三十七話
通路二本分ほどを進めば、人の波の終わりが見えた。ただし、その後ろから猛烈な勢いで走ってくる奇妙な魔物と一緒だ。
「ひぃっ!! た、助け、助けてくれ!」
最後尾を走っていた恰幅のいい中年男性が、悲鳴を上げて手を前に伸ばす。虚しく宙を掻いたその真後ろで、蛇を連想させる頭が付いた魔物が巨大な口をばくりと開いた。
「輝拳!」
拳に神の光を宿し、コーデリアは移動のためよりも一段強く壁を蹴り、勢いを付けて魔物へと躍りかかった。
「閉じてなさい!」
そしてほぼ真上から、拳を落とす。
ギギィッ!
喉の奥から刃物を擦り合わせたかのような不快な鳴き声を上げ、魔獣は仰け反る。床に着地したコーデリアは、間髪入れずに無防備になった喉を蹴り上げた。
今度は苦痛の悲鳴を上げ、魔獣は後方へと飛び退く。
「あ、あんたは……」
「行って! 這ってでも!」
腰でも抜けたか床に尻をついている男性を庇いきる余裕はない。強い口調で言ったコーデリアに、男性は己の不甲斐なさを恥じるように顔をしかめた。
それから何度も首を縦に振り。
「すまん、すまん――。あんたもどうか無事で切り抜けてくれ!」
言われた通り両腕の力で自分の体を引きずって、どうにか現場から離れようと足掻く。時間はかかっても、その足掻きは間違いなく実を結んでいた。
「コーデリア!」
そこで、人の波を抜け出してきたラースディアン達とも合流する。
「無事か!」
「わたしは無事。でも……」
すべてが無事だったわけではないと、魔獣の奥に伸びる通路を見れば分かってしまう。
「何だ、こいつは……」
普段の静謐な美しさなどどこにもない、周囲に散らばる血痕や破壊された装飾品。そして何よりも、目の前の魔獣の醜悪さにアルディオは呆然とした声を上げる。
頭部は蛇。その頭頂部からは形の違う二本の角が付いていて、首から下は亜人種のものと思われる筋骨隆々とした上半身。下半身はうねる蔦が蠢いていた。
「マナの経路が目茶苦茶だわ……」
強引に繋げて、どうにか動かしている。そんな気配だ。
「これが端材の使い道か? 正気じゃねえな」
出来たとしても、やってはならない一線というものはあるだろう。魔物がこのようなキメラ化を志願したはずもない。
コーデリアにとって魔物はただの敵であるが、それでもこのように生命の尊厳さえ奪われ、弄ばれた姿には胸が悪くなる。
「強引に繋げただけならば、各部位の接合は弱いはず。弱所を狙うのが効果的でしょうね」
「異論なし。行くわ!」
「おう!」
まずコーデリアが先陣を切って掛ける。その後方から、左右に分かれるようにしてロジュスが続いた。
「う、あ。え、ええと、私は――」
「アルディオ殿は、申し訳ありませんが私の護衛をお願いできますか」
一応帯剣している剣は抜いたものの、どうするべきか狼狽えたまま動けないでいたアルディオへと、ラースディアンが提案する。
「す、すまない、そうしよう。だが、引き受けた以上は必ず私がお前を護る!」
「はい、お願いします」
事実ラースディアンは然程体術には長けておらず、呪紋の構成中は無防備だ。護衛がいれば安心であるのは間違いない。
一方のコーデリアは、迷わず魔獣に肉薄しながら側面へと向けて移動していた。
コーデリアの動きを追って、魔獣は首ではなく眼球を動かした。僅かな動きで留まったところを見るに、魔獣の視野はかなり広いようだ。
ゴプ。ポ、ポ。
濁った水音を立て、魔獣の足代わりとなっている蔦が膨れ上がる。そして両脇の十数本を持ち上げて、それぞれをコーデリアとロジュスへと向けた。
高速で水を撃つ鋭い音を立てて、濃い紫の液体が複数の先端から、断続的に発射される。
(どう見ても毒!)
追いかけてくる蔦の先端の的にならないよう、足を止めずに走り抜けていく。背面に回ってロジュスと顔を合わせることになれば、左右からの挟撃に逃げ場を失うことになるだろう。
ただしそれは、平面の移動に限ったならばの話だ。
ほぼ同時に魔獣の背後に出たコーデリアとロジュスは、一瞬だけ目を合わせてそれぞれの意図を確認する。
「やッ!」
コーデリアは床を蹴り、魔獣の背中を駆け上がる。ロジュスは魔獣の下、蔦が浮いて出来た隙間を強引に突破して正面へ。
ビッ、ビッ、ビッ、ビシッ!
コーデリアが上った軌跡を追いかけて、魔獣は紫の毒液を自らへと撃ち込んだ。
「ギィッ!?」
驚愕と苦痛の声を上げ、魔獣は大きく仰け反る。それからようやく蔦はコーデリアを追うのを止め、元の形へと戻った。
「はッ!」
その間に肩まで登りついたコーデリアは、相手の体を踏み台に飛び上がり、胴体と明らかに色味の違う腕の付け根に踵を落とす。
ぶちぶちと糸が切れるような感触と共に、コーデリアの足刀は魔獣の片腕を削り落とした。
潰れた音を立てて落下した魔獣の腕に数春遅れて着地。
「ギ、ギッ!」
体のバランスが変わったのに対応できない様子で、魔獣は大きく体を振っている。その隙に、残ったもう片腕をロジュスが切り落とした。
別の素体を無理矢理繋げているせいだろう。動きそのものが悪いわけではないが、命令の伝達には時間がかかるようだ。
(なら、次は……)
命令を伝えているだろう頭。つまりは首。そこを断ち切れば止まるのではないだろうか。
同じように考えたか、それとも初めから狙っていたか、ラースディアンの作った風の刃が蛇の頭を切り落とす。
「うぐっ!」
生々しく醜悪な断面をまともに見てしまったか、アルディオが吐き気を堪えた呻き声を上げた。
気持ちはコーデリアにもよく分かる。正直、直視はできない。
両腕と頭を失った魔獣は、ピタリと動きを止めた。その様は機能を停止した土人形などを彷彿とさせる。




