二十四話
自然、コーデリアも目を向ける。
「誰か――、誰か! 治癒術が使える者はいないか!」
切羽詰まった叫びに顔を見合わせ、すぐに声の主の元へと走った。
どうした、とは問うまでもない。傭兵らしき人々に担がれ、負傷者が数人運び込まれてきている。
「心得があります。私が癒しましょう」
「頼む」
地面に下ろされた怪我人の傍らに、ラースディアンが膝を突く。そしてすぐに呪紋法陣を構築し始めた。
(立派な鎧姿だわ。騎士、よね?)
負傷者は全員、しっかりとした恰好をしていた。
騎士とは選ばれた者のみが得る役職である。多くは貴族の子息であり、一部に実力を認められ、兵士から抜擢された者がその地位を得る。
血筋にしても真の実力者にしても、こんな所で倒れているのはやや奇妙だと言えた。
「待て、ラス!」
「!?」
呪紋法陣が完成し、後は発動させるのみ――となったところで、ロジュスが鋭い声で制止をかけた。
驚きに指先を震わせ、ラースディアンはロジュスを振り返る。
「そこのお前は、一体何のつもりだ」
言いながらロジュスはいつの間にか抜き身にした短剣を引き抜き、騎士を背負ってきた傭兵の一人に切っ先を向けていた。
「な、何って、何も――」
「とぼけるな。魔術臭ぇんだよ。それもとびきり臭い、邪術の臭いだ」
踏み込み、問答無用で短剣を振り抜く。機敏に後ろに飛んで避けた傭兵は、しかし懐を浅く切り裂かれていた。
隙間の出来た布地から、ぽろりと拳大の水晶が落ちる。
ぼんやりと暗い紫色に光る、不気味な水晶だった。それを見た途端、コーデリアの全身の毛が怖気立つ。
「これは、反転の呪い」
「反転――え!?」
水晶の内側に描き上げられ、すでに発動しているその呪紋法陣を見ただけでラースディアンは正体を看破した。しかしコーデリアにとっては聞き覚えさえない呪いだった。
ただ、よくないものだというのは本能的に分かる。
「治癒呪紋を掛けると逆に傷が広がるっていう質の悪い魔法だ」
「何それ、趣味悪!」
唐突な出来事に周りの傭兵たちは唖然として固まって――次に、弾かれたように水晶を落とした男を見る。
「ちっ。鼻の利くことだ」
「人の身に生まれ落ちながら、魔神に縋るか。この裏切り者が!」
びりと鼓膜を震わせたロジュスの声に、コーデリアは反射的に身を竦ませる。ただ、それはコーデリアだけではなかった。その場の全員が瞬間、畏怖を抱いて硬直する。
一方周囲を威圧した本人は人々の反応になど頓着しない。地を蹴り、傭兵へと肉薄する。そしてためらいなく剣を心臓に突き立てた。
「っ!」
完全なる害敵である魔物の命を奪うのとは、全く違う衝撃がコーデリアを襲う。
(死――……)
傭兵は避けようとさえしなかった。むしろ迎え入れるように両腕を開き、ロジュスの刃を受ける。
「百年、待った! おお、我らが神よ。我らに、滅びの救いを与えたまえ!」
叫ぶなり傭兵の体は黒い帯に包まれ、一気に弾ける。黒い液体と化して飛び散った中身は、地面や張られたテントにぶつかって黒い煙と物を腐らせる臭気を立ち昇らせた。
そして至近距離にいたロジュスは、破裂した液体の大部分をその身で受けてしまう。
「ロジュス!」
地面やテントを構成する布の様子を見れば、黒い液体がいかに危険な物であるか想像に難くない。
「クソ!」
一応手を交差させて顔――眼球などの致命的な部位は庇っていたが、その分まともに受けた腕は酷い。焼けた音を立てて、今なお黒い煙を上げていた。
「こんな下等な魔術に俺が……っ。人間でありながら、クソが!」
「お、お、落ち着いて。激昂するのはよくないと思う! とにかく、ラースディアン様に癒してもらおう!」
そのラースディアンは反転の呪いの解呪に取り掛かっているようだった。こちらの様子も分かっているが、まずは呪いの効果を断ち切らないと治療はできない。
「いや、いい。それより、君が作ったビスケットあるだろ。あっちを頼む」
「こんなときに何冗談言ってるの!?」
疲労回復効果は認めるが、ロジュスの状態はそんな悠長なことを言っていられる怪我ではない。
もっと邪悪な――それこそ呪いとでも称するしかなさそうな害毒も含まれていそうだ。
「冗談で言ってない。ああ、今触れねーからちょっと口まで運んでくれ」
「本当に冗談じゃないのよね? 信じるわよ?」
本気で言っていて回復のために求めているのなら、急ぐべきだろう。
コーデリアは荷物の中からまだ余っていたビスケットを取り出した。指先でつまんでロジュスの口元へと持っていく。
ためらわず口にして咀嚼もそこそこに飲み込むと、ロジュスは集中するように目を閉じた。彼の体内呪力がじわじわと活性化していくのがコーデリアにも分かる。
「く……っ」
体の隅々にまで行き渡らせる途中で、抗うように黒い傷とせめぎ合う。――が、ややあって軍配はロジュスに上がった。
呪毒を浄化して、指先まで彼本来の神力で満たすことに成功する。
具合を確かめるように二、三度手の平を握ったり開いたりを繰り返して、うなずいた。
「よし」
「本当に『よし』なの? だってビスケットよ?」
薬ではない。作った当人だからだろう。目で見てなお、コーデリアから不安は抜けない。
「俺は地力が強いから問題ない。ま、呪力制御が苦手な奴にはお勧めしない方法だけど。それより、ラスが作った方も貰えるか」
「うん」
コーデリアからビスケットを受け取ると、今度は食べるのではなく手の中で砕いた。
「ああ!」
せっかく作った食べ物が無残な扱いをされて、コーデリアは悲鳴を上げる。
(まさか、無意味に無駄にしたとは思わないけど――)
分かっていても衝撃だった。凍り付いたコーデリアに、ロジュスは苦笑する。とりあえずそれぐらいの余裕は復活したらしい。
「ごめんなー。でもこれが一番効くと思うんだわ」
言って、未だ黒い煙を立ち昇らせながら臭気をまき散らす黒い液体がかかった土へとビスケットを撒く。
変化は劇的だった。ビスケットの欠片に触れた地面から煙は収まっていき、変色していた土の色までもが健康的な茶色に戻っていった。
「ええっ!?」
「多分作ろうとしていたのは別の効果を持つ食品だと思うが、ラスのこれは聖水だな」
「へ、へー……」
さすが神官というべきか。