『契約』
───日本 富山県 某所
「Happy birthday to you~♪ Happy birthday to you~♪ Happy birthday dear タカヒロ~♪ Happy birthday to you~♪」
ケーキの上に飾られた二十本の蝋燭を吹き消す。
「「「お誕生日おめでと~!!」」」
父さんと母さんと二つ下の弟から盛大に祝福を受ける。嬉しさ半分、照れくささ半分だ。蝋燭の本数が示す通り、僕は二十歳になった。
「そういえばタカヒロ、『契約』はどうするんだ?」
切り分けられたケーキを食べながら家族との会話に花を咲かせていると、父さんがふと思い出したように訊いてきた。
「いろいろ考えたけど、やっぱりギターにするつもり」
「おお、いいじゃないかギター!」
「あらカッコいいわね~。山崎まさよしみたい」
「いや、兄さんの言うギターって弾き語りとかじゃないと思うよ。エレキギターの方でしょ?」
この場合は弟が正解だ。僕は昔からエレキギターをかき鳴らすロックバンドのギタリストが好きだった。なので『契約』ではエレキギターの才能を貰おうと考えていた。
「祭壇はいつ頃行くの?確か隣町だったわよね?」
「明日ケイゴと一緒に行ってくる。ケイゴも明日で二十歳だし」
「そう、頑張ってね」
母さんから激励の言葉を浴びながら、僕は〆の苺を頬張った。
翌日、僕は電車に揺られて五つ先の駅へ向かった。改札口を出ると、ケイゴは先に着いていた。
「おす」
「おう」
極限まで簡略化された短い挨拶を交わし、僕たちは祭壇の間へ向かって歩きだした。道中では、やはりと言うべきか今後の『契約』に関する会話が始まった。
「やっぱギターにすんの?」
「うん。中一の頃からの憧れだったからな。サッカーに関しては自前のがあるし、せっかく新しく貰うならギターかなって」
「天賦の才ってやつか。相変わらず羨ましいなぁ」
「ケイゴは…聞くまでもないか」
「なんでじゃ!形だけでも聞いてくれよ」
「だって昔から変わんねーじゃん。経営者の才能でしょ?」
「まぁ、そうだけど。なんたって俺は…」
「社長になる。だろ」
「言~わ~せ~ろ~よ~」
ケイゴが肩を掴んでユサユサ揺らしてくる。そうは言ってもこの男、ケイゴは親友であり旧友だ。幼少期の頃から知っているしその頃からずっと「おれ、しょうらいシャチョーになる!」と言っていた。最初は子供の漠然とした夢だと思われていたが、その気持ちはいつまでも変わらず経営学や事業計画、果ては帝王学まで学び始めた。それほど本気の夢だったようだ。『契約』で受け取る才能が経営スキルだということは容易に想像がつく。
じゃれ合っているうちに祭壇の間に到着した。祭壇と言っても外見は普通の建物だ。建物の雰囲気だけならばほぼ教会と同じようなものだ。
「ようこそ祭壇の間へ」
扉を開くと正面に受付があり、そこに黒衣の女性が座っていた。
「えっと、『契約』をお願いしたいんですけど…」
「かしこまりました。二名様『ご契約』ですね。ではまず、身分証明書を拝見いたします」
僕は大学の学生証、ケイゴは運転免許証を差し出す。
「ヒロセタカヒロ様、オガサワラケイゴ様ですね。こちらにご署名をお願いします」
そう言って一枚の契約書を渡してきた。ちなみにこの契約書は僕たちの言う『契約』とは別物だ。言わば『契約』を行うための契約だ。なんとも紛らわしい。
その紙には
これから契約の間で起こる出来事は全て私が自己責任で行うことであり、もしもその過程で命を落とすことになっても異論はありません
と書かれていた。
改めて文字に起こされると恐ろしい文章だが、今更何の抵抗もないので僕は下線部に名前を書いた。隣のケイゴも特に迷う様子もなくスラスラと署名していた。契約書を提出すると受付の奥から黒スーツを身に纏った長身の男が出てきた。
「はじめまして。私、本日の仲介者を務めるカドワキと申します。本日はよろしくお願いいたします」
僕たちは会釈を返す。
「それではご案内いたします」
軽い自己紹介を済ませるとカドワキさんは僕たち二人を奥の部屋に通した。そこは小部屋になっており、向かいには豪華な装飾の施された扉があった。どうやらここは準備室のようだ。
「契約の間には入れるのは一人ずつです。どちらからお入りになりますか?」
そういえば順番を決めていなかった。僕らは顔を見合わせる。
「一日先輩だしタカヒロが先でいいよ」
「そう?じゃあお言葉に甘えて…。あ、僕からでお願いします」
「かしこまりました。ではどうぞ」
