2.マイニオとミリア
ヴィエナは荒野の冷たい風に背中を押されながら、ミリアの差し出した手を握った。その手は力強く、温もりを感じるものだった。
「助けてくれるの?」
ヴィエナが恐る恐る問いかけると、ミリアは口元を少し歪めて笑った。
「さてね。でも、荒野で生きるには一人じゃ無理だってことくらいわかるでしょ?」
「……うん」
ヴィエナは頷きながら立ち上がった。マイニオの声が頭の中で警戒を促している。
「おい、こいつは信用できるのか?下手をすれば、裏切られるぞ」
(でも、今は彼女しか頼れる人がいないよ)
「そうか……だが気を抜くな」
マイニオの声を心の中で押し留め、ヴィエナはミリアをじっと見つめた。
「どこへ向かうの?」
「近くに拠点がある。略奪者が最近使っていた場所だけど、そいつらはもう片付けた。あんた、そこまで歩ける?」
「うん、行ける……と思う」
ミリアはその返事を聞くと、即座に身を翻して歩き始めた。
「ついてきな。余計な音は立てないようにね。まだ周りに遺物や獣がうろついてるかもしれないから」
ヴィエナは荒野の中をミリアに導かれながら進んだ。途中で見たのは、砂に埋もれた古い装甲車や、すでに壊れ果てた遺物の残骸だった。そのどれもが、生存の過酷さを物語っていた。
「……そこに着いたら、何をするの?」
ヴィエナがそう聞くと、ミリアは少し振り返り、低い声で答えた。
「まずは休むこと。そして聞きたいことがあるの。あんたがその変な靴を履いてる理由と、どこへ向かおうとしてるのかをね」
ヴィエナは一瞬口を閉ざしたが、やがて小さな声で答えた。
「私……ソニヤを探してるの。マイニオの、戦友なんだって」
「ソニヤ……?」
ミリアの足が止まった。彼女の目が鋭く光る。ヴィエナは驚き、ミリアを見上げた。
「知ってるの?」
「ああ、少なくとも名前は。あんたたちが探してる相手は“戦争の火種”だ」
ミリアの声には明らかな警戒が含まれていた。ヴィエナは言葉を失ったまま立ち尽くす。
「本当にそのソニヤを見つけるつもり?」
ミリアの問いは冷たく響いた。
「私は……彼女を見つけて、助ける。そう決めたの」
ヴィエナは答えた。
しばらく無言でヴィエナを見つめていたミリアだったが、やがて肩をすくめた。
「私も協力するよ。ただし、あんたが諦めた時は私が手を引っ込めるのも自由だ」
「うん、わかった!」
ヴィエナの答えに満足したように、ミリアは再び歩き出した。その背中を追いながら、ヴィエナは心の中でマイニオに問いかけた。
(マイニオもいいよね?)
「……少なくとも、荒野を一人で歩くよりはマシだろう。それ以上のことは、これから確かめるしかない」
マイニオの言葉にヴィエナは静かに息を吐き、目の前の荒野を見据えた。
ヴィエナとミリアは荒野を抜け、小高い丘の麓にたどり着いた。そこには崩れた建物の影があり、ミリアが「拠点」と呼んでいた場所が見える。
「ここだ。少し荒れてるけど、最低限のシェルターにはなる。ほら、入んな」
ミリアが先に入り、ヴィエナもその後に続いた。建物の中は薄暗く、瓦礫が積み上がっているが、中央には小さな焚き火の跡があり、そこから微かな暖かさが残っていた。
「ここで少し休むよ。食料も少しだけあるけど、あんた、どれくらい腹減ってる?」
「……ずっと何も食べてない」
「だと思ったよ。おっかない略奪者に遭ったんだろう?」
ヴィエナは小さく頷いた。ミリアは隅に置いてあった小さな袋から硬いパンと干し肉を取り出した。
「贅沢は言うなよ。ここでは生き残ることが最優先だからね」
「ありがとう……」
ヴィエナは差し出された食料を受け取り、慎重に食べ始めた。味はお世辞にも美味しいとは言えなかったが、空腹の彼女にとっては十分だった。
ミリアは焚き火を再び起こしながら、ちらりとヴィエナを見た。
「さて、少し休んだら話をしようか。あんた、どうしてそんな靴を履いてる?」
「……これは、マイニオだよ。彼が私を助けてくれたの」
ヴィエナが足元を見せると、ミリアは驚いたように目を細めた。
「マイニオ、ねえ……。あんた、あれがただの靴だと思ってるの?」
「違うのはわかってる。マイニオは……喋るし、私を守ってくれる」
