三十八話
「終わった、か……?」
外側だけを見れば、そのように思うかもしれない。
「いいえ、まだです」
しかし構えを解かないまま、コーデリアは断言した。ロジュスとラースディアンも同様だ。
相対する人間たちが見抜いたことを理解したわけでもないだろうが、魔獣の内側――バラバラの肉体、マナを繋ぎとめる役割をしていた魔力が、急速に膨れ上がる。
小出しに流して稼働のための動力としていた力を、一気に爆発させようとしているのだ。
「そこ!」
存在を主張してくれたおかげで、逆に良く分かった。
魔獣の腹、ちょうど全体の中央に当たる辺りにあった黒い塊へと向けて、コーデリアは思い切り拳を突く。
強い神気が魔獣の肉体そのものを焼き滅ぼしつつ、肉の内側に守られていた核へと到達。やや硬質な手応えと共に細かく砕けていく中で、コーデリアの神力に負けて形そのものも失っていく。
破壊を確信したコーデリアが腕を引き抜いていくその瞬間にも、核を失った魔獣の肉体はほろほろと崩れ、マナへと還って行った。
「……終わった、か?」
「はい。終わりです、多分」
数十秒前と同じ問いかけをしてきたアルディオに、今度はうなずく。
「でも、どうして神殿を狙ったのかしら」
魔獣は決して弱くなかった。しかしよりにもよって最も力が阻害される神殿内部で発生させた理由が分からない。
「他の所で暴れられたら、きっともっと手強かったわ」
「騒ぎを起こすこと、そのものが目的なのかもしれないな」
魔獣が荒らしてきた通路の奥を見て、アルディオは沈痛な表情をする。
「被害者が出た以上、魔獣の出現を隠し通すのは不可能だ。そして人々は聖域さえも脅かした魔の力に慄くだろう」
「あ……」
出現して、存在を大勢に誇示して、被害を出した。後で討伐されても構わないと思ってやったのなら、相手は見事に目的を果たしたと言えるだろう。
「何を目論んだのかは分からない。だが、コーデリア。もし君の言う通りあの方であるなら……」
確証のない段階で、誰に聞かれるともしれない場所で口に出すべき内容ではない。アルディオは強引に名前を伏せた。
しかし怒りを宿したその目は雄弁だ。
「王宮内の事は、任せてくれ。もしかしたら私が個人的に、調査を頼むこともあるかもしれない」
「分かりました」
相手が他国の王族ともなれば、国を通すのが難しいことも出てくるだろう。
「だがとりあえず、今は戻ろう。ここで我々ができることはない」
「はい」
神殿内部で、人為的にとはいえ魔獣が発生して人々を襲ったのは、神殿からすればとんでもない大事件だろう。
あまりに都合よくコーデリアたちが居合わせた件についても、説明し難い。
混乱のさなかで話をするのは、互いにとって良くない気がした。関係者が誰も来ないうちにと、一行は神殿を抜け出して貴族街へと引き上げる。
言葉少なに屋敷に辿り着き、各々の部屋にまで戻ったコーデリアは、ぼふりとベッドに倒れ込む。
(ああ、疲れた……)
色々なことがあり過ぎた。情報も多くて、整理しきれてもいない。最も素直に生じるだろう、感情すらもだ。
(こんな時こそ、甘い物……)
顔を上げて首を傾け、仕舞ったままの蜂蜜へと目を向ける。
けれど、起き上がって手に取る気にはなれなかった。
(何、作っていいか分からない……)
一日前は、助けたいという気持ちに返ってきた報いを形にしようとして、心が浮足立っていたのに。
その気持ちは今でも変わりない。だがそれと同時に、人が生み出した魔に衝撃も受けていた。
(いや。分かってた。分かってたけど……)
禍招の徒と名乗り、魔神を崇拝している者たちもいると。
(……ううん。違う。そうじゃない)
コーデリアが衝撃を受けたのは、人が、人を傷付けるのを承知で、むしろそれを目的に行動を起こしたという、疑いようのない事実にだ。
魔神信仰に縋りたくなる気持ちは、正直、分からなくはない。世界で力を持っているのは魔物だからだ。
そちらの方が安全ではと考える者がいてもおかしくはあるまい。
ただ、もしも実行しているのがルーファス王子なのだとしたら、また別の思惑が絡んでいるのでは、と思えてならない。
(そう、たとえば。禍刻の年の混乱に乗じて、隣国の力を削ごうとか)
そして自国を有利にする。
利益はあるだろう。しかしあまりにも酷い話ではないか。
コーデリアはもう、子どもではない。だが吟遊詩人の唄う美しい物語を、何となく信じていたのは思い知った。
好ましく感じていたきらきらしい偶像が傷付いて、悲しく思っている。
(わたし、今、何と戦ってるのかな)
ごろりと体を回転させて、仰向けになる。しばしぼんやりと天井を見詰めていたが、近付いてくる気配を察して起き上がった。
ややあって、扉がノックされる。
「はい、今出るわ」
立ち上がって扉を開く。立っていたのはラースディアンだ。
「どうしたの?」
「もしかしたらお疲れなのではと思って。貴女のように上手くはありませんが……。よろしければココアなど、いかがです?」
言って差し出された、温かい湯気を立ち昇らせたカップから漂う甘い香りに、自然と口内が反応した。
「いただきます。ぜひ」
「良かった」
ラースディアンを招き入れ、コーデリアはベッドに腰かける。ラースディアンはその正面で椅子に座った。
(少し前にも、こんな風に向かい合って座ってたわね)
そんなに遠くないはずなのに、昔の事のようにも感じる。
だからどうというわけでもないので、ただ事象だけを思い出しながらココアに口を付けた。
「甘い……」
「甘過ぎましたか?」
「あ、ううん! むしろ凄く、欲しかったのかもって思った」
「今日は大変疲れたでしょうから」
体が糖分を求めていたのは否定できない。
「うん、それもあると思うんだけど。……一番は淹れてもらったから、かなあ」
甘さと優しさが、心身に染み渡る。




