九話
例外が父親と、教育係と思われるアマンダと呼ばれていた女性なのだと思われる。
だがその父親との約束を破ってこんな場所にいるぐらいだ。真の意味で諌められたことはあるまい。
教え諭すにしても、地下街は相応しい場所とは言えない。コーデリアは襟を掴んだまま歩き出す。
「わっ、わっ。何するんだ、凶暴女!」
「何とでも」
実際、力に任せているので否定できない。
ただし加減はしている。アデュールがきちんと脚を動かせば、引き摺られないぐらいの速さだ。
ちなみに軽く足を引きずるぐらいなら許容するつもりでいる。それぐらいでなければアデュールは動こうとはすまい。
「あ、あ」
「行こう、シアラ」
「う、うん」
事態の唐突な変化に戸惑う少女――シアラを促して、ライも後から付いてくる。ラースディアンが子ども二人の側に立ち、ロジュスが最後尾を受け持った。
水路を抜け、梯子に差し掛かる。と、アデュールがふんぞり返った。
「上ってやらないぞ。上ってほしかったら、謝れ!」
自分を抱えて上れはしまいとたかをくくっているらしい。どうにかしてコーデリアを困らせて、意趣返しをしたい気持ちが丸出しだ。
もちろん、付き合うつもりはない。
「大丈夫。必要ないから」
「へっ!?」
アデュールを片手で掴んだまま、コーデリアは梯子に手を掛ける。そして、上り始めた。
「おい、嘘だろ! ぎゃーっ!」
「暴れない方がいいわよ。君の服の仕立ては上等だから耐えられると思うけど、途中で破れて落ちたら嫌でしょう?」
「死ぬ! 死ぬ死ぬ死ぬー!!」
「そうね。落ちて運が悪ければ死んじゃうかも」
とは言え、本当に落ちたら下で待機しているラースディアンかロジュスが受け止めてくれるだろう。コーデリアとて、梯子の脆さを危惧していないわけではない。
他人の手にすべてが懸かっている宙吊り状態は、向こう見ずなアデュールにも恐怖を与えたらしい。おかげで楽に上ることができた。
「信じられない。怪力女め……っ」
上り切って地に足が付くと、ようやく人心地着いた様子だ。
それで真っ先に出てくるのが悪態というあたりで、性格がよく表れている。
「大体、何なんだよお前は! 邪魔するな!」
「たまたま見かけたから、見過ごして何かあったら寝覚めが悪いなと思って。さ、帰るわよ」
「嫌だ!」
「でしょうね。でも帰るわ」
ここで手を離せば、どうせ地下に取って返すか――あるいは別の場所でまた灰の騎士探しをするに決まっている。
(アマンダさんあたりに任せるのがいいでしょうね)
教育係の仕事として、ある程度見張ってくれるだろう。
とは言えこうして抜け出している訳なので、どこまで抑えられるかは謎だが。
しかしコーデリアたちにも目的がある。延々アデュールを見張っている訳にはいかない。
ライ、シアラ、ラースディアン、ロジュスとも合流して、コーデリアも内心でほっと息を付く。
「大体貴方、お父さんとの約束はどうしたの」
「や、約束?」
「灰の騎士に繋がる成果が得られなかったら、勉強に力を入れるって約束してたでしょう」
「な、何でそんなこと知ってるんだ!?」
アデュールの様子は、本気で驚いている者のそれだった。
(あれ。もしかして本当に覚えてない?)
一回会っただけなので、顔を忘れるのは仕方ないとしてもだ。当時の出来事を口にされてさえ、『そう言えば』とも思い出さないのだろうか。
(ライ君たちの方は覚えてるっぽかったのに)
アデュールにとっては、コーデリアたちなどそれだけどうでもいい存在だった、ということだ。
「さて、どうしてかしら。でも未だにあんな見当違いなことをしているんだから、成果は挙げられていないわよね? 約束はどうしたの。破ってるの?」
「見当違いなんかじゃない! お前たちが邪魔しなければ、あいつを追い詰めて白状させられてたんだ!」
「それはただ冤罪を生んでいるだけでしょ」
解決に繋がっていない。
そもそも、アデュールが男を追い詰めることも不可能だったろう。暴力によって追い払われるのがせいぜいだ。
「あと言っとくけど、俺は約束を破ってない。灰の騎士の手下を捕まえたんだ」
「え」
胸を張って誇らしげに言ったアデュールに、コーデリアは心底驚いた。
そしてアデュールの後ろでは、ライとシアラが物言いたげに口元を動かしている。立場の弱さから声にはできない様子だが、否を唱えたい気配は十分に伝わってくる。
「父上も褒めてくれて、もう少し捜査を続けていいって言ってくれた。俺は一流の冒険者になるかもって期待してくれたんだ」
「……そう」
個人的には、アデュールがやろうとしているのは彼にはまだ危険の大きい、止めるべきことだと思っている。
しかし保護者であるソムーリが認めているなら、他人でしかないコーデリアが口を挟むべきではない気もする。
ライたちの様子を見るに、そもそもその成果とやらも怪しいものだとは思うが。
「だったら、余計なことだったわね。でも一つ忠告しておくわ。無実の人を犯人に仕立て上げるのは止めなさい。道理に反した行いは、いつか必ず撥ね返ってくるわよ」
コーデリアの言葉にアデュールはラースディアンを見て、鼻で笑った。
「神罰でも下るっていうのか? 馬鹿馬鹿しい。神様なんかいやしない。もしいるんだとしても、魔神だけさ」
「あァ?」
アデュールの否定に真っ先に反応したのは、ラースディアンではなくロジュスだ。
子どもに対してあまりに大人げない怒気を発しつつ、低い声で迫る。
「言うじゃねえか。だったら身をもって――」
「ロジュス、ロジュス。落ち着いて」
肩を掴んでくるりと百八十度回転させつつ、場所を交代。
「おい……!」
「不満なのは分かるけど。自分を信じない民草一人に罰なんかを与えるより、レフェルトカパス神にはもっとやってほしいことがあるのは事実よ。感謝をしているわたしとしても」
たとえ自分の目に入る所ではなかったとしても、魔物の一体でも屠ってくれた方が余程ありがたい。
「ぐ……っ。そりゃそーだ」
呻いて、ロジュスもコーデリアの言を認める。歯噛みをしながら。
「わたしが言ったのも、そんな遠い話じゃないし。神様に頼るまでもないわ。人を傷付ければ報いを受ける。必ずよ」
それは今すぐではないかもしれない。もしかしたら自覚もできないかもしれない。だが己が知らなくても、起こる事態に変化はないのだ。
傷付けられた者は忘れない。だから必ず、行いには報いが返ってくるのだ。