二十七話
「吟遊詩人が歌うように、ここ数百年、敗北の記録はない。いささか故意的にも感じます」
「あ、でも過去にはあるわよ。凄く昔。どっちかって言うと神話に近い時代に遡ることになるけど」
禍刻紋を付けられた者は、呪紋印の完成と共に生贄として刈り取られて魔物の力を増す――という話は、それだけ遡らないと根拠に辿り着かなかった。
(でも……変な話じゃない?)
この遥かな過去は、今より魔物が弱かったはずだ。現状の魔物の天下は、こうして過去に幾度も負けたことで決定付けられてきたのだから。
なのに魔物が強くなった近代の方が負けていないというのも、不自然な気がした。
(大体、理不尽じゃない? こっちが負けたら魔物は強くなるのに、こっちが過刻の主を討っても現状維持のままだなんて)
憤懣やるかたない気持ちになる。残念ながら、それをぶつけるべき相手はここにはいないが。
(それと……)
もう一つ、新たに生じた点についても、求める記述は存在しなかった。
仲間はいるが、禍刻紋を付けられる生贄は常に一人。例外は見つからない。
知りたかった事実のいくつかは知ることができたが、答えには辿り着かなかった。そんな気分だ。
息を付き、コーデリアは資料を閉じる。これ以上分かることはないだろう。
「ありがとうございました」
「もういいのか?」
「そうですね。今の私たちの持つ知識では、知るべきことが書かれていたとしてもこれ以上は読み解けないでしょう」
ここにあるのは国が保存した資料。当人たちが直接書いて残したものではない。
過去の英雄たちが秘したいことについては、事象から読み解くしかない。そんなものがあるかも分からない。
少なくともコーデリアたちには分からなかった。これが答えだ。
「うん、まあ……。禍刻の主とは何か、禍刻の年がなぜ生じるのかは、結局のところ解明されてはいない。永久にされない可能性もある」
(それこそ、直接聞いてみるしかないかもね。――あなたはどういう存在なの、って)
聞けたとしても、禍刻の主自身も分かっていない可能性があるが。
「んじゃ、戻るとするか。アルディオ様には見張りをサボった兵について調べてほしいし、俺たちは俺たちでコーデリアが見た怪しい物体の正体を調べてみようぜ」
「そうね。取り扱いが希少なら、そこから買った人が――『灰の騎士』かもしれない不審者に繋がるかも」
材料を知れば、件の黒い液体に使うものかどうかもはっきりするかもしれない。
「では、送ろう」
「お願いします」
どうやら城の外に出るところまで見届けねばならないらしい。道に迷わなくて済むので、コーデリアとしてもありがたいが。
来た道を遡り、何事もなく城門から外へと出る。コーデリアたちを送り出したアルディオは、そのまま城内へと引き返していった。
門衛の視線が厳しいので、とりあえず歩き出しつつコーデリアは二人へと話しかける。
「町の市場を覗いてみればいいかな?」
「いやー、どうだろう。真っ当な品じゃなさそうだし。堂々とは取り扱われていないんじゃないか」
「取り扱ってほしくない気もしますね」
もっともだった。
「だとすると、闇市とか、そういう場所になるのかな。……ちょっと怖い、かも」
禁制品に用のある生活などしてきていない。そういう品を取引する場所があることは噂で知っていたが、近付こうとは思わなかった。
「そーゆー所に出入りしてる奴のことを探るには、こっちも近付かなきゃならないこともある。できれば俺も、コーデリアやラスには関わらせたくないが」
当然のように自分は外したロジュスの言い方に、コーデリアは即座に反感を覚えた。
「一人で探しに行くのとかは、無しよ!」
「はい。翌朝死体になって転がられても困りますから、黙って行くのもやめてくださいね」
「いや大丈夫だって。俺はホラ、超強いから」
「いくら強くたって、貴方の脳は一つで目は二つで手足は二本。対応できる人数には限りがあるでしょう」
だが二人になれば背中の死角を消すことができて、三人ならばもっと広範囲、多人数に対処できる。
「まずは安全な場所での情報収集を図るべきですしね。取り扱いはなくとも、大商人ともなれば怪しげな話の一つや二つ、拾っているものではないでしょうか」
世の情勢、仲間の動向に疎くては、商人として大成はできまい。
「大商人、かあ……」
しかし残念ながら、そちらにもコーデリアに伝手はない。ラースディアンやロジュスも同じだろう。
親しくもなければ伝手と呼べるほどでもないが、思い浮かんだ人物はいる。
「……駄目で元々、行ってみる?」
「……行ってみますか」
「……だな」
かろうじて面識があるだけの相手ではあるが、先方はコーデリアがどのような立場にあるかの見当を付けていた。興味も示した。
それがコーデリアにとって良い方に転ぶかは分からないが、少なくとも初見の相手よりは話を聞いてもらえる公算が高いだろう。
まずは、所在地を知らなくてはならない。
幸い難儀はしなかった。ソムーリは有名人であり、あまり快く思われていなかったためだ。
道行くこれも裕福そうな商人に話を聞くと、あっさり屋敷の場所が判明した。普段から出入りしている人間が多いようだ。
ソムーリは自宅の一階を店舗、二階以上を住居にしているらしい。それ以外にも商業地に店を構え、所有している土地を農地として貸し出し、さらには住宅経営まで手広くやっている。
王都随一の資産家であり、大富豪だ。
貴族ではないためか、屋敷の場所は城からやや遠い。貴族街の外れと言える。だが外れにあるおかげというべきか、いっそ土地は豊かに使えたようだ。
なまじかの貴族の家より大きい、大豪邸だった。
鉄製と思しき立派な門扉は開かれていたが、体格の良い男性二人が見張りとして両脇に立っている。二人の足元には黒い毛並みをした、大型の魔犬が座っていた。
「そこの三人、止まれ。見て分かるだろうが、この先は私有地だ。許可のない者は入れんぞ」
「ここって店じゃないのか。客も門前払いなのか?」
コーデリアたちは客ではないが、門番の対応があんまりだったせいだろう。ロジュスのした質問に、門番二人は顔を見合わせる。
「客? ははは、冗談はよせ」
そしてコーデリアたちの身形を見て、嘲った調子を隠しもせずに笑った。
「ここで扱われている品々は、貴族だっておいそれとは手にできない高級品ばかりだ。物が物なのでな、客は皆予約制となっている。そして今日、来客予定はない。つまりお前たちは客じゃない。さあ、帰った帰った」
野良犬や野良猫を追い払うような仕種で、門衛は手を振る。




