半クモ半ウシ妖怪に使える抗生物質
家族の不和を解消しようとしたら、何故か白い虎のような怪物が生まれ、風穴に閉じこもって『開かずの風穴』と呼ばれる噂ができてしまった。
その怪物が弱っているので、診療所に保護を頼みたいという案件でした。
私は聞いたままを祖母に取り次ぎます。
「――ということなの。おばあちゃん、私が手を貸してもいいですか?」
来院は続かなかったので娑婆の新聞を読んでいた祖母は、ふむと唸ります。視線を向ける先はつららさんでした。
「ひえっ」
着物や毛皮でも羽織ろうものなら百鬼夜行の先頭にいたっておかしくない貫禄です。
縮み上がるのも無理はありません。
震える彼女が私の背に隠れると、値踏みの視線は私に移りました。
「小夜。手を出すからには後始末まできちんとやりとげるね?」
「もちろんそのつもりです」
ペットを飼うからには最期まで面倒を見るのと同じ。
関わるからには徹底的に、というのは最早家訓みたいなものです。
揺るぎなく答えると、祖母はしばらく間を置いてから頷きました。
「つららには冷蔵庫で世話になっているしねえ。小夜がそうまで言うなら――」
「はい。明日にでも斑さんにエスコートしてもらって見にいきます!」
危険があるところに素人だけで送り出すほど祖母も鬼ではありません。
雷獣の保護に化け狸の刑部をつけてくれたようにお目付け役は用意してくれます。
というわけで、ここは空気を察して素早く主張しておきました。
近くで獣医学雑誌を眺めていた斑さんはこの指名に顔を上げます。
「いや、待ってほしい。小夜ちゃん、診療所以外での活動は賛成しかねるよ。第一、明日は牛鬼の膀胱炎に使う抗生物質の検討をする約束――」
「それについてはこの参考文献でもうお話できますね」
私は大学でコピーしてきた論文を目の前に差し出します。
牛鬼は草食動物+クモという姿ですが、これがまたあやかし診療における難題でした。
草食動物は微生物による植物の発酵や分解が消化に大きく関わります。
微生物にまで影響のある抗生物質は毒になりかねません。
また、抗生物質は『動物には無害だけど虫や細菌には毒』という効果で薬となるものも多いのです。
というわけで、草食獣にも虫にも使える治療薬を選ばなければならないという難問だったのです。
さて。
前準備が功を奏しましたが、斑さんがこれで引き下がるとは思えません。
彼は顎を揉み、別の意見を捻り出そうとしています。
「……準備がいいね。でも明日の手術予定とかはどうだろう?」
彼は取ってつけたような思案顔でカレンダーを指差しました。
これは嫌がらせではありません。
むしろその逆で、私がここで働くこと自体は応援してくれています。
ですが、診療所以外での活動は危険が伴うので彼は嫌がるのです。
幼い時の記憶からして斑さんは気配りができる人であり、いつも優しい理想のお兄さんでした。
そんな人が苦しげな表情を見せてくれる機会はそうそうありません。
ここは大層やりがいのある舌戦なので私も張り切って抵抗します。
「特に重要な予約案件がないのは確認済みです。安心してください」
「毎度ながら周到だね……」
「人間だてらにあやかしの相手をしていますので、準備は怠りませんよ」
普通の動物病院なら昼まで営業し、夕方の再開までに手術をこなします。
その内訳といえばやはり避妊去勢手術が多いけれど、あやかしにそれは行わないので手術案件自体が少なめなのです。
そもそも最近までは祖母と斑さんが獣医師、もう一人の看護士と三人で回し続けていたのですから多少の人員不足は支障になりません。
全ては考慮済み。
私は余裕をもって祖母を見つめます。
「予定としては朝一に現場の確認。処置が必要な場合に備えて、通常業務が終わる午後一番には帰るという予定です。いかがですか?」
「妥当だね」
ここまで言うと祖母からも反論はありませんでした。