その言葉に、ミリアは少しだけ険しい表情を見せた。
「喋る靴か……。荒野でいろんなものを見てきたけど、そんな代物は聞いたこともない。でも、ただの靴じゃないことは間違いないね。遺物か、それとももっと古い何かか……」
「ミリアも、マイニオみたいなものを知ってるの?」
ヴィエナが問いかけると、ミリアは少しだけ沈黙してから答えた。
「私も昔、似たようなものを見たことがある。軍が使ってた特殊な兵器の一部だ。でも、それが喋ったり、意思を持ってるなんて話は聞いたことがない。だから、あんたの靴には興味があるんだよ」
そのとき、マイニオの声がヴィエナの頭の中で響いた。
「ヴィエナ、油断するな。この女は何かを隠している」
(でも、彼女は助けてくれたよ)
「助けた理由を考えろ。ただの善意で動く奴なんて、荒野にはいない」
ヴィエナは頭の中でマイニオと会話を隠しながら、ミリアをじっと見つめた。
「……ミリア、さっき言ってたソニヤのこと、教えてくれない?どうして国家軍に追われてるの?」
ミリアは焚き火を見つめ、少し考え込むように息を吐いた。
「ソニヤは、“次世代兵器”の核心だって聞いたことがある。彼女の体に埋め込まれた技術が、国家間の戦争を引き起こしかねないってね。あんたは相当危険な旅をしてるってことだよ」
「でも……彼女を見つけたいの。マイニオも、それが目的だって言ってるから」
ミリアは短く鼻で笑った。
「ずいぶん命知らずなことを言うじゃない。でもまあ……面白い旅になりそうだし、ついてってやるよ」
ヴィエナは驚きながらも、ミリアの提案に希望を感じた。
その夜、ヴィエナは荒野の冷たい空気に包まれながら眠りについた。マイニオの声が再び耳元で囁く。
「この女、何か抱えてる。お前の力になってくれるかもしれんが、信用しすぎるなよ」
(わかってる。でも、一人で旅を続けるよりは……いいと思う)
マイニオは沈黙し、ヴィエナも静かに目を閉じた。
荒野を進む中、ヴィエナとミリアは安全そうな隠れ家を見つけた。それは、かつての略奪者たちが放棄した拠点だった。崩れた壁に埋もれた物資の中から、ヴィエナは古い書類と奇妙な機械の破片を見つける。
「これ……何だろう?」
埃を払いながら、ヴィエナは紙片を広げる。そこには手書きの文字が並び、見慣れない紋章が押されていた。
ミリアがそれを一瞥し、顔をしかめた。
「国家軍のものだね。この拠点、やつらに襲撃されたんだろう」
「この名前……」
ヴィエナは震える指で一箇所を指し示した。その名はソニヤ。
「ソニヤの情報だ!」
ヴィエナの目が希望に輝いたが、ミリアは鋭い声で制した。
「それが罠かもしれないとは考えないの?」
マイニオの声が頭に響く。
「無闇に信じるのは危険だが、お前次第だ」
ヴィエナは迷いながらも書類を握りしめた。
「私は行く。ソニヤさんを見つけるために」
ミリアはため息をつきながら、目を伏せた。
「私も付き合うよ」
次の目的地へ向かう道中、彼女たちは突然の銃声に足を止めた。目の前には、掠奪者たちが残された物資を奪い合っている光景が広がっていた。どちらも銃を構え、緊迫した空気が漂う。
「どうする?」
ミリアが低い声で囁く。
「関わらないほうがいい?」
ヴィエナは小声で尋ねた。
「いや、やつらの一人が持っている袋……あれは国家軍の標章だ。情報があるかもしれない」
二人は慎重に近づき、ミリアが小石を投げて注意を引いた。乱闘が一瞬止まり、その隙にヴィエナはマイニオの力を借りて瞬時に飛び出し、掠奪者たちの背後を取った。
「止まって!」
力強い声で叫びながら鉄棒を構えるヴィエナに、掠奪者たちは驚き、混乱する。しかし、一人がナイフを振り上げて襲いかかってきた。
「上だ、跳べ!」
マイニオが指示を出し、ヴィエナは咄嗟に空高く跳躍した。彼女が地面に戻るときには、掠奪者はすでに武器を弾き飛ばされていた。
その隙を突き、ミリアが背後から現れ、最後の掠奪者にナイフを突きつける。
「その袋を置いていきな」
掠奪者たちは慌てて荷物を捨て、逃げ去った。
「勝てた……すごい」
戦いが終わり、息を切らしながらヴィエナが鉄棒を握りしめた。
「少しは形になってきたな」
マイニオが冷やかすように言った。
