思いがけない対面
「よぉあんちゃん、だいぶ色男が戻ってきたじゃねぇか」
「腫れが引いて内出血も薄くなってきました。抜けた歯の穴も塞がってきましたよ。まだ頬骨のひびは治ってませんが」
「マジかあんちゃん、奥歯が一本抜けたんだろ?その歯を持って治療院に行きゃあ医療魔術で簡単に元通りにしてくれただろうによ」
「ジュリア渾身の一発で抜けた歯ですからね、自分への戒めも込めて歯は抜けたままにしておきます」
「あんちゃん……漢だなぁ……!」
「ちょっと店でそんな会話するのやめてくれない?この店の店主は凶暴だと思われるじゃないっ」
昼下がりのドリア屋。
ランチタイムの混雑が引き、落ち着きを取り戻した店内で隣の八百屋のオヤジさんとクリスの会話にジュリアが文句を言う。
クリスの初襲来から十日が経過していた。
あれからクリスは毎日、店のピーク時を避けて客としてやって来ていた。
初襲来の明くる日、「また来る」と言ったクリスは宣言通りに店の営業が終わった時間にやって来た。
その時ジュリアは予め自身に掛けていた肉体強化魔法でクリスの左頬を一発、思いっきりぶん殴ったのであった。
屈強な騎士レベルに強化したジュリアの一撃によりクリスは吹き飛び、気絶した。
結果クリスは左頬骨に軽いひびが入り上顎の臼歯を一本失った。
ジュリアはどうせすぐに治療院で治癒して貰うだろうと思っていたが、クリスは自分への罰として敢えて医者には診せなかったという。
そして十日ほど経ってようやく見た目的に少しマシな状態になってきたのであった。
呆れ果てたジュリアがカウンター越しに言う。
「さっさと医師に診せればよかったのよ、カッコつけちゃって」
「それでは罰にならないだろ。いや、ジュリアに強いた苦労と俺の罪深さを思えばこんなものでは済まないよな、もう一発殴ってくれていいぞ」
「イヤよ。ご近所に暴力女と思われちゃうでしょう」
クリスの申し出をジュリアは間髪入れずに叩き落とした。
一発ぶん殴った事により、とりあえずこれまでの溜飲が下がったのは確かだ。
なのでクリスが毎日店に訪れて大好物であるドリアを注文する事は許している。
でもまだあくまでも昔馴染みの店の店主と客の関係だ。
八百屋夫婦や酒屋夫婦、そしてご近所の人たちはクリスをひと目見てリューイの父親であると分かったらしい。
それでも二人の問題だと何も言わずに見守ってくれているようだ。
クリスがすぐに近所へ、ジュリアが世話になった礼を精神的そして物理的な謝礼をしに回ったのも功を奏したのだろう。
だが、ジュリアはまだリューイをクリスには会わせていなかった。
あれからクリスからは、次席秘書官令嬢との間に縁談の話はあったもののそれ以外はとある誓約による案件での付き合いしかないと説明を受けている。
だけど無理だと分かっていても、二人が関わる事になったそのとある誓約による案件とやらなんだったのか気になってモヤモヤが消えてくれないのだ。
あの日一緒の馬車で登省してきた姿が瞼に焼き付いて離れない。
そんな自身の中途半端な気持ちのままで、まぁいいかとリューイには会わせたくはないのだ。
もしまた何か事が起きて同じような状況に陥ったらジュリアは二度とクリスとやり直すつもりはない。
中途半端に現れたり消えたりする父親など要らないから。
それなら最初から知らない方がいい。
ジュリアはそう思っていた。
周りからはそろそろ父親として対面させてやったら……?という声が上がりはじめているが、ジュリアはまだその気になれなかった。
クリスもリューイには会いたいがジュリアの判断に従うと言い、無理強いはしてこない。
だけど写真だけは見せて欲しいと頼まれたので出産時からの写真を見せてやると目に涙を浮かべて嬉しそうに見つめていた。
「可愛い」を連発しながら。
この状態がいつまで続くのかは自分でも分からない。
納得するまで、不安がなくなるまで、それがいつなのかはジュリアにも分からない。
だけど大切な息子のためにいい加減な行動にだけは出たくなかった。
そんな日々が続いたある休日の午後、リューイのお昼寝中にベランダの掃除をし終えたジュリアが部屋に戻ると、信じられない光景が目の前に飛び込んできた。
眠っているリューイの隣に大型犬のような魔法生物が伏せをした状態でぴったりと張り付いているのだ。
ジュリアはそれを見て一瞬で氷ついた。
どうやってあの魔法生物がこの家に侵入したのか。
おそらく転移魔法だろうが、異物と感じるような得体の知れない魔力は感知できなかった。
むしろどこか知っているような……。
───リューイの魔力に似ている……?
そのリューイは眠っていて、危害を加えられた形跡は見当たらない。
でももし今目が覚めて、大きな魔法生物を見て泣き声を上げたら?
それが魔法生物を刺激してリューイを攻撃されたら?
小さなリューイなど、あの魔法生物のたったひと噛みで殺されてしまう。
ジュリアはガクガクと震える己の足を叱咤した。
───しっかりしなさい!リューイを助け出すのよ!
でもどうやって?
