二十九話
日駆峠が難所であったのは、もうずっと昔の話――と言われた通り、山道は大きく、広く整備されていた。
舗装こそされていないが、土は硬く踏み固めて均され、人通りの少ない街道より歩きやすいぐらいだ。
それに加えて。
「意外と山もなだらかなんですね」
「かつて技術がなかった頃。人の力だけで道にできそうな所を切り拓いていた時代は陽を追いかけなきゃいけないぐらい曲がりくねって、余計な大回りをしていた。けどこの山そのものは物凄く高いってわけじゃないんだ。ま、山は山だが」
外壁の上から覗くぐらいの高さはある。
「自然って雄大ね……」
「そういうことだな」
しみじみと呟いたコーデリアに、笑いつつロジュスは同意する。
だが自然の雄大さに感嘆してばかりもいられない。残念ながらコーデリアたちの目的は環境を堪能することではないのだ。
「地図だと、この辺りで交戦したってなっていた気がするけど……」
「ええ、間違いなさそうです。戦いの跡が窺えます」
道の両端は自然のままの石壁なので分かり難いが、確かに真新しく削られたような跡がある。
「血の跡とかは、残ってないですね」
正直に言って、コーデリアは少しほっとした。魔物のものといえど、行く先々で凄惨な死体を見続ける羽目になったら耐えられるかどうか自信がなかったのだ。
「余程急いでいない限り、魔物とはいえ死体は可能な限り片付けますね。放置していては疫病の元になったり、より大きな魔物を呼び寄せたりといいことがありません」
「成程。それはそうですよね」
宿場町を襲ったランペイジボアも解体され、利用できる部位は回収。残りは焼却処分をされていた。
あれは人のいる場所に限っての処理、というわけではないらしい。
さらにしばらく山道を進む――と、不意に頭上が騒がしくなった。
「!」
音につられて自然に顔を上げて、ぎょっとする。
「ちょ、あ、あれ。何……」
山肌から離れた上空で、異形の怪物が羽ばたいていた。
顔と胴体は人だが、その両腕は途中から鳥の翼のようになっている。下半身も羽毛に覆われていて、足は猛禽類の鉤爪だ。
「ハーピィだ。外敵の少ない高所に棲み付くことの多い魔物だから、いること自体は不思議じゃないが」
「こちらを襲おう、という雰囲気ではありませんね」
一応、警戒しているのは分かる。しかしそれだけだ。
「ハーピィとゴブリンって、仲がいいんですか?」
「いやぁ、聞いたことねーな。お互いに死体を餌にするって話ならよく聞くが。その場合、圧倒的にゴブリンが食われるのが多い」
「よく聞くんだ……」
どうもゴブリンの立ち位置は、魔物という括りの中でも不遇らしい。だからといって同情はしないが。
何しろそんなゴブリンにも困らされているのが、人間という種なのだ。
「だとするなら……。どうでしょうか、二人とも。ハーピィの目線の先に行ってみませんか?」
「大丈夫でしょうか。襲われたりしません?」
「襲われるかもしれませんが、そのときは返り討ちにしましょう」
にこりと笑ってラースディアンは豪胆に言い放つ。
元々魔物駆逐派のラースディアンだ。答えは分かり切っていたとも言う。
「ゴブリンに加えてハーピィを相手にするかもしれなくても、行った方がいいってことですね?」
「おそらくですが、あの下にはゴブリンの巣があるのではないでしょうか」
「巣……?」
ゴブリンの巣とハーピィが集まっていることがすぐには繋がらず、コーデリアは首を傾げる。その横でロジュスが手を打った。
「ああ、生まれたての子ゴブリンを狙ってんじゃないかってことか」
「はい」
ハーピィの目的の予想を口にされれば、コーデリアにも納得がいった。
弱い子どもが餌として狙われるのは、動物でもよく聞く話だ。
「巣を壊滅させられれば、この地での繁殖も抑えられます」
「いいんじゃねーか。どうだ、コーデリア」
「むしろそれなら、放っておいたらいつまでも山越えに支障が出続けるわよね? やりましょう」
「よし、決まりな。行くか」
全員一致で巣を目指すことになり、早速整備された道から外れることになる。
そうするとここが陽を追いかけて走る必要があった場所だということを、すぐに実体験できた。
凹凸の激しい石の道に足を取られ、風雨の影響か時折鋭く尖った岩や石が現れるのを注意して避け、ハーピィたちが集まっている場所の下を目指す。
そこは切り立った崖にたまたまできた浅い洞を利用しているようだった。
火の付いた松明を手にした小柄な生き物が、上空を威嚇するように金切り声を上げている。時折手にした松明を振り回して、ハーピィたちを牽制していた。
「あれがゴブリン……」
初めて目にしたその生き物は、成程人間とは似ても似つかない。赤黒いその肌や、凶悪な爪や牙を備えたその姿は正に鬼。
どう頑張っても見間違えることはあるまい。コーデリアは改めてほっとした。
「……けど。同族を護るために戦おうとするのは、どの生き物でも同じなのね」
「寿命のある生き物であれば、自然の摂理なのでしょう。己の血を、種を残すことで、己もまた世界の中で生き続けるのだという……」
(自然……)
そうなのだろうな、とは思うがまたコーデリアに実感はない。
(いつかわたしに好きな人ができたら分かるのかしら?)
両親がコーデリアを生み、育んでくれたように。いつかコーデリアも自分の、両親の、祖先の血を世界に継いでいくようになるのだろうか。
(憧れがない訳じゃないけど)
今のコーデリアには遠い話だ。
「さあって。じゃ、始めるか」
「どうするの? 正面から行くの?」
「いや、まずは俺が弓で見張りを撃つ。で、中から仲間が出てきたらラスの広範囲呪紋で吹っ飛ばしてもらう。運のいい奴がこっちに来るだろうから、コーデリアはそいつらの相手を頼む」
「分かったわ」
『運のいい奴』はおそらく意図的に残すつもりだろう。
仕事として受けたものではあるが、コーデリアに経験を積ませることが急務なのは全員一致で理解している。コーデリア自身も含めて。
「了解です。それでは」
まず準備に一番時間のかかるラースディアンが呪紋の構築を始めた。宙に描き出される呪紋法陣の色は澄んだ青。
水、氷系統の呪紋だと言うことだけはコーデリアにも分かった。