二十五話
「……複雑ですね」
ロジュスの言う通りだったのか、ラースディアンは水晶の破壊の仕上げに取り掛かりつつ言う。描き上げた呪紋法陣の上でラースディアンが短刀を突き刺すと、粘性の高い黒の液体になって形を失った。
変じた液体の方はすぐに呪紋法陣の発する光に焼かれ、綺麗に焼失する。
そうして反転の呪いを無効化してから、改めて騎士たちの治療に取り掛かった。
見ていることしかできないコーデリアは、ふと頭に浮かんだ疑問をそのまま隣に立つロジュスへと向ける。
「あの人、なんだったんだろう。どうして、あんな……」
「入れ物に使われた被害者がいるのは間違いないし、そいつが勝手に使われたか志願したかもここじゃ分からないが、あれはすでに生き物じゃなかったからあまり気に病むな。ただの呪いの毒袋だ」
(入れ物……。何て惨い)
考え方そのものが生理的に受け付けない。自身を護るように、いつの間にかコーデリアは腕を組んでいた。
「ゴブリンの件と関係あるのかしら」
「さて。それはそこの騎士にも聞いてみないと分からない。つっても要因に関わってるかどうかはともかく、主張からして無関係じゃなさそうだが」
行動に移した理由の中には入っている感がある。
「滅びの救い、って言ってたわよね。……滅びたいの?」
幸いにしてコーデリアは、まだ滅びを救いと感じるほど追い詰められてはいない。むしろ救いとは対極にあるような気さえして、全く理解ができなかった。
「らしいな。ったく。滅びたいならテメェ一人で滅びてろっつんだよ。こっちはまだ諦めてねーんだ。巻き込むなクソが」
「うん。わたしも諦めたくない」
巨鳥を退ければ、世界の危機はとりあえず去る。だがもし、そのときコーデリアに充分以上の実力がついていれば、その先にだって手を伸ばせるかもしれない。
(魔物から、世界の主導権を奪い取る……)
道のりさえ見えないほどに遠い目標。
ラースディアンに言われるまで考えたこともなかったが――今、コーデリアにとっても目指すべき夢となっている。
はっきりと魔物を拒絶する意思を持って同意したコーデリアに、ロジュスは柔らかく微笑んだ。
「おう。頑張ろうな」
「もちろん!」
気合を入れてうなずいた直後。
「う……!」
「!」
横たわっていた騎士の一人が上げた呻き声に、はっとして視線を下ろす。そしてその側に膝をついた。
「こ、ここは……」
「ローマーヌ山の麓です。日駆峠に大量発生したゴブリン退治に集まった傭兵たちのキャンプになっています」
「そ、そうか。なら――私たちは助かったのか」
ラースディアンの説明を聞きながら首を巡らせ、左右に知った顔があるのを確認すると騎士は安堵の息をつく。
「一体、どういう経緯でああなったんだ?」
「面目ない。私は王宮に仕える騎士で、王命によりマジュの町へ向かうところだったのだ」
「やっぱり、禍刻の主絡みですか?」
王の命令を受けて騎士が訪れるような案件は、マジュの町にはそれしかあるまい。
「そうなんだ。こちらではもう話が出回っているんだな」
果たして予想通り、騎士は肯定する。
「禍刻の英雄を迎えに行くところだ。色々伝えなくてはならないことがある」
(ええと……。これは、どうするべきなのかしら)
騎士が探しているのはコーデリアだ。普通に考えれば、名乗って用を聞かねばなるまい。
しかし懸念が一つある。
(この人のこと、信用しても大丈夫?)
騎士の恰好は立派だが、逆にコーデリアにはそれ以上のことは分からない。そっとラースディアンとロジュスを窺うと、二人は揃ってうなずいた。肯定的な雰囲気だ。
(そ、そうよね。こうして顔を合わせた以上、ここで見送って無駄足を踏ませるのはどうかと思うし)
彼が本当に王命を受けてコーデリアを探している騎士であるなら、今後の心象にもよくない。自分の首を絞める行いと言えよう。
コーデリアが納得したのを見て、ラースディアンは改めて騎士へと目を戻す。
「それは、大変なお役目を負っていらっしゃいますね。しかし傷は癒したとはいえ、すぐに発つのは難しいでしょう。こちらでしばし休まれてはいかがでしょうか」
何事かと集まってきて、こちらを遠巻きに見ている傭兵は少なくなかった。状況が落ち着いているのは分かるから、それで済んでいるだけだ。
彼らの耳目を避けて話をするために、ラースディアンが不自然ではない提案をする。
「うん……そうだな。急ぐべき大切な役目だが、だからこそ大事を取って行動するべきだろう」
あまり意固地になることなく、騎士はラースディアンの提案を受け入れた。
そのとき横目で自分と同じように倒れていた仲間の様子を窺ったので、彼らを気遣ったのが一番の理由かもしれない。
「しかし一体、何があったのですか? 先ほど貴方を運んできた、傭兵の皮を被った者の素性をご存じでしょうか?」
「あの者個人は知らないが、組織には心当たりがある。『禍招の徒』を名乗る邪教集団だ。本人も言っていただろう。禍刻の主による、滅びを望んでいる連中だ」
気味悪そうに眉をしかめ、騎士は言う。
「意味が分からん、正気の沙汰とも思えん主張だ」
「まったくだな」
騎士は不気味さの方を強く感じている様子だが、同意したロジュスの感情は憤りの方が強そうだ。
「国でも定期的に征伐を行っているのだが、中々根絶できないのだ。魔物による恐れが消えない限り、難しいのかもしれん」
(……それも、世界が魔物のものだから?)
何かしらの被害を受け、追い詰められてしまう人々が後を絶たないということだろうか。
「禍刻の主が姿を現したとなれば、ますます活動を活発にすることでしょうね」
「ああ。頭の痛いことだよ」
「じゃあ騎士殿を襲ったのは、禍刻の英雄と合流させないためか」
禍刻の主による滅びを望むのなら、禍刻の英雄は自分たちの手で管理しておきたいだろう。
生贄として完成したら、即座に捧げてしまうのが禍招の徒にとっては望ましい。
騎士をここまで運んできたのは、周りの傭兵たちに見つかってそうせざるを得なかったか――もしくは呪いをより多くの者の前で見せつけて、騎士の死を凄惨なものにしたかったのかもしれない。
「私も、そうではないかと思うんだが。何しろ禍刻の英雄に選ばれる者は、才覚はあれども選ばれたその時から力を備えているとは限らない。詳しくは言えないが、今回もどうやらそのようでな。急ぎ保護しなくては」
騎士の口調からして、コーデリアの素性などの報告はすでに王都に届いているようだ。
旅慣れないコーデリアと違って報告は早馬で行ったのだろうし、宿場町での足止めもなかっただろう。
騎士が王都から派遣されてもおかしくないだけの時は経っている。