせいで春輝は転生できずにいるとか……だとしたら申し訳なさすぎる。
そんな俺の不安をよそに、神様は手招きをするように手をなびかせた。すると、色のないシャボン玉みたいな物がふわふわと飛んできて、神様の斜め上あなたりで静止した。
「これはあの子の記憶、心を形作っていたものです。『学校』や転生の儀にて魂から抜き取ったもの」
てっきり記憶は消されているものとばかり思っていたが、抜き取って別の形で保存されていたのようだ。でも、どうしてそんなことをするのだろう。その疑問を声にする前に神様が聞いた。
「生まれ変わるはずの死者が、家族の元へ帰ることができるのは何故だと思いますか? その答えがこの記憶の玉なのです」
そこからの神様の説明を要すると、魂はそのまま生まれ変わり、記憶はこの世界に残され、夏のある時期になったら、この自我を含む記憶を家族の元へ一時的に帰しているのだそうだ。ちなみに、霊魂や幽霊の正体もこれで、神様いわく「道に迷ってしまった可愛い子たち」らしい。
そんなことを話しながら、神様は春輝の本をシャボン玉に入れた。音もなく本は溶けていき、やがて見えなくなった。神様が再び手をなびかせると、シャボン玉はどこかへと消えていった。数秒ほどその消えた先を見つめた後、俺へと視線を戻した。
「先程も申し上げたように、あなた方の思いを責めるつもりはありません。しかし、掟を破ったことには罰を与えなければなりません」
罰。一体何なのだろう。どうなるのだろう。不幸な家庭か、それとも、絶望的なバカや芸術的ブサイクとして生まれるとか。いや、そんな生易しいものじゃないのかもしれない。そうだ、「他の者に与えないこと」が罪だというなら、与えた側である春輝も罰を受けたってことじゃないのか。
罰、という言葉への不安は募るばかりだった。
口元に手をやり、考えるような仕草をしていた神様は、ふと閃いたように、にっこりと笑った。
――なるべく軽めの罰にしてください、お願いします。神様、俺ずっとあなたのファンなんです。
俺はひたすら祈った。俺の思考を読んだ神様になら、きっと届くはず。そう信じて。
「あなたへの罰は『蚊に転生すること』です。来世は蚊としてお過ごしください」
か? 蚊ってあの、夏に飛んでて血を吸う小さくてうざいあいつ? でも何で蚊なんだ?
罰の意味が分からなすぎて頭が混乱してきた。どんな表情をすればいいか分からず、けれど無意識に乾いた笑いが漏れる。そんな姿を見てか、神様は小さく笑った。
「不思議に思うのも無理はないでしょう。人の魂は人にしか宿らないのが常ですから。蚊を選んだのは、寿命が短いためこちらへ戻ってきやすいと判断したためです」
俺と春輝の関係や、本を渡すことが「最後の願い」だったことから、俺の罪は小さいということらしい。蚊に転生するのも早く戻ってこれるように、という神様なりの慈悲というわけだ。だが、だからといって蚊に転生することを簡単には受け入れられない。
「それでは、改めて転生の儀を行いますが『最後の願い』はいかがなさいますか?」
まだ頭の中が整理出来ていないのに、そんなこと言われても困る。「最後の願い」はこの世界や現世、そしてそこへ生きる者へ一つだけ望みを残せるもの。今の頭の混乱具合じゃ決められない。何を願えってんだ。
「えーっと、保留にしていただけますか……人に転生する時に改めて、という感じで……」
「いいでしょう。それでは、早速転生に――」
「え、転生? 記憶がまだ」
「罪を忘れてしまっては、罰の意味がありませんから」
記憶がそのままということは、これはチャンスかもしれない。いや、何としてもチャンスにしてみせる。蚊になること自体が罰なら、どう生きるかは俺の自由ということ。この記憶が残っているなら、蚊としての生活だって楽しくできるはずだ。例えば……美少女の血を吸いまくるみたいな。って何言ってんだ俺。でも、こうでも思わないと耐えられないし、蚊になることを受け入れられない。早々に潰されて人に転生ってのもアリだが、どうせ生きるなら楽しく生きたいし、生きる目的がなくてはどうしようもない。
そんなわけで、自分を騙しながら蚊への転生を受け入れた。
「あの……最後に一ついいですか?」
「何でしょうか」
最後に一つだけ残った心残り、転生の前にどうしても解消しておきたい不安があった。
「春輝は、人間になれましたか?」
神様は何も答えず、笑みを浮かべたままゆっくりと頷いた。それが意味することや、俺が受け取った意味が正しいかどうかは分からない。けれど、俺を安心させるにはそれで十分だった。
その直後に眩い光とともに視界が目まぐるしく回り、最後には何も感じなくなった。
つづく
あらかじめ断っておきますが、蚊の能力を駆使して主人公が活躍するような話ではないです。
そういうのは他の誰かが書いているはずなので、お求めの方はそちらをお楽しみください。




