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おとなりさんの診療所  作者: 蒼空チョコ
第三章 鉄鎖の化け物
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『富士の不死』と『鉄鎖の化け物』

 善は急げという言葉の通り、私は岸本さんの家に向かってみました。

 敷地内にお邪魔すると、厩舎にいる馬とまた視線が合います。

 まるで睨むような視線を横切って玄関に移動し、インターホンを押してみました。けれども返答はありません。

 あまりよろしくはないのですが、戸に手をかけて鍵がかかっていることも確認します。

 ですが、そこまで確かめた私は頭を押さえました。

「……しまった。在宅中に鍵をかけない人も今どき少ないですよね。外出していても、それこそ体調不良で倒れていてもこうなりますか」

 最悪、センリの手を借りて内側から鍵を開けてもらう裏技もあります。けれども空き巣じみた行為なので流石にそこまではしたくありません。

 幸いにもすりガラスの格子戸なので内が薄ぼんやりと透けて見えました。

 これもまた犯罪者に落ちる心地なのですが背に腹は代えられません。

「確か岸本さんは外履きをしまわずに上がっていましたし、他には置いていなかったはずです」

 以前、ここに来た時の記憶を頼りに答え合わせをします。

 すりガラス越しにどうにか靴の有無を確かめてみるに、靴は一つも見えません。これならば十中八九、外出中でしょう。

 我が家からここまで移動時間はさほどかかっていませんでした。

 それならばやはり電話を切ったのは岸本さん以外という線が濃厚そうです。

「――お前、何してる」

「ひゃいっ!?」

 そわそわしていた私の背に、最もかけられたくなかった言葉が投げかけられました。

 あわや社会的な危機です。

 一応、全ては未遂で何一つやましいこともないのですが、警官や周辺住民相手にシラを切れるでしょうか?

 そんな動揺も一瞬で鎮まりました。

 振り返ると、そこにいたのは馬にも勝る体躯の黒い雄山羊です。

 尖った巻き角は非常に立派で、先端に引っかけられれば金属でも引き裂いてしまいそうです。その威風は森の王者と言われるヘラジカが持つ迫力にも勝るでしょう。

 頭を少し下げ、いつでもその角で跳ね上げられる状態で睨まれては私の足も竦んでしまいました。

 いけません。こんな時こそ落ち着きましょう。

 一触即発なのはセンリもまた同じです。

 いえ、ともすればこちらこそ些細なきっかけで跳びかかりかねません。

 この子が普通のあやかしには見えないことが今は幸いでした。危うく、話をする余地すらなく血を見る羽目になっていたところです。

 私は深呼吸で胸を押さえた手を下ろすようにして、さりげなくセンリの顔に触れます。虎ほどにまで膨れ上がったセンリも、それで少しは落ち着いてくれるといいのですが。

 二重の意味で緊張する心臓を制しながら、私は黒山羊と対峙します。

「最近、岸本さんに電話が繋がらなかったので確かめに来たんです。あなたはそこの厩舎にいた馬のあやかしさんですね?」

「こちらのことはどうでもいい。去れ。そして二度と立ち寄るな」

 何も取り次ぐ気はない。

 そんな意思の表れか、言葉はきっぱりとしています。

 刺激をしないためにはこの要求を飲むのは絶対です。相手がいきり立つ答えを返そうものなら、センリが反応してしまうでしょう。

「……わかりました。それなら三つだけ質問をさせてください。それに答えてくれればもうここには立ち寄りませんし、あなたに危害を加える人に情報を漏らすこともありません」

 ここまで聞き分けよく引き下がる条件なら一蹴されることはないようです。

 聞くだけは聞いてやるとでも言いそうな睨みに心底ほっとしました。

 私は言葉を選んで質問を投げかけます。

「では一つ目の質問です。あなたが巷で言う『富士の不死』であり、『鉄鎖の化け物』の正体でもありますね?」

「どうしてそう考える?」

「理由は三つあります。まず、本当の黄泉返りなんて普通のあやかしが起こせる超常現象ではありません。幻や変身を疑うのが妥当なところです。次に、あなたは岸本さんの旦那さんに化けるあやかしなんて存在を許さないと思います」

 岸本さんから聞いた思い出話に、部屋に飾られた写真。別の牧場に引き取られたはずが、暴れて送り返されたこと。私がやってきた時、睨むように視線を向け続けていたこと。

 どれも岸本さんへの厚い信頼の裏付けです。

 そんな大切な家族に化けるあやかしなんて、許す道理はないでしょう。

 沈黙は肯定と言いますが、今この時以上に感じたことはありません。

「そして最後に。これは個人的な事情になりますが、神様が私の縁を見てくれたんです。私は『鉄鎖の化け物』が起こした事件とニアミスしかしていないはずなのに、縁があると言われました。あなたがその『鉄鎖の化け物』ならそれも納得です」

 夜叉神様が言ってくれたように、今こそ鎖が私を傷つけるか否かというタイミングなのでしょう。

 質問への回答はありませんが、構わず続けます。

 私にとっては三つ目の質問が重要で、それまでは単なる確認でしかありません。

「二つ目の質問です。あなたが『鉄鎖の化け物』なら話が見えてきます。鎖や馬に関するあやかしで、『富士の不死』のように旦那さんが黄泉返りをしたと錯覚するような逸話を持つ正体について。あなたはイギリスで語り継がれる馬の妖精、プーカですね?」

 プーカとは変身が巧みな馬の妖精で、人間の言葉も話します。

 彼をないがしろにすれば物を壊したり、家畜を殺したりしますが、一方で敬意をもって接すれば幸運をもたらすとされる鏡のような存在です。

 何故、岸本さんの旦那さんに化けたのかまではわかりませんが、そこは私の課題的には重要ではありません。

 ――さて。ここまではいいのです。

 問題はこの次。プーカがどうしてこんな騒ぎを起こし続けているかです。

「最後の質問です。あなたが『鉄鎖の化け物』として騒ぎを起こし続けていることについて。このまま続けていたらいつか魔祓い師に会ってしまいますよ。何かの目的のために頑張っているけど、達成できなくて困ってはいないですか?」

「……何度も言わせるな。去れ」

「はい。答えてくれたら帰ります」

 それこそイエスかノーだけでも答えられる質問です。そんなものに答えるだけで帰ると言っているのですからプーカも頑なにはなりませんでした。

 彼は吐き捨てるように答えます。

「お前が言っていることは全て正しい。これで満足か」

「見当違いじゃなくてよかったです。じゃあ、お話した通りに私は帰りますね」

 毛を立てて膨らんでいるセンリを撫で、