娘のハロウィン
ハロウィンは嫌いですか?
10月に入り、暑かった夏が嘘の様に涼しい。
秋の虫達が奏でる鳴き声を聞きながら、自宅の扉を開いた。
「ただいま」
「おかえりなさい」
奥の部屋から妻の声がする。
何か作業をしている様だが...
「佳奈は?」
「まだ合唱部ですよ」
娘の部屋は電気が消えている。
時刻は8時、まだそんなに遅くはない。
「そっか」
娘は中学から始めた合唱に夢中。
高校も合唱コンクールで有名な学校を選んだ程だ。
結構偏差値の高い高校だったが、必死で頑張った受験勉強は見事実を結び合格。
片道1時間半の通学時間も全く苦にする事なく、元気に毎日通っている。
「片付けか?」
妻は押し入れから古い服や、ガラクタを段ボールに詰めている。
それほど大きくない我が家、物が溜まれば片付けが大変な事になる。
「ええ、あの子も大きくなったしね」
妻は手際よく整理を続ける。
お腹が空いたが、一段落しないと落ち着かないのだろう。
「...それは」
「まだあったのね...」
古い段ボールの中から出てきたのは黒いマントと帽子。
銀色のメッキが施されたステッキ、カボチャの形をしたお菓子入れだった。
「...ハロウィンの仮装か」
久し振りに見た気がする。
娘が最後に着たのは何年前だったかな?
ダメだ、思い出せない。
最初に着た時の事は覚えているのに。
忘れたくとも、忘れられない悪夢の記憶が...
娘の佳奈は小さい頃から、誰とでも仲良く遊びたい子供だった。
しかし他の子供達からしてみれば、距離感の掴めない変な子供に映る事もあった。
『あ~そ~ぼ』
『........』
『ねえ』
『あっち行って!!』
『...うん』
三歳から通い始めた地元の保育園。
口コミは良かったが、保母の入れ替わりも激しく、園長は子供の名前すら覚えず、年長の園児が年少の園児の面倒を見る教育方針だった。
そこで娘は年長達に嫌われてしまった。
毎日泣いて帰る娘。
妻は何度も園と話し合いを申し出たが、事態は全く改善せず、何故か娘の発達障害まで言い出す始末だった。
紹介された支援センターの判定で問題は指摘されず、園の変更も考えた。
しかし、どこの保育園も待機児童で受け入れて貰えない。
私達は思いきって引っ越しを決めた。
数件に候補を絞り、週末毎に回る日々。
そして一件の物件にたどり着いた。
それは新築のマンション。
結構な値段だが、駅から近く住環境も良い。
近くにある保育園はマンション入居者を優先的に受け入れてくれると言う。
妻は平日に仕事の休みを取り、娘を連れて保育園見学の予約を取った。
『大丈夫ですよ。
佳奈ちゃんは良い子です、心配しないで』
話を聞いた園長先生は娘の頭を撫でながら笑い、妻は泣いてしまったそうだ。
こうして引っ越し先は決まった。
『新しい保育園は楽しいかい?』
『うん!!お友達、い~っぱいできたんだよ』
『そっか!』
『ゆう君でしょ、しおりちゃん、ほまれちゃん...』
『良かった...』
毎日笑顔で保育園の話をする娘に、私達夫婦は決断が間違っていなかったと実感したのだった。
子供達の親とも交流を深め、二年後に娘は無事保育園を卒園した。
楽しい日々に試練が訪れたのは、娘が小学一年のハロウィン。
いつも遊んでいる友達と、小学校で新たに出来た友達も加え、一緒に近所を回り、お菓子を貰って歩く約束をしてきた。
もちろん子供達だけではない、友達の親御さんが1人同行する。
私達はその親御さんと連絡を取り合い、娘をお願いした。
『これかわいい!!』
『それじゃ帽子も』
『お父さんはステッキを』
仮装の衣装をショッピングセンターで買い揃える。
娘はマントを嬉しそうに巻いてくるくると何度も回った。
『行って来ます!』
『夕方までに帰るんだよ』
『は~い』
約束のハロウィン当日。
日曜日で仕事も休みの私達は笑顔で家を出る娘を見送った。
出発して僅か1時間、我が家のインターホンが鳴った。
『ただいま...』
鍵を開けると1人ぼっちで玄関に立つ娘。
全く元気が無い。
『あれ早かったね佳奈』
『...どうしたの』
何かあったのは分かった。
喧嘩でもしたのか?
嫌な予感、しかし娘に起きたのは、そんな物では無かった。
『...誰もいなかった』
『え?』
『まいちゃんも、ゆう君も...佳奈、ずっと待ってたのに!』
堰を切った様に娘は叫ぶ。
ずっと我慢していたのだろう、涙が頬を伝う。
『ねえ...佳奈悪い子なの?
