第1話「日常」
よろしくお願いします。
ここは「学校」の教室。ふと顔を向けた窓の外には、一筋の飛行機雲すらない青空が広がっている。外に出て陽の光を浴びたら、きっと気持ちがいいだろう。それに、あの空を自由に飛べたら楽しいだろうな。そんな幼稚にも思える考えが頭に浮かぶ。
けれど、他の生徒達はそれには目もくれず、一心不乱に机に向かっている。そうやって教室を見渡している途中、先生と一瞬目が合った。俺は慌てて目線を机に戻し、集中することにした。
一瞬だったからよく見えなかったけれど、先生の表情は怒っているわけではなさそうだった。むしろ、俺の願望を肯定してくれているような、そんな感じがした。
しばらくの後、鳴り響いたチャイムによって、俺たちの意識は集中から解放された。全員がリラックスして雑談を始めようとしているところへ、先生の威勢のいい声が飛んだ。
「それじゃ、この時間はこれでお終い。今から休み時間な。時間の過ごし方は自由だが、『学校』からは出るなよ。まあ、皆分かってると思うけど、転入生のために一応な」
そう言うと、先生は俺に向かってニヤリと笑った。やっぱり見透かされていたみたいだ。というか、学校から出ちゃ駄目なことぐらい知ってるし、そもそも俺は転入生じゃないっての。転入生がいるっていうのは事実だけどね。
先生が教室を出ていくと、俺は早速机に突っ伏した。全身を襲う眠気にその身を、意識を委ねる。そこへ、近づいてくる足音と椅子が引かれる音が聞こえてた。誰かが前の席に座った。
「あー、疲れたぁ」
前に座った「誰か」におおよそ検討のついていた俺は、わざと大袈裟に言った。
「大丈夫?」
間延びした声とともに指先で突かれる感触が返ってきた。クスクスと小さな笑い声も聞こえる。その声の主は俺の予想通り、友達の春輝だった。
「ほら、起きなよ。『学校』で寝ちゃだめだよ」
「若人は元気だねぇ……。あと、睡眠は生きていく上で欠かせない生理的欲求……だから今の俺は寝てるんじゃなくて生きてるの……」
半分寝ぼけたような状態で答えているせいで、自分でも何を言っているのかよく分からない。案の定、春輝からも「ちょっと何言ってるか分かんない」と返された。
それから少しの間、春輝からは何のアクションもなかった。このまま本格的に眠ろうとした時、春樹が俺の肩を軽く叩いた。
「ねえねえ、蒼太くんが呼んでるよ」
「無視するって言っといて。それか、『お前が来い』って言って」
「えぇ……」
迷っているかのような少しの間を置いて、椅子が床の上を引きずられる音が聞こえた。数秒の間を置いて、また足音が近づいてきた。今度は一人じゃなく、何人かの足音が聞こえた。そして、先程と同じように前の席に座った。
「春輝を困らせるんじゃねぇよ。わがままなお姫様か。お前は」
蒼太の声だった。こいつは起きてるはずなのに、寝ぼけた俺と同レベルで何を言っているのかよく分からない。だが、これはいつも通りなので華麗にスルーしておく。まあ、俺がお姫様かどうかはともかく、わがままだったのは認める。
顔を上げると、そこには龍一や修也――いつものメンバーってやつだ――が集まっていた。そいつらはその辺の席から椅子を拝借して座っていたが、春輝だけその間で突っ立っていた。
遠慮がちで控えめな性格だからか、いつも自分の席以外の椅子には頑なに座ろうとはしなかった。俺はそんな頑固者な春輝に、いつも通りの言葉をかけた。
「春輝くん、ここに座りな」
俺は自分の膝を軽く叩いて見せた。春輝は何も言わずに俺の膝に乗っかった。春輝はクラスの中でも特に小柄で軽いから、上に乗られることに抵抗はない。春輝の方も嫌がる素振りは見せないし、むしろ満更でもないような感じだ。
膝の上に深く座る春輝の腰に手を回した。落ちないように固定するためではあるが、本心を言えば、俺が抱きつきたいだけだ。こいつの体はちょうどいいサイズ感と温かさと柔らかさで抱き枕として最適なんだ。
そんなわけで、今日も抱き枕を抱いて眠りにつくとしよう。目を瞑って三つ数えるともう意識が遠のいてきた。
俺が安らかな眠りと現実の狭間を漂っている間、蒼太達は何かを話していた。途中で何度か俺の名前も耳に入ってきたが、脳までは達していなかったので、内容は分からなかった。俺は睡魔に襲われながら、適当に相槌を打った。やがて、俺の意識は完全に睡魔に駆逐され、何も聞こえなくなった。
―――――
体を叩かれる感触で俺は目を覚ました。すぐ近くから声が聞こえる。
「はじめくん、そろそろ起きないと。休み時間終わっちゃうよ? 僕も席に戻らないといけないし」
寝ていた俺の腕など簡単に振りほどけるはずなのに、春輝は俺の膝の上に座っていた。懐っこいだけか律儀なのかそれとも……。とにかく俺は腕をほどき、春樹を解放して、まだしょぼつく目を何度か擦った。手のひらは、自分の体温か春輝の体温か分からない熱を微かに放っていた。
「あぁ……まだ眠いよ。ていうか、春輝くんってあったかいだけじゃなくて何かいい匂いするな」
春輝の首筋に顔を近づけて俺はわざとらしい音を立てながら鼻で息を吸った。微かに汗のにおいの混じった甘い匂いが広がる。と、同時に腕の中の春輝が一瞬身震いをした。
「な、何言ってんの!? ヘンターイ! キモーイ!」
春輝は取り乱した様子で立ち上がった。怒っていると思われたその顔には恥ずかしげな笑みが浮かんでいた。そして、もごもごと小言を言いながら自分の席に戻っていった。半分は冗談のつもりで言ったのだが、予想以上に面白い反応が見られて俺は満足だった。
ふと時計を見ると、針は休み時間終了の七分前を指していた。余裕を持って起こしてくれる春輝、なんて良い子なんだ。
さて、十分寝たことだし、次の時間はちゃんと集中しよう。
夏が終わるまでには完結させたいです。