六話
「うん。わたしたちじゃ浮くから無理とも言われたわ」
禍招の徒が声を掛けるのは、もっと追い詰められた者たちだろう。もしくは。
(もっと余裕があって、でも満足していない強欲な人、ね)
そこまで考えると、どうしてもソムーリの顔を思い浮かべてしまう。
当人に知られたら、とんだ思い込みだと憤慨されても文句は言えない。
デザートも食べ終わって、食後のお茶が運ばれてくると、その後に続いて侍従が姿を見せた。
「お食事中、失礼します。アルディオ様が皆様にこちらをと」
「ありがとうございます」
手渡されたのは紙の封筒。外見は無地で素っ気なく、中身も軽い。
封を開けて確認すると、折りたたまれた上質な紙が表を内側にして折り畳まれていた。地図だろう。
(これは身から離しちゃいけないやつ)
シーフット要塞で見聞きしたことを思い出す。
禍刻の主の脅威が迫る中でも、他国は虎視眈々とこちらの弱みを探っている。もっと悪く考えれば、弱るのを待ってさえいるのかもしれない。
協力者の顔をして入り込んでいる者さえいる。そういった者たちには、決して渡せない情報だ。
人目がある場所で広げるのも憚られて、そっと懐に仕舞う。
「そうだ。アルディオ様が戻られたら、相談させていただきたいって伝えてもらえますか」
「承りました」
頼みごとのための言伝も済んで、コーデリアは立ち上がる。
「じゃあ、早速。出掛けるとしましょうか」
「ええ」
腹ごなしの散歩程度の速さで歩けば、体にもそう負担になるまい。
屋敷を出て、道をぐるりと見まわして。
「さて。どこから回る?」
「食材は最後にして、町を適当に歩いてみましょ」
人々が日常を送る表通りをなぞっただけで異変に気付くことはほぼないだろうが。万が一なら起こるかもしれない。
(それに、町を見て歩いているうちに新しい案を閃くかもしれないし)
実際に選ぶかどうかはともかく、案はあればあるだけいい。
言った通りに、まずは貴族街を歩いてみる。
「さすがに、この辺りは平和ね」
「一見、な」
「まあ、そうなんだけど。……一見」
中々物騒なことをさらりと言われてしまったが、コーデリアも否定し難い。
美しく整えられた街並みの中には、暗く淀んだ悪意が渦巻いているように思えてならないのだ。
しかしロジュスの言う通り、一見すると平和である。町を巡回する警備の兵も、市民街よりずっと多い。
貴族街の中でも、アルディオの邸がある下位貴族の邸宅がある辺りを回ってから、商業区へと向かう。
高位貴族の住む辺りは、更においそれとは近付けない空気感があるのだ。
門を抜けて、坂を下って商業区へと近付くと、一気に人通りが増える。
(貴族街の、常に監視されているような空気も慣れないんだけど。この人混みも落ち着きはしないわ……)
それでも、王都に初めて訪れたときよりは慣れた。今はもう、はぐれるのを恐れて手を繋ぐ必要を感じないぐらいには。
「……」
ふと当時のことを思い出して、妙に気恥ずかしくなってしまった。何となく、手の置き場所に迷う。
つい隣のラースディアンへと目を向けると、相手も丁度顔を向けて来ていて――互いに苦笑を浮かべる。
そのコーデリアの視界の先で、子どもが三人、大人たちの隙間を潜る様に駆け抜けていくのが見えた。
「あれ……っ?」
子どもの立ち入りが禁止されているような区画ではないから、悪いわけではない。避け切れずにぶつかられた人が、少し迷惑そうな顔をするぐらいだ。
コーデリアが目を留めたのは、知った顔だったから。
「どうしました? ……ああ」
「あれ。いつかの無謀な冒険したがってた、ソムーリんところの子どもじゃん」
「相変わらず、使用人の子どもを連れ回しているのですね……」
説得は、彼の心に届かなかったらしい。
「成果が挙げられたら勉強より冒険を優先していい……ってことで決着がついたはずだけど」
アデュールが父、ソムーリとその約束をしたのは、コーデリアがマジュに帰る前だ。定められた期間はとうに過ぎている。
「成果を上げて、説得したってことかしら」
言いながらも、コーデリアの口調は懐疑的だ。
「約束を破っているに一票」
「同意します」
アデュールという人物への信頼度は、全員の中で一致しているようだった。
「どうしますか?」
「少しだけ、後を追いたい気がする。危ないことをしている訳じゃないなら、そこで引き返せばいいし」
逆に、危険を冒そうとしているならば止めるべきだろう。
アデュールに子どもらしい可愛げは皆無だし、止めればさぞかしやかましく文句を言ってくることも想像に容易い。
しかしそれでも、見過ごす理由にはならない。
子どもが好奇心に素直で周りが見えないのは、当然のことだ。自分にもその時代があったことをコーデリアも分かっている。
だからこそ大人が、無知ゆえの無謀を止めなくてはならない。
(何より、巻き込まれてる子たちが本っ当に可哀想だから!)
子どもゆえの無自覚とはいえ、立場の弱い者たちの意思を無視した横暴を不思議に思うことさえないアデュールの感性は、先々が非常に怖い。
人混みを抜け、コーデリアたちもアデュールの後を追った。商業区を通り過ぎ、市民街の方へと進んでいく。
目的地が決まっているのか、アデュールの足に迷いはない。
「どこに行くのかしら」
「もう少し行くと、市民街でも治安の悪い辺りになりますね」
「もしくは、あそこかな」
言ったロジュスの視線を追うと、地下に続く梯子が見えた。
「えっと、あれって……」
「スラム街の入り口だ」
「あんなに、普通にあるのね」
明確な境界線が退かれているわけではない。ごく当たり前に、道の先にある。
そしてどうやら、子どもたちの目的地もスラム街らしい。先頭を切ったアデュールが、梯子に手をかけて下りていく。
ためらいつつ、後続の二人も従った。
その様子は初めてとは思えないぐらい手慣れている。
「何だ、あのガキ。まだ生きてるのか。運のいい奴。……そりゃそーか。運が良くなきゃ、金持ちの家になんて生まれないわね」
橋の手すりに寄りかかってぼんやりアデュールの姿を見ていた女性が、妬ましさを隠さずに呟いて鼻で笑う。