男に促され僕は奥の扉、契約の間と呼ばれる部屋に入る。薄暗い。窓がなく、部屋の中央には燭台と椅子がぽつんと置かれていた。掃除は行き届いているはずなのにまるで埃臭い廃墟のような印象を受ける。
「それではこれより『契約者』様をお呼び出しいたします。中央の椅子に座ってお待ちください」
そういって男は横長の鏡の隣にある扉に入っていった。どうやらマジックミラーの向こうにもまた違う小部屋があるようだ。
まるで取調室だな。実際に見たことはないが。
そんなことを考えていると壁の向こうから怪しげな呪文のような声が聞こえてきた。僕は慌てて椅子に座る。燭台の揺らめく炎を眺めながら壁越しのくぐもった声を聴いているとだんだん眠たくなってきた。そのままうつらうつらと舟を漕いでいると、不意に耳元で声がした。
『なァ』
僕は驚き飛び退いた。その拍子にバランスを崩し、盛大に椅子から転げ落ちる。
「痛ってぇ~」
『おっト、すマねぇナ。驚かスつもりはなカったんダが…。平気カ?』
薄暗い部屋の闇の中に溶け込むように佇む『それ』は、地の底から響いてくるような不気味で悍ましい声色とは裏腹にフランクな口調で話しかけてきた。
「えぇ、大丈夫です」
反射的にそう答えたものの、受け身も取らずに床に叩き付けられたため左腕が痛む。結構痛む。じんわりと痛みが広がっていくタイプの打撲だ。額に汗が滲む。
『全然大丈夫じゃねぇだロ。悪魔に嘘つイちゃダメだゼ?』
そう言うと『それ』──否、『悪魔』は右手を伸ばして患部に翳す。燭台に照らされたその腕は真っ黒な肌色に筋張った筋肉、さらに鋭い爪。悪魔と名乗るに相応しい禍々しさだった。
『こレはタダだかラ安心しテいいゼ。もともと俺ノせイだしナ』
次の瞬間、痛みが消えた。それどころか肘と腰の辺りの擦り傷も消えてる。唖然としている僕を見て『悪魔』はケラケラと笑っている。
『思ワぬ形でお試し版ヲ披露するコとニなったガ、おかゲで説明の手間が省ケたナ。こレが俺の力だゼ!』
暗闇のせいで表情は見えないが、得意顔をしているのが容易に想像できる。最初は不気味に思えた声も、なんだかご機嫌で弾んでいる気がする。驚かせたお詫びにと傷を治してくれたりもしたし、どうやら随分人が好いようだ。いや、悪魔が好い、か?
『さてト、そろそロ本題に入ルゾ。お前ノ望みハ何ダ?』
飄々とした雰囲気が一変し、空気が一気に張り詰める。まだ数秒しか経っていないが前言撤回、やはり『悪魔』は悪魔らしい。
「ギターの才能が欲しいです!」
淀みなくはっきりと、滞りなくきっぱりと答えると
『おオ、いイじゃねェかギター!』
僕の父さんと全く同じ感想が返ってきた。まだ一瞬しか過ぎていないが前言撤回、こいつ相当俗物だ。
『実は俺ギター大好キなンだヨ!まサかギターの契約取れるナんて思ワなかったなァ…。こレぞ神の悪戯ってヤツだナ!』
終いには神とか言い出した。神と悪魔は敵対しているんじゃないのかよ。
『ナぁなァ!お前ギタリストだと誰が好キ?』
「そうだなぁ…。やっぱりジェフ・ベックとか、エリック・クラプトンとかかな」
『趣味が合ウなァ!俺大好きダぜそノ二人!』
「知ってんの!?人間界のギタリストだけど」
『そりゃもチろん。俺たチとの契約も無シにあれだケの演奏がでキる人間は珍シいからナ。魔界にモその名が轟いてル』
「マジかよ!すげー!」
ここが契約の間だということをすっかり忘れてしばらくギタリストトークに花を咲かせていると
『いつマでも喋っテないでさっサと契約終ワらせなさイ』
と、妖艶な声が響く。
『おォ、わりぃナ。楽しクてつイ…』
宿題をしない小学生とそれを叱る母親のようなやり取りをすると『悪魔』は仕切り直しとばかりに咳払いをして、ようやく悪魔らしいあの有名な台詞を吐いた。
『では、お前にギターの才能を授けよう。代償にお前の寿命の半分を貰うぞ』
今更凄まれても何も怖くない。臆することなく僕は答える。
「あぁ、構わない」
目を覚ますと知らない天井が目に映る。ベッドの周りはカーテンで囲われている。保健室のような場所だ。
「おや、お目覚めになりましたか」
どうやら『契約』を交わした直後に僕は気を失ったらしい。カドワキさんがここに寝かせてくれたようだ。
「ヒロセ様の『契約』は無事に終わりましたよ。お疲れ様でした」
「あ、どうも…」
起き抜けで頭がぼーっとする。途中で気を失ったせいか先程の出来事に現実感がない。あんな大学生みたいなノリの『悪魔』なんか本当にいるのか?夢でも見てたんじゃないか?