どうしたものかと気を揉み始める斑さんとは対照的に、祖母は思案顔を見せることもなくつららさんに目を向けます。
「その前に小夜。お前はつららが言う白い虎みたいな怪物は何が正体と考えるんだい?」
「その答えはおばあちゃんが今見ていた新聞にも載っているかと」
「えっ、そんなところに載っているんですかぁ!?」
私の言葉につららさんは驚愕の表情を浮かべます。
驚くのも無理はありませんが、夕方に見たニュースでも流れていました。
新聞に載っているのは、とある大学の教授がイエティの証拠を紛失したという記者会見の話です。
これに関係するとなら間違いないでしょう。
ひと月前、この証拠はどの動物と判別されたでしょうか。
「イエティの証拠とされるミイラや骨は今までにも様々な動物と特定されていて、今回はユキヒョウのものと確認されていました。こんな状況下で生まれるとしたら“ユキヒョウのようなイエティ”になるんじゃないでしょうか」
鵺と雷獣を同一視すれば真実になるのと同じ。
やっぱりイエティはユキヒョウだったのかという共通認識が広まっているこの時に生まれるあやかしには、その影響が現れがちです。
「そうだね、私も同じ考えだよ。まさに小夜がこの診療所で担当している仕事だ」
「ううん? 小夜ちゃんは魔祓い師でもない普通の人ですよね。どういうことです?」
つららさんは首を傾げます。
診療所のお客さんにとって私は『美船先生のお孫さん』『看護師見習い』程度の認識なので無理もありません。
けれども、単なる看護師で手が足りるなら祖母はあやかしでも雇ったことでしょう。
ここで働くための条件第一。
役立つ技能を持てと言われた通り、私は替えが利かないものを身に着けている最中なのです。
「薬剤師としての担当ですよ。イエティは猿に近い印象ですが、今回のように実在の動物寄りにもなりやすいあやかしです。動物によって薬の適用量が違うし、禁忌になる薬もあります。だから薬の処方はよく考える必要があって、それを私が請け負っているというわけです」
私の言葉に祖母は深く頷きました。
「時間があれば考えていたんだけどね、片手間にするには重い作業だし、資料も足りない。小夜はまさしく診療所に足りないものを見つけて勉強しているんだよ」
「……。頭が良くないとできないんですねえ?」
少々話が難しくなったせいか、つららさんは思考が停止している様子でした。
そうです。
こちらの住人はこういうお話に興味ないのを失念していました。
「とにかくですね、有名で元気なあやかしほど自己治癒力で治ってしまうんですけど、知名度が低くて弱ったあやかしほど普通の生き物に近くなります。なので私は正体を見極め、安全な薬を提案する係というわけです」
「なるほどぉ?」
「ごほん。その話はともかく、続きをいいかい?」
祖母は咳払いで私たちの注意を引きます。
診療所外での活動を良しとしない斑さんは物言いたげでしたが、診療所の主が仕切っているとなれば押し黙っていました。
「正体に予想がついているのはいいんだけどね、注意点があるよ」
「おやおや? なんでしょう」
「それをただ教えるのは身にならないから、まずは質問しよう。この診療所には日本の妖怪だけでなく、妖精もよく来院するのはわかっただろう。その理由は何だい?」
こうして時々出される問題も査定の一環なので気は抜けません。
私は姿勢を正して向き合います。
「おばあちゃん、それはいきなり投げかけるには難しすぎではないでしょうか」
「来院するってことはいつどこで出くわすかもしれないってことだからねえ。備えるには知っておくべきことだろう?」
「確かにそれはそうなんですけど」
「さあ、答えは?」
思考時間も大して与えてくれないなんて本当に手厳しい限りです。
私は視線を斑さんに向けました。
