二十七話
「ええ」
人が慌ただしく行きかう中ならば、同じ制服を着ているだけで大分目立たなくなる。
本棟の中に入り込んだコーデリアたちは、なるべく人目を避けつつ上階を目指した。
外からではぼんやりとした地点しか分からなかったが、近付けば近付くほど、明確に魔力の存在を感じ取れる。
「ここね!」
周囲の部屋と変わらない作りの扉の一つを、確信と共に開く。
もともとは小会議室だったのだろうか。椅子が向き合うように、机が四角く並べられている。
ただし今は本来の用途には使えまい。机という机の上に、本がずっしりと乗っかっている。結構な冊数だ。
「受け付けるのにうんざりしたのも分かる量ですね」
「まったくだ」
日駆け峠で見たものと同様、いずれも似通った装丁がされている。
そして実物を見て、初めて知れたこともある。
「ここにある本からは全部、魔力を感じるわ」
「はい」
「冗談だろ。あれだけ偽物ばっか流通してんのに、砦に来るのは全部本物だってか?」
あまりに確率の低い偶然だろう。
そして偶然でないのなら、誰かが意図をした必然だ。正体を突き止めるべく、それぞれが手前にあった魔書を手にして、開いた。
「……凄く変なことを言うけど」
「はい」
「この本、人間の気配がする」
まるで生命が宿ったかのような強さを感じる。
「この本そのものには、多分大した意味はねえんだな。魔力で檻を作っただけのような気がする。それを制御している本物の一冊があるはずだ」
「ねえ、これは証拠になるんじゃない?」
要塞の将軍がかかわっているかどうかはともかく、国として乗り出して調べるべき案件ではないか。
「そうですね。一冊拝借して、相談してみましょう」
「んじゃ、見付からないうちに退散――は、無理か」
ロジュスが諦めの呟きを零すのと同時に、何者かによって扉が開かれた。
「動くな、何者だ!」
鋭い声を上げたのは、五十手前程の初老の男性。身に着けているのは兵士の装備ではなく、騎士のそれだ。
側近なのか、周囲にいる男女も騎士の制服を身に着けている。
色が大分褪せた白髪交じりの金髪に、しわの増えた顔。しかしその眼光はまったく衰えを感じさせず、いっそ加齢による凄みを宿してコーデリアたちを睨みつけていた。
騎士の隊服に覆われた肉体も、引き締まっていて分厚い。背丈は平均程だろうが、一団の誰よりも強い存在感を放っていた。
「お前たちは兵士ではないな」
コーデリアたちの格好を見て戸惑った空気を流す騎士もいたが、中央に陣取る初老の騎士は一切の動揺を見せずに断言する。
「先程の賊の仲間か」
「違うわ。――あなたが、この要塞の長?」
「いかにも。シーフット要塞を護る任を拝命した、第五騎士団所属、ギリアム・コルパーである。重ねて問う。君たちは何者だ」
「魔物と戦うのを生業にしてる民間人さ。胡散臭い魔書の話を追ってきたらここに辿り着いたってだけの」
「なぜ、この地に魔書が集められているのでしょう。心当たりはありますか」
ロジュスはギリアムの問いに正しく答えたとは言えないが、続くラースディアンの質問に周囲の騎士たちの注意がギリアムへも向けられた。自分たちの長がどう答えるのかが気になったのだ。
それは騎士たちでさえ状況に戸惑っているという証。おそらく、ギリアムの判断にも。
部下たちの視線に気が付いていないわけもないだろうが、ギリアムの表情には一切の変化がない。
「心当たりと呼べるほどのものはない。この要塞が国境だからではないか。それぐらいしか思い付かん」
「今の状況はどう見ても普通じゃないわ。どうして国に報告しないの?」
「不要である。民間人から本が大量に届けられていると報告を上げて、どうせよと言うのだ。せめて何が起こっているかを知らねば報告も何もない」
曖昧な報告は上げられない、上げたくないと言われれば、理解できなくはない。
ギリアムとしても、己が無能扱いされかねないと恐れているのかもしれなかった。
「じゃあ、本を届けた後。その民間人が消息を絶っているという点はどうなの?」
十分に異常事態と言えるのではないか。
「かかわりがあるという確証はない」
コーデリアの追及は、すでに騎士の誰かがしたことがあるのかもしれない。そう思わせる程、ギリアムの答えは早く、迷いがなかった。
「腰の重いことで」
苦々しく呟いたロジュスの非難は届いているはずだが、ギリアムは厳めしい表情を欠片も動かさない。代わりのように、周りの騎士数人が表情を変えるのを堪えるような、僅かな反応を見せた。
侮辱だと憤った様子ではない。どちらかと言えば共感だ。
「私はシーフット要塞の運用を国から一任されている。そして部外者に口出しをする権限などない。まして砦内に不法侵入した罪人には尚更である」
ギリアムの言葉で、騎士たちの空気が引き締まる。次に発される命令を予想したのだ。
「賊を捕らえよ」
「はッ!」
魔書の件におけるギリアムの対応に思うところはあろうとも、たった今下された命令はごく当然のもの。
命令に従い、騎士たちが揃って身構える。黙って捕らえられるつもりはないので、コーデリアも臨戦態勢を取った。
「強行突破するわ」
「仕方ないよなあ」
「残念ですね」
足に力を入れて踏み出そうとした正にその時。背後で予期せぬ光が生じて思わずすべての行動を止めてしまう。
そして反射的に振り返り、光の正体を確かめようとする。
「何……!?」
光源となっているのは、机に積まれた魔書の模造品。全ての書が自ら光を放ち、何らかの現象を引き起こそうとしている。
「『中』にある者の生命が、マナとして使われています! 件の魔書がどこかで発動しているかもしれません……!」
「どこかって……」
うろたえて首を巡らせるコーデリアの肌に、悪寒が走って鳥肌が立つ。続いて、体が捉えた感覚を脳が正しく理解をして、伝えてきた。
「外に何かあるわ!」
叫んでコーデリアは愕然としている騎士たちを押しのけ、ロブが壊したために見晴らしがよくなっている窓から外を確認する。
すぐ近くに、強大な魔力を感じた。つい先日知ったものと、まったく同じ波長の。
(フレイネルがいる……!)
その存在を感じ取ったコーデリアは、次に起こすべき行動を迷った。そしてすぐに、そんな自分を叱咤する。
「行くわ!」
「しかし、コーデリアさん!」
決意を叫び、窓枠に足を掛けたコーデリアに、ラースディアンから否定的な声が掛けられた。
無謀な戦いに挑んで死ぬ意味が、今、本当にあるのか。
(分からない)
負けて成し遂げられることなどない。それが戦いというものだ。
(でも。それでも)
心だけは、コーデリアが望む答えを知っている。
「見殺しにしたら、後悔するから!」
今まさに、魔書の中で命を使われている者がいる。行動するならば今すぐの決断が必要だ。
声に出せば、望みはより明確になった。己の怖れを捻じ伏せるためにも、コーデリアは勢いを付けて窓枠を蹴り、空中へと飛び出す。
何も言わずに、ロジュスもコーデリアに続いた。
「――分かってはいますが!」
理性が訴える無謀さを払拭できないまま、ラースディアンも窓を離れて階下へと走る。
覚えのある無力感が、心を刺すのを味わいながら。