だからみんな知らない...するの?』
『そんな事ない!』
『そんな訳あるもんか!!』
『なんでなの?どうしていないの?』
玄関でしゃがみ、泣きじゃくる娘を部屋に入れる。
マントと帽子を投げ捨てる娘。
ステッキと空のままのお菓子ケースが床に転がった。
『...連絡します』
『そうだな、俺は...』
妻は子供と同行する予定だった親御に連絡をする。
おそらく、ろくな返事は期待出来ない。
同行したのは違う保育園から来た人間、余り交流が無かった。
私はある人に連絡を入れた。
『どうだった?』
『待ってたけど、佳奈が来なかったからって』
『それでも連絡くらいするだろ?』
『...そうよね、時間だって何度も確認したのに』
『畜生...』
やはり予想通り。
娘と同じ保育園に通っていた子供の親に事情を話すと、皆怒り心頭で直ぐに子供達を迎えに行くとの事だった。
『そっちは?』
『ああ、大丈夫だ、快諾してくれたよ』
『良かった』
妻は安堵の表情で私を見た。
せっかくのハロウィンをこれ以上台無しにしたくない。
『佳奈行くぞ!』
『え?どこに?』
急いで着替え、泣きじゃくる娘の肩にマントを掛けた。
『今からハロウィンのやり直しだ!』
『そうよ、佳奈のハロウィンはこれからなんだから』
私達は娘を車に乗せ、約束の場所へと急いだ。
『すまん兄貴』
『いいよ、賑やかな方が楽しいし』
着いたのは兄の自宅。
兄の家族は笑顔で私達家族を迎えてくれた。
『...こんにちわ』
『こんにちは佳奈ちゃん、可愛いい魔女さんね』
兄の娘で小学三年の優子ちゃんが佳奈に微笑む。
『ありがとう...』
『私はどう?』
『スッゴく可愛いいお姫様...』
優子ちゃんも仮装の衣装を褒めて貰い嬉しそうだ。
兄の家族も近所を回ると聞いていた。
『トリック・オア・トリート!』
『お菓子くれなきゃ、いたずらしちゃうぞ!』
娘は嬉しそうに優子ちゃんと近所を回る。
手にしたお菓子ケースは忽ち埋まって行く。
手を繋ぎ、仲良く歩く二人の後ろを私達は兄夫婦と歩いた。
『兄さん、ありがとな』
『良いって、それより先方の家族は?』
やはり気になるのか、兄貴が聞いた。
『さっきから電話が来てます』
『で?』
『出ませんよ』
妻は冷淡に言った。
先程から向こうの親から何度も妻の携帯に連絡が入っていた。
『まあ...気まずいんだろうな』
『陰湿だよ、やる事が』
一緒に行っていた子供の親から聞いた話では、佳奈と友達がいつも仲良く遊ぶのが許せず、佳奈を抜きにして自分の子供と友達を遊ばせる為に意地悪をしたと認めたそうだ。
娘に黙って約束を変更し、置き去りにするか?
『ほっとけ、それより佳奈ちゃんの事だ、あの子は大丈夫』
『本当ですか?』
『直ぐ距離感を掴める様になる、佳奈ちゃんは間違いなく天使だよ』
『そうよ、元気を出して』
『ありがとう...』
『ありがとうございます義兄さん、義姉さん...』
不覚にも泣いてしまう私達だった。
それから数年、毎年ハロウィンは兄の家族と過ごした。
佳奈を嵌めたあの家族は今も変わらず住んでいる。
交流は無いが、図太いのか形ばかりの謝罪が一回あっただけだ。
「兄さんの言った通りだったな」
「そうね、高校も楽しそうで」
心配していたが、娘は兄貴の言った通り友達が沢山出来て、楽しい時間を過ごしている。
いじめられる事も無く、本当に良かった。
「ただいま」
「おかえり」
「おかえり佳奈」
玄関の扉が開き、大きな荷物を持った娘が入って来る。
身長も妻を抜き、すっかり大人だ。
「あれ?懐かしいじゃない」
「あ...ああ」
娘はマントに気付き、箱から取り出した。
「うわ小っちゃい!
こんなの着てたんだ、もう入んない」
マントの紐はもう届かない。
丈も、腰の上までしかないのだ。
「当たり前でしょ」
妻は嬉しそうに笑う。
本当に良かった。
「なあ佳奈」
「なに?」
「今年のハロウィンだけど...」
久し振りに兄家族と過ごそうかな?
優子ちゃんは大学入試で大変だろうが。
「クラブの友達とユニバ約束しちゃった」
まあ当然だな、親より友達優先なのは自分にも覚えがあるし。
「そっか、お小遣いだ」
「やった!!お父さん大好き!!」
財布から1万円札を取り出し娘に渡す。
臨時収入だから嬉しいだろう。
しかし現金な奴だ、大好きって久し振りに聞いたな。
「遅くならない様にね」
「分かってるよ!」
笑顔で自分の部屋に向かう娘。
私達は再びハロウィンの衣装を手にした。
「お役御免だな」
「そうね」
妻と二人、ハロウィンの衣装が入った段ボールの蓋を閉めた。