しかしこれは彼に助けを求めたのではありません。
そのことは斑さんも察したらしく、もう諦めたような顔になっています。
「実のところ、ここで手伝いを始めてすぐの頃に聞かせてもらっちゃいました。だって、妖怪ばかりに思える日本なのに来院する二割くらいは妖精ですし」
斑さんは例の事件までは兄以上に私を気遣ってくれた人で、今も頼れる存在です。
ここに来た当初はあれやこれやと全てが物珍しく、質問攻めにしたものでした。
それを思い出したのか苦笑する彼から祖母に視線を戻します。
そこに否定の兆候は見られません。
「私たちだって普段しない手術なら解剖や外科の専門書を持ち出して細部を思い出しながら備えるものだよ。必要な時に調べられる力さえあるなら問題ないね」
祖母の答えに安心しました。
私は当時の答えを思い出しながら口にします。
「では、改めまして。妖精は自然に宿るものですけど、現在のイギリスの森林率はたったの一割程度です。対して日本は七割近く。自然崇拝も色濃く残っているので居心地がよくて、移住しに来るんですよね。あやかし業界もグローバル化しているんだなぁと感心しました」
「正解だよ、小夜。そして、そのグローバル化というのが私の言いたいことさ」
「わざわざその話題を出すということは、さっきのお話に繋がるんですよね?」
「もちろんだよ」
祖母は私に指を突きつけ、念を押すように語りかけてきます。
「あんたに出した課題の『鉄鎖の化け物』や『富士の不死』だって日本の妖怪とは限らない。それどころか、一部の人間が強く信じれば予想外の要素や能力が混じることがある。例えば雷獣が鵺と化すみたいにね。その怪物もユキヒョウじみたイエティというだけじゃないかもしれない。十分に気をつけな」
「はい、もちろんです」
既知のミケさんと接触する時でも警戒を忘れないくらいです。
初対面のあやかしにはいくら予防線を張っても足りません。
さあ、これにて許可は下りました。
私はつららさんに目を向けます。
彼女は緊張した様子ながらも私の手を取りました。
「小夜ちゃん。ご迷惑おかけしますが、どうぞお願いしますぅ」
「はい。では明日の朝、車で現場に向かうとしましょう。それには一応、つららさんも同行をお願いしますね」
「はい、もちろんですよ!」
「巻き込んでしまいましたけど、斑さんもどうかお願いします」
「ああ、問題ないよ。どうせなにかをするなら声をかけてもらった方が嬉しいしね。美船先生、小夜ちゃんをお借りします」
苦笑気味に受け入れてくれた斑さんは、律義に祖母へ頭を下げていました。
そんな光景はまるで――。
「小夜ちゃん。ちょっとしたご挨拶みたいですね」
「……っ。そこはその、見透かさないでくださいよ」
うふふと楽しそうに口元を緩めたつららさんが小声で囁いてきます。
まだまだそんな関係ではないけれど、つい想像してしまっただけです。
彼女はこういう色恋沙汰には目ざといのですよね。
この密かなイジりに困っていたところ、受付からひょっこりと現れる姿がありました。
「美船先生ー、新しい患者さんが来ましたー」
歩いてくるのは、一人の少年。
彼が四人目の従業員、玉兎くんです。
この病院を運営することに賛同した医薬の神様、オオクニヌシ様が遣わしてくれた製薬担当の看護士です。
見かけは中学生くらいですが、実年齢はずっと上だとか。
けれども精神は肉体の影響を受けるのでしょう。
彼の性格はといえば見た目通りの少年気質です。
「ん? そんな顔を突き合わせて、なんか問題でもあったんですか?」
「ちょいと野暮用で斑と小夜が明日留守にするって話をしていたんだよ。悪いけれど、付き合っておくれ」
「なーるほど。了解です」
あやかしの困りごとを受けて動くのはこれが初めてでもありません。
彼は納得した様子で顔ぶれを見回します。
こうして開かずの風穴の調査が決定したのでした。