神使と人の子供
翌日早朝、私は斑さんとつららさんの二人を車に乗せて出発の準備をしていました。
目指すは富士周辺の『開かずの風穴』。
そこで白い虎のようなあやかしを回収する目的なので、家族のワゴン車を拝借しています。
慣れないサイズ感ですが、まあ何とかなることでしょう。
不慣れを補うためにも、基礎に立ち返って車体状態をチェックします。
サイドミラーの状態、よし。
助手席に座る斑さんはぐったり。
バックミラーの調整完了。
後部座席のつららさんは寝そべっています。
はい、予想された姿ですね。
私は二人に声をかけます。
「では風穴に向けて出発しますね?」
「ああ、任せるよ……」
「私のことはお気になさらずぅ……」
「飲み物休憩などが欲しくなったら言ってください」
何ともだらしないようですが、あやかしにとって現代とは信仰が途切れて苦しみばかりの娑婆。
年中続く夏バテか、高山くらいに負荷がかかるそうです。
事が始まる前から疲労困憊とはこれ如何に。
とはいえ、雪女ほどの知名度だとさほど影響はないのでしょう。
つららさんはすぐに起き上がります。
バックミラー越しに見ると、彼女は斑さんにしげしげと視線を注いでいました。
「常々思っていたんですけどぉ、斑さんは何のあやかしなんですか?」
彼女の口から零れ出た疑問に、私はつい減速が粗雑になって車体をがくんと揺らしてしまいました。
普通は問題ない一言です。
人で言えば「どこ出身?」と問うようなもので、見かけでは正体がわからない斑さんに聞きたくなるのも無理はないでしょう。
けれど、この話題は彼の辛い過去に触れかねません。
私は心配して視線を向けます。
彼は大して気にした様子もなく視線を返してくるのみでした。
そして自らの口で返答します。
「神使と一口で言えれば楽だけど、とても曖昧なんだ。玉兎と違って僕は魔祓い師の家系と神使の間にできた子供だからね」
「能力を求めてあやかしの血を取り入れる噂は耳にしますが珍しいお家柄ですねぇ。それにしても神使なんてあやかし、いましたっけ?」
つららさんは首を傾げます。
「稲荷神社の狐みたいな八百万の神々の使いのことだよ。僕の母はウカノミタマ様の神使でね、関係性で言えば安倍晴明とその母、葛の葉と同じなんだ」
「ウカノミタマ……はっ!? 伏見稲荷神社の主祭神!? ひええっ、尊いご身分じゃないですかぁ!?」
王侯貴族の関係者と言われたようなものでしょう。つららさんは私の座席に後ろから張り付きます。
彼女は私の肩を叩き、視線で何かを訴えていました。
「小夜ちゃんは知っていたんですか!?」
「ええ、はい。診療所で働き始めた際、薬を複製する玉兎くんの姿を見た時にいろいろと聞かせてもらいました。あとつららさん、もうちょっと落ち着いてください」
つららさんは運転の支障になるということもお構いなしで、座席ごしに私の肩を揺らしてきました。
玉兎くんは医薬の神様、オオクニヌシ様の神使になるべく修行の身です。
人間としてはどれだけ凄い存在なのかはわからないので、へえそうなんだと頷く程度でしたが、あやかし同士だと大事のようです。
「そ、そういえばぁ……診療所は二柱の神様が後援していらっしゃるんでしたっけ?」
怖々と問いかける彼女に斑さんは頷きを返します。
「それがオオクニヌシ様とウカノミタマ様の二柱だよ。特にウカノミタマ様は人とあやかしの関係を常々憂いてくれている神でね、あやかしが最盛期だった時代には神使に安倍晴明を産ませることで人を守った。逆にあやかしが弱る現代では、美船先生の医療を学ぶことであやかしを助けようと母を遣わしたんだ」
幼少時の私を助けてくれたのも、その神様たちなんだとか。
祖母とあやかしの付き合いはとても長く、神使が遣わされたのも私が生まれる以前のこと。
斑さんは兄と同い年の二十八歳になります。
そして、例の事件を機に祖母と共にまほろばに帰って、今に至るわけです。
そんな流れであれば当然、斑さんのお母さんも診療所で働いているはずでしょう。
けれども現在の従業員にその姿はいません。
そこが問題なのです。
「はて? 診療所の従業員は確か……」
ハンドルを掴む手にも力がこもるくらいに心配していたところ、つららさんはひぃふぅみぃと数える様子で地雷を踏み抜きました。
私は斑さんの顔を見つめます。
彼の表情は不思議と真っ直ぐでした。
