二十八話
砦の外壁を越え、不規則に木が立ち並ぶ林の中を駆ける。
目的の人物に近付くにつれ、息が苦しいほどの魔力の圧迫を受けた。
(気持ちが悪い)
本能的に足が先に進むのを嫌がって、体が重たくなったかのように感じる。それでも、意志の力で踏み出し続けた。
そうしているうちに、元凶へと辿り着く。……着いてしまった。
一冊の本を脇に抱え、もう一冊を手に開いて佇むフレイネルと、数歩の距離を空けて向かい合う。
「久し振りだな、聖女」
「できれば、もう少し長い間会わないでいたかったけど」
「そうだろうな。勝てない戦いに臨みたい者は早々いない」
己の勝利を確信した物言い。しかし残念ながら事実だ。
相対して構えながらも、コーデリアからは仕掛けられない。それが全てを物語っている。
(ともかく、あの魔書だけ何とかできれば……)
この際、撤退を考えてもいいだろう。
「人とは愚かで、愉快だ」
愉快と言いつつ感情のこもらない淡々とした口振りで、唐突な感想を口にする。
「魔を拒み、聖を求めながら、魔に染まることを厭わない。それでいて己は聖であると信じている。まったくもって、理解不能だ」
「……」
フレイネルはおそらく、呆れているのだろう。魔のみに依るフレイネルにしてみれば、人間の行動はまさしく整合性が取れていないように見えるはず。
たとえば魔力が強い辺境で力を発揮するからと、魔石の力を得た武防具を求める冒険者たち。おそらく、彼らに魔を求めているつもりはない。
だがその実は、やはり聖神の力を弱める行いに他ならないのだ。
「しかしだからこそ、都合も良い。愚か者はいつでも、望む通りに踊ってくれる」
言って開いていた魔書をぱたんと閉じて、地に落とす。
重力に従って落下した魔書は、地面に背表紙をぶつけて一瞬で砕け散った。
「!?」
何が起こるのかと、やや開いていた距離から更に後ろへと跳んで下がる。
「さらばだ、聖女。人が招いた魔の中で死に、己の選択の愚かしさを悔やむがいい」
そう告げると、フレイネルは未練も見せずに背を向けて歩き出す。その姿はすぐに森の奥に消えて見えなくなった。
(退いた。どうして……?)
「コーデリア、考えるのは後だ!」
「!」
ロジュスに声を掛けられてはっとして、コーデリアは思考に傾いていた意識を目の前の現象へと戻す。
おぉ、おお、お……。
大地が揺れて、盛り上がる。魔力によって不自然に巻き上げられる土が擦れ、まるで人の呻き声のような音が生じた。
周囲からもかき集められ、ごっそりと深いクレーターを生じさせながら盛り上がっていく土は、徐々にその完成形を明らかにしていく。
二本の足、胴、肩から延びる二本の腕。そして頭部。
ずんぐりとして歪ではあるものの、土は人体を模した形を作り上げていった。
そして完成した部位から硬質化していき、見た目は最早土ではなく石だ。青黒い表面の中に、赤く発光する核がいくつも生じる。
「あれは、魔書の欠片?」
光の中心にあるのは紙片のように見えた。目を眇めつつコーデリアは呟く。
「その、よう……ですね」
「ラス」
砦を駆け抜けて合流したラースディアンが、息を切らせながらコーデリアの見解に同意した。
「通常、ゴーレムは魔力や神力を込めた輝石を核に存在を定着させるものですが……。これは、人の命を、マナを吸い上げて力にしている。邪術と呼ぶに相応しい手段です」
「魔力で肥やした土で、強力なゴーレムを作ろうってか。人間ってのはどんな技術も殺し合いに結び付けずにいられねーのかね」
コーデリアたちの前に姿を見せたのはフレイネルだけだが、人の組織が後ろで支援しているのは確実だ。
ロジュスの口調がややうんざりとしたものになるのも、致し方ないことだろう。
白狼砦の盗賊に聞いた話が事実なら、魔書の使い方は作成者の意図とは異なる。だが魔書を使えば『できる』という手段を残していることが、答えだとも言える。
ロジュスの落胆に共感は出来た。コーデリアとて、何であれ人を犠牲にするその発想を形にしたことそのものに疑問を覚える。
(でも、生まれてしまうのだから仕方ない)
そこは諦めようと思う。しかし、譲れない一線もある。
「止めようと考える人も、いつでもいるわ。ここにいるわたしたちみたいに。そして多数派であるために、わたしはその手段を選ばない」
自分もまた、大勢の中の一だからこそ。
「ですね」
「……だよな」
自分の三倍は優にあるだろうゴーレムの前に立ち塞がり、コーデリアは断言する。行動と共に自身の意思を示したコーデリアに、ラースディアンとロジュスも微笑してうなずいた。
そしてゴーレムは頭頂部までもを完璧に硬質化させ、自らの誕生に雄叫びを上げる。
「ラス。どう見ても怪しいアレ。魔書の欠片。あれって壊して平気だと思う?」
「問題ないかと。むしろ繋がっている魔書から命を吸い上げているので、一刻も早く壊すべきですね」
「了解。じゃあ、急いで――まずは、突撃してみましょうか!」
人間の命を形作っているマナの量などコーデリアには計りようもないが、早ければ早いだけいいのは間違いない。
叫び、コーデリアは地面を蹴った。
「上は任せろ!」
「じゃ、わたしは下ね!」
ロジュスは接近戦に使う短剣を仕舞い、弓に持ち替える。ロジュスほど器用ではないコーデリアは、自身の拳に神力を集めて威力を高める。
「輝拳!」
真白に輝く光を纏い、コーデリアは手近な紙片へと接近する。人間で言えば脹脛あたりだろうか。コーデリアの肩よりも少し低い、ぐらいの位置だ。
近くで見ると、魔力が結晶化したかのように硬質な光を湛えている。血を凝縮させたような、鮮やかで不吉な魔力結晶だ。
(返してもらうわ!)
それは誰かの命なのだから。
――奪わせない。
その思いを込めて、真っ直ぐに拳を打ち込む。
「やぁッ!」
衝突した拳に伝わった手応えは、金属に近しい。コーデリアが与えた一撃は、魔力結晶に大きなヒビを生じさせた。
(よし、行ける!)
傷が付いたことで確信を得て、迷わず二度、三度と両手で交互に殴り続ける。一撃ごとにヒビは広がっていき、数度目で割れた。
粉々になって砕けた魔力結晶は、空中に散って溶け消える。