クリスを殴った時みたいに身体強化魔法を掛けたとしてもあの魔法生物と対峙する事などジュリアには無理だ。
どうやって息子を取り戻しあの魔法生物から守ればいい?
なんとか隙をついて……と思うも、魔法生物はジュリアをじっと見据えて目を逸らさない。
一体どうしたら……誰か協力者がいてくれたらっ……!
ジュリアが魔法生物の注意を引き付けている間にリューイを救い出す役割を負ってくれる協力者が……!
その瞬間、ジュリアの脳裏にクリスの顔が浮かんだ。
悔しいけどこれ以上の協力者はいない。
クリスにとってリューイは血を分けた我が子だ、写真を見て涙ぐむほどだ必ず助けてくれるはず。
ジュリアはクリスに言われていた事を思い出した。
『何か困った事があったら強く、強く念じるんだ。他国にでも渡らない限り、ジュリアの中にある俺の魔力で必ず感知できるから。そして絶対に何がなんでもすぐに駆けつけるから』
マーキングに対しては物申したいところが多々あるが、この時ばかりは“印”をつけていてくれた事に感謝したい。
ジュリアはぎゅっと手を握り、胸に押し当てて心中でその名を呼んだ。
───クリス、クリスっ……助けて、助けてクリスっ……!
その瞬間、強い魔力の波動を感じた。
そして、
「ジュリアっ!」
ジュリアの名を呼びながらクリスが転移してきたのだ。
「クリスっ……」
本当に来た。しかも一瞬で。
ジュリアは俄には信じられなかったが、とにかくクリスが来てくれた事に心から安堵した。
思わずクリスに縋りついてしまうほどに。
「クリス、助けてっ、リューイがあの子がっ……」
「落ち着けジュリア一体どうし……
クリスはどうした、の“た”までは言い終える事ができなかった。
リューイの側にいた魔法生物が瞬時にクリスに飛び掛ったからだ。
「きゃあっ!クリスっ!」
ジュリアはただ悲鳴をあげるしかできなかった。
が、すぐにクリスの声が聞こえた。
「は?バンスっ!?お前っ……なんでここにっ!?」
クリスがバンスと呼んだ魔法生物は嬉しそうにクリスの顔を舐め倒している。
ジュリアは驚き過ぎて声も出ない。が、なんと声を押し出してクリスに言った。
「クリス……この魔法生物を知っているの……?」
クリスはバンスに押し倒されていた体を起こして答えた。
「いや、コイツは……あ、あれ?誓約魔法が働かない。……そうか、バンスが自らの意思で姿を現した時点でジュリアとリューイも誓約魔法の影響下となってしまったのか……」
「言っていた誓約魔法とはこの魔法生物が関わっているの?一体どういうこと?」
「……待て、待ってくれジュリア……きちんと話す……きちんと話すけど……」
そう言ったクリスの視線は一点に向けられていた。
お昼寝マットの上ですやすやと眠るリューイへと、ただ一心に。
「………」
こんな形で会わせる事になるとは。
ジュリアは複雑な気持ちだが呼んだのは自分だ。
それにクリスは……一瞬で飛んで来てくれた。
ジュリアが黙ってクリスを見つめていると、彼は視線をリューイに捉えたまま言う。
「ごめんジュリア……待つと決めたからにはジュリアの許しを得るまで何年でも会うのを待つつもりだったんだ……だけどごめん……再び目の前にいるのを見てしまったからには……とても耐えられそうにない」
ジュリアはそれには何も答えず、リューイの元へ行く。
そして我が子を抱き上げてクリスの前に立った。
「……手を洗ってきて。出てすぐに洗面所があるから」
「っ……!あ、ああ。すぐに洗ってくる……!」
クリスはそう言ってすぐに部屋を出て行った。
バンスと呼ばれた魔法生物もバフバフとその後をついて行く。
そしていそいそとハンカチで手を拭きながらクリスは戻ってきた。
何故かバンスもクリスの隣に立ち、得意げな顔を向けてくる。
ジュリアは眠っているリューイをそっとクリスの腕に渡した。
クリスはおっかなびっくりな様子で我が子をその胸に抱く。
「リューイよ。……あなたの、息子よ」
「っリューイ……“愛”だな……本当に、愛すべき可愛い子だ……」
腕の中の愛しい息子を見つめ、クリスは眠ったままのリューイに言う。
「リューイ、ごめんな……俺が不甲斐ないばかりにママを悲しませて。今まで側にいてやれなくて本当にごめん……でも、でもこれだけは言わせてくれ……リューイ、生まれてきてくれて、ありがとう……」
そう言ってクリスはボロボロと涙を流した。
「くぅん」
魔法生物バンスがクリスを心配して頭をクリスにぴとりとつけて様子を伺っている。
「もうっ……クリスって以外と泣き虫よね」
ジュリアはそういいながらハンカチでクリスの涙を拭いてやった。
「ダメなんだ……なんか、ジュリアと再会してから涙脆くなって……」
クリスが次から次へと涙を流しながらそう言う。
「くぅん」
バンスはクリスを慰めるように彼に寄り添っている。
何ともおかしな光景で、想像していた対面とは全く違う珍妙なものになったが、これはこれでいいのかもしれないと思うジュリアであった。