ミリアは袋を開け、中身を確認する。そこにはさらに詳細な地図と、国家軍の前線基地の位置が記されていた。
「これで確定だね。荒野の中央部……どうやら地図通りに進むべきみたいだ」
その夜、焚火を囲んで休息をとる二人の間に、少しだけ静かな空気が流れた。ヴィエナが火を見つめながら口を開く。
「ミリアは、どうして私を助けてくれるの?」
ミリアは一瞬黙り、火に手をかざした。
「助けてるつもりはないよ」
「でも……」
「あんたを見てると、昔の自分を思い出すんだよ」
ミリアはぽつりと呟くように言った。
「私も、かつて誰かに助けを求めたことがあった。でも、誰も手を差し伸べてはくれなかった」
ヴィエナはミリアを見つめる。いつも冷静な彼女の横顔が、その時だけはどこか儚げだった。
「ミリア……」
ミリアは急に立ち上がり、焚火に背を向けた。
「ほら、早く休みな。明日からも旅は続くんだから」
翌朝、荒野を進むヴィエナとミリアの前に、山のような巨大な瓦礫の壁が立ちはだかっていた。腐った金属の匂いと、時折吹き抜ける冷たい風が不気味な雰囲気を醸し出している。
「……嫌な感じがするね」
ミリアが低い声で呟く。
「ここを通らないと進めないよね?」
ヴィエナは瓦礫を見上げながら、不安げに尋ねた。
「そうだね。だけど、この中にはきっと遺物が潜んでる」
ミリアの言葉に、マイニオが頭の中で補足を加える。
「この瓦礫はおそらく、旧世界の軍事研究施設だ。ここには、制御を失った兵器が眠っているかもしれん」
「眠ってるならいいけど……」
ヴィエナは小声でつぶやき、慎重に瓦礫の隙間を進み始めた。
瓦礫の中は異様な静けさに包まれていた。時折、金属片が風に揺れてカランと音を立てるたびに、ヴィエナの心臓は跳ね上がる。
「マイニオ、何か感じる?」
彼女はそっと靴に問いかける。
「殺意が漂っている。気を抜くな」
マイニオの言葉が終わらないうちに、ヴィエナの足元の瓦礫が突然動いた。
「伏せろ!」
マイニオの叫びに従い、ヴィエナはとっさに身を伏せた。次の瞬間、瓦礫の山から巨大な機械の腕が伸びてきた。それは、錆びついた金属の塊でありながら、獲物を捕らえようと正確に動いていた。
「やっぱり遺物だね!」
ミリアが叫びながら短剣を抜き、遺物の動きを牽制する。
ヴィエナは震える手で鉄棒を握りしめたが、遺物の巨大な腕があまりにも圧倒的に見えた。
「怖がるな、私を信じろ!」
マイニオの声がヴィエナの中に響く。
「でも、どうすればいいの」
「跳べ!腕の上に乗って中心部を狙え!」
ヴィエナは勇気を振り絞り、地面を蹴って跳び上がった。マイニオの力が彼女の動きを軽やかにし、遺物の腕の上に無事に着地する。
「急所は腕の付け根にある。叩き込め!」
ヴィエナは鉄棒を振り上げ、全力で叩きつけた。その瞬間、衝撃波のような力が広がり、遺物の動きが一瞬止まった。
「ナイスだ、ヴィエナ!」
ミリアが短剣を投げ、停止した遺物のセンサー部分を破壊する。
遺物は耳障りな音を立てながら動きを止め、瓦礫の中に崩れ落ちた。
「はあ……なんとか倒せたね」
荒い息をつきながら、ヴィエナは鉄棒を握り締めたままその場に膝をついた。
ミリアは遺物が崩れ落ちた跡を調べながら、小さな箱を拾い上げた。
「遺物のコアみたいだね。これが動力源だったんだろう」
箱を開けると、中には奇妙に発光する小型のクリスタルが収められていた。その表面には、見覚えのある紋章が刻まれている。
「国家軍の紋章……ソニヤさんに関係してるのかな」
「可能性は高い」
マイニオが重々しい声で答える。
「この施設は、彼女が巻き込まれた研究に関係しているかもしれん」
ヴィエナはクリスタルをそっと握りしめながら、自分の目標を再確認した。
荒野を抜け出した二人はようやく静かな夜を迎えた。ヴィエナは焚火の前でクリスタルを見つめながら、ぼんやりと考えていた。
「ソニヤさんはどんな人なんだろう……」
ミリアは火を見つめたまま答えた。
「噂じゃ、彼女は戦争を引き起こすって言われてる。でも、真実は違うかもしれない」
ミリアの言葉に、ヴィエナは力強くうなずく。
「うん、まずはソニヤさんを見つけなきゃ」
「いい覚悟だ」
マイニオの声がヴィエナの頭に響いた。