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8/21

すれ違う日々

クリスが魔法大臣次席秘書官補佐となってから、彼の生活は激変した。


とにかく忙しい。

次席秘書官が登省してくる前に省舎入りしていなければならないし、次席秘書官が業務を終えて帰宅するまでは帰れない。

というか秘書官たちが帰っても補佐官たちには雑務が山のように残っており、それが終わるまでは帰れないのだ。

多忙な次席秘書官以上に補佐官たちは超多忙なのであった。


当然、クリスの帰宅は毎晩のように遅く、疲れ果ててヘロヘロになって帰ってきたと思ったらシャワーも浴びる気力なくそのまま泥のように眠ってしまう。

ジュリアはこの頃、起きているクリスよりも瞼を閉じて眠っているクリスの方がよく見るくらいになっている。


───瞼に開けている目を描いてやろうかしら。


こんなにも多忙を極めているクリスの体が心配になるが、元々頑健で体力もある上に今の上層部での仕事にやり甲斐を感じ活き活きとしているクリスを見ると、何も言えなくなるジュリアであった。


寂しくないといえば嘘になる。

二人でいられる時間が減り、スキンシップは愚か会話さえも激減した。


それでもクリスはジュリアといる時は好きだ好きだとうるさいくらいだし、とても大切にしてくれているのがわかっていたので何も言わずに我慢していた。


だけどいつからだろう。

土曜日曜と週に二日は休みがあったのに、それがいつの間にか日曜しか休みがなくなり、そんな貴重な日曜日も、次席秘書官に呼ばれているからと彼の邸宅に通うようになったのは。


休日の食事もそのまま次席秘書官の邸宅で食べてくる事が多くなり、ジュリアは平日も休日も一人で食事する日々となっていった。


そんな中、ジュリアがクリスの恋人である事を知っている同期で友人でもある女性職員が、ジュリアを案じて内密に話してくれた。

(彼女の婚約者は大臣秘書官室の書記官を務めているのでその流れで聞いた話らしい)


それはクリスに次席秘書官令嬢との縁談が持ち上がっているというものであった。


なんでもクリスをひと目見て気に入った次席秘書官のご令嬢が父親にクリスと結婚したいと頼み込んだらしい。

もともと娘に甘く、尚且つ有能で将来性のあるクリスを気に入っていた次席秘書官はもちろんそれを快諾し、クリス本人に直接縁談を申し込んだ……というのだ。


「もう何度も秘書官邸宅でご令嬢と逢瀬を繰り返していて、近々二人の婚約が発表されるのは間違いない、とまで一部では言われているわ……」


「そう、そうなの……」


「ジュリア、ライナルドは何か言ってるの?」


「……何も……というかクリスが忙しすぎて近頃会話らしい会話もしていないわ」


「まぁ忙しいのは隣国の魔法大臣が魔法省の視察に訪れる直前だから、その関連で忙しいのでしょうね。今は多くの部署がそれでてんやわんやだから。でも一度、ちゃんとライナルドと話し合った方がいいわ」


「そうよね。わかった、心配してくれてありがとう」


そんな事になっているなんて、ジュリアは何一つ知らなかった。


クリスからは何も話されてはいない。


それならこちらから訊いてみようかとも思ったが、時々思い詰めたような顔をするクリスを見たら、怖くて何も訊けなくなってしまう。


だけどいつまで待ってもクリスは何も話してはくれない。

ただ酷く疲れた顔をしてジュリアを抱きしめてくる。

そんなクリスを抱きしめ返す事しか、ジュリアには出来なかった。


───私は、怖いんだ。クリスの口から別れを告げられるのが。


次席秘書官令嬢と結婚すればクリスは間違いなく出世し成功を収める。

あんなにも上層部での仕事が楽しいと言っていたのだ、もっと上に上がりたいと思うのは自然な事だろう。


───私はクリスが何も言わないのをいい事に知らんぷりをキメ込んでいる最低な女だ。



そんな鬱とした日々が続く中、省舎の中でクリスと次席秘書官令嬢が一緒に歩く姿を実際に目の当たりにした。


どこにでも情報通で噂好きな人間はいるらしく、彼ら彼女らの話し声が嫌でもジュリアの耳に届いてくる。


「ご令嬢がクリス・ライナルドのために毎日ランチを持参して次席秘書官室にやって来るらしい」


「秘書官室全員が若い二人を応援して、共に過ごせる時間を作っているのだそうよ。ご令嬢が帰宅される時は必ずクリス・ライナルドが送れるように業務を調整しているんだって」


「ご令嬢との婚約発表と同時にクリス・ライナルドが補佐官から末席の秘書官に昇格するらしいよ」


そのどれもが、クリスの輝かしい将来のために身を引けとジュリアに言っているように聞こえた。


そんな声が多くなる度にジュリアの心は追い詰められてゆく。

自分さえ身を引けば。

このまま追い縋っても彼の将来を潰すだけ。

クリスにはもう自分は必要ない。


一人っきり。主のいないアパートで一人で過ごしていると、心の中にそんな考えばかりが浮かんでは消える。



そんな時だ。

ジュリアが自分の体に異変を感じ始めたのは。


最初はストレスのせいで月のものが遅れているのだろうと思っていた。


だが微熱が続き酷い眠気と倦怠感。

チクッするような腹痛と刷毛で刷いたようなわずかな出血。

それらの症状からジュリアはある可能性に気付き、産科を受診した。


そしてやはり、ジュリアは妊娠していた。


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