二十一話
政庁の一階部分は誰でも出入りできるようになっていた。理由は、様々な手続きを行う場所でもあるから。
玄関ホールを抜けてすぐの大広間に、大きな掲示板が設置してあった。施設の案内や住民への通達などが張り出されている。
その中の一つに、日駆峠の魔物討伐隊募集の掲示がある。
「これね」
「受け付けは三番窓口だと。じゃ、行くか」
壁に沿ってずらりと並ぶ数字の書かれた机を回る。手前から一、二と続いており、目的の三まで辿り着く。
「すみません。討伐隊に志願したいのですが」
そうラースディアンが声を掛けると、席に座っていた女性は少し驚いたように一行を見た。
「ええと……。その、大丈夫ですか? 報告では今のところゴブリンのみとなっていますが、数が大変に多いらしいです。決して甘く見てよい相手ではありませんが……」
コーデリアを始め、一行があまり武に長けているように見えなかったのだろう。女性の表情は心配そうだ。
「大丈夫大丈夫。俺超強いから」
自信たっぷりにロジュスは言うが、女性の表情は晴れない。しかし志願者を断る権限はないのだろう、ためらいつつもうなずいた。
「……分かりました。こちらが依頼内容となります。注意事項をよく読み、同意のサインをお願いします」
「了解っと」
一人一枚ずつ、受付職員が差し出した紙をそれぞれ受け取る。
契約書によれば、報酬は一体銅貨二百枚の出来高制。討伐できなければ無報酬。
ただし、怪我の治療費だけは事前に貰えるらしい。これが参加経費を兼ねているのだろう。
その金額は銀貨三枚。
(安い……)
金銭としては安くないが、万が一の治療費と考えると全く足りない。
通常、怪我や病気になった場合は神殿で癒してもらうことになる。表面的な傷や少しの体調不良なら銀貨一枚前後で済むが、それ以上となると程度によって金額が跳ね上がっていく。
「あんまり怪我できねー手当だな。元々する気ないけど」
「申し訳ありません。こちらは参加した方全員にお配りする関係で、どうしても」
金額の安さは自覚しているらしい。受付女性は本当に申し訳なさそうだった。
(やらないと困るのはわたしたちもだし、手当や報酬が出るだけマシだって思うしかないわね)
とはいえ、コーデリアたちはまだ安心材料がある方だ。治癒呪紋の使えるラースディアンが仲間にいる。
あとは死んだり、後遺症の残る怪我を負っても責任は持ちませんという、行政側の免責が主張されているぐらいだ。
ここは同意するしかないが、理不尽なものを感じなくはない。
(もう少し、民に優しくてもいいと思うんだけど)
というのが本心だが、受付の女性に言っても仕方がない。困らせるだけだ。
大人しくサインをして、コーデリアは契約書を女性に返す。ラースディアンとロジュスも同様だ。
「では、こちらが討伐許可証となります。銀貨は日駆峠に待機している担当者から受け取ってください」
「了解っと。じゃ、行くか」
「ええ」
政庁を後にして、コーデリアは空を見上げる。まだ陽は高く、移動しようと思えばできなくはなさそうだ。
「日駆峠って、ここからどれぐらいの距離があるの?」
「半日ってとこかな。――ほら、あれがそうだ」
高くそびえる外壁の上に、峻厳な峰が見える。外壁に近かったときは見られなかったが、町からなら覗えるのだ。
「高さはそこまででもないが、そこそこ道が入り組んでてな。陽が駆けるほどに早く沈むように感じられたことが名前の由来らしい」
「そ、そうなんだ。大丈夫かな。迷わない?」
旅初心者が行くべき場所ではない気がしなくもない。
「大丈夫、名前が付いた、ずっと昔の話ですよ。現在は交通の要所として開発もされていますから、整備された道を進めば迷うことはまずありません」
「そうですか」
ロジュスの説明にどきりとして、ラースディアンの捕捉にほっとした。
よく考えればこのレフェンから王都までは馬車まで走っているのだ。
相当長い時間と労力をかけて開発されたのだとうかがえる。
「つっても、今回はゴブリンの討伐が目的だ。道から外れることは充分あり得る。用意はしておいた方がいいだろう」
「そんなに深追いするの?」
「相手次第でしょうね。奴らの繁殖力からして、ここで根絶やしにしてもどこからか湧いて出てくるとは思いますが……。一時的であろうとも、現状蔓延っている分は駆逐したい」
たとえ一地域で絶滅させても、いつの間にか別の地域から流れ込んでくる。そして本当の意味で世界から絶滅させることは難しい。
ゴブリンとはそれほどの繁殖能力を持つ種とのことだ。
「魔物って、どうやって増えるんでしょう?」
「色々だけど、ゴブリンに限って言うなら手段は人間と変わらないぞ。ただ、成長が早くて一度に生まれる数が多い。半年もすれば子づくりし始めるんじゃなかったか? 短命だし、弱いからな」
「あ、そういう感じなんだ」
実際に相対したわけではないので伝聞となるが、一体一体はさほど武の心得がない人間でも脅威ではないらしい。だからこそ、数を頼みにする生態なのだろうが。
「で、だ。討伐隊が組まれてるならキャンプもあるかもだから、今からでも向かえないことはないと思う。――けど、コーデリア。せっかくだし、何か作っておいてくれないか?」
「何かって?」
「何でもいい。日持ちを考えてビスケットとかがいいだろうな」
「あ、なるほど」
疲労回復用にお菓子を持っていこうということらしい。
「薬を買うより安いものね」
「ふふん。控えめすぎだぞ、コーデリア。君の作る物はそんじょそこらの薬なんか目じゃないって」
「それはどうかしら……」
食べた翌日疲労が残らなかったり、気力が満ちたりという感覚はあったが、薬と比較できるような強力な効能は感じなかった。
(そもそも、お菓子だし)
期待するものが間違っている気がする。
「呪力を扱う訓練にもなる。自身の力を使って、意図的に食材を活性化させてみろ」
言われてコーデリアは自分の手の平を目の高さにまで持ち上げて、じっと見つめた。
(確かに、訓練にもなって作ったお菓子も役立つなら一石二鳥ね。あ、美味しければ嬉しいからあと一羽多いかな)
「ラースディアン様はどう思いますか?」
「良い案だと思います。急いて成し得ることは多くないでしょう」
「じゃ、決まりだな」
今日はレフェンで一泊して、翌日日駆峠へと向かうこととなった。