「それから、ヒロセ様の『契約者』様から伝言です。『お前がそノ才能を活かシてギタリストになっタ時にハ姿を変エて絶対ライブに参加すルからナ!楽しミにしてるゼ!』…とのことです。随分仲良くなられたようですね」
夢じゃなかった。『あいつ』は本当に存在したし、『契約』でギターの才能も授かった。しかも、早くも一人目のファンが出来たようだ。
「さて、お連れ様がお待ちですよ」
カドワキさんに促され部屋を出ると待ち椅子にケイゴが座っていた。何やら上の空だが。
「『ご契約』はこれにて終了です。本日はありがとうございました」
「どうもありがとうございました」
「……あぁ、ありがとうございました」
駅に向かう帰り道もケイゴはぽーっとしたままだ。話しかけてもちぐはぐな答えしか返ってこない。
──まさか、『契約』の影響で魂を抜かれたのか?
僕との『契約者』があんな感じだったので油断していたが、そもそも相手は『悪魔』だ。精神に思わぬ副作用があったのか?あれこれ心配しているとケイゴは突然僕に問いかけてきた。
「なぁ、タカヒロ」
緊張が走る。ゴクリと唾を呑み込み恐る恐る聞き返す。
「な、なんだ?」
するとケイゴは一言、熱にうなされるようにうっとりと言った。
「青肌って…いいよな…」
「は?」
──魔界 某所
草木の一本も生えていない荒野の中で、二体の悪魔が地球上には存在しない言語で会話している。
※ 以下翻訳 ※
「あ゛ぁ゛~日本語ってのは喋りづらいな。どうしても片言になっちまう」
頭部から歪な二本の角が生えている黒い悪魔がぼやく。
「ねぇ、あなた契約の間でダラダラ喋るのやめなさいよ。これで何回目?」
豊満な肉体を持つ青肌の悪魔が呆れながら言う。
「いいじゃねぇか少しくらい。ちゃんと契約は結んでるし」
「その契約が問題なのよ。無駄話してる間に決心が鈍って、契約断られたらどうするの」
「大丈夫だって」
黒の悪魔は半笑いで答える。
「昔の奴らならいざ知らず、今の奴らはその程度で決心鈍ったりしねぇよ。いや、そもそも決心なんかしてねぇかもな」
「そんなことないでしょ。寿命を半分持っていかれるっていうのに…」
「その考えが古いんだよ。言ったろ、昔の奴らならいざ知らず、って」
黒の悪魔から飄々とした雰囲気が消えた。真剣な面持ちで、その目は遠くを見ている。
「昔は寿命が短かったからな。契約で半分になっちまったら15~20年程度しか生きられねえ。せっかく才能に恵まれたって、発揮する前に死んじまったら本末転倒だ。だから余程のことがない限り契約しようなんて考えは浮かばないし、いざ契約するって時には相当な覚悟が必要になる」
「今は違うって言いたいの?」
青の悪魔が問う。
「あぁ。今の奴らはやたらと長生きだからな。半減したって60~70年ぐらいは残る。契約なしで平凡な120年を生きるより、契約して劇的な60年を生きたいって奴がほとんどだ。だから寿命を半分失うことに大層な覚悟決めてくるやつなんかいないのさ」
そこまで言うと、黒の悪魔は再びヘラヘラと笑い始めた。
「だから契約の間で長話してても平気ってわけ!」
「は?」
急に自分の言い訳の話に逆戻りしたので青の悪魔は思わず素っ頓狂な声をあげた。
「あ~楽しみだな~タカヒロのライブ。人間ってデビューまでどのくらいかかるんだぁ~?」
筋張った黒翼を広げ、黒の悪魔は空を飛ぶ。
「ちょっと待ちなさい!話はまだ終わってないわよ!」
青の悪魔の怒号は、魔界の荒野にこだました。
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ヒロセタカヒロ
契約内容:ギターの才能
担当悪魔:████
オガサワラケイゴ
契約内容:経営者の能力
担当悪魔:████████
この小説はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。