「ああ、母はいないよ。娑婆はこの通りきつい世界だからね。母は幼い僕の負担まで庇い続けて倒れ、ウカノミタマ様のもとに還ってしまったんだ」
「それはつまり、死んだという……?」
「神使は主の分身みたいなものだから死にはしないよ。いつ目が覚めるかもしれない眠りについただけだ。ただ、同じ伝説から生まれた雪女で個性が違うように、次に目が覚めた時は同じようで違う存在になっているかもしれないけれどね」
「あ、あわわ……。それは悪いことを聞いちゃいましたかぁっ!?」
死生観に疎いあやかしでも流石にここまで来ると察した様子です。
全ては手遅れと私が遠い目をしていたことも、バックミラー越しに通じました。
けれど斑さんは憤っていません。
やんちゃな子犬を前にした時と同じく、仕方ないなと認める顔です。
「いなくなってしまったのは残念だけど、それは母の愛情故だった。そのことで一喜一憂はしていられないよ」
この気持ちには強く共感できます。
私も祖母と一緒にいたかったけど、ずっと離れ離れでした。
けれど、それは家族を守るためであり、あやかしを救うためなのです。
私が憧れたあの背を恨めはしません。
想いを継いで、自らも同じように振る舞う――。
こうして語る斑さんは、私からすると先駆者を見ている想いすらありました。
「母は僕が生まれる前からあやかしのため、美船先生に師事していた。神使の息子なんてあやふやな存在だからこそ、たとえ母が全部忘れてもその在り方を引き継ぐのが僕らしさになる。悪かったと思うなら、より一層診療所のためになることを頼むよ」
「そっ、それはもちろんですとも!」
つららさんは首を大きく上下させて頷いている。
斑さんが傷ついていないようで何よりと、私も内心ほっとします。
ようやく運転に集中できそうですね。
私がそう思った時、斑さんがこちらに視線を向けていたことに気付きました。
「そんなわけで、美船先生を継ごうという小夜ちゃんの面倒を見ることも僕らしさの一つになる。小夜ちゃんの行動力と計画力は感心するけど無茶はして欲しくない。何かをするくらいなら今回みたいに僕を頼ってくれると助かるよ」
零した言葉のなんと恐ろしいことか。
斑さんは基本的に褒めて伸ばすタイプで、なんだかんだ言っていいとこ探しをしてくれます。
小憎らしい本当の兄を補うように優しかった斑さんは今も健在でした。
「ところで、美船先生から出された課題の進捗はどうなんだい?」
優しさのむず痒さに表情が緩みそうになっていたところ、助け舟のように話題転換をしてくれます。
これ幸いと、私は集めた情報を思い出しました。
「それについても調べは進めています。大学生は怪談や肝試しが好物なのでローカルな情報も含めて情報収集は割と捗っていますよ」
診療所で働くための条件第二、問題解決能力です。
こちらも抜かりはしません。
「『富士の不死』は亡くなった旦那さんが生き返ったと言い回る痴呆のおばあさんという結論でした。しかし、実際に旦那さんを見た人もいるそうなので調査が必要そうです。『鉄鎖の化け物』は複数の器物破損事件で、鎖とその擦過痕も確認されている話ですね。気になることに、これから向かう『開かずの風穴』近くでもそれらしき事件は起こっているそうです」
その話を聞いたつららさんは顎に手を添え、思案顔を見せます。
「私が見たイエティは鎖なんて身に着けていませんでしたよ。無関係なあやかしがわざわざ近くで何かをするなんて、偶然ではないですよねぇ?」
「これは『狸と狐の化かし合い』的な一件かもしれないね」
斑さんも懸念を察してくれました。
この言葉は、悪賢い者同士が互いに騙し合うことのたとえです。
けれど人の噂が力になるあやかし業界では、別の意味で捉えることもあります。
知っているかい? と視線で問いかけてくる斑さんに私は返答しました。
「ある時、力をつけようとした狸が人を化かした。それを知った狐がもっと目立つ形で騒ぎを起こして、全ては狐の仕業だったんだと人に思わせて旨味を総取りしたお話ですね」
「そう。その鉄鎖の化け物が騒ぎを自分のものにしようと現れる可能性はある。十分に警戒しないといけないね」
渦中にいざ飛び込んでみたら、いがみ合うあやかし二頭の間だったなんて笑えません。
ひとまず近づくにしても警戒は必須です。
「はい。気を付けていきましょう」
可能性についてはあれこれと考えつつ、私たちは目的地に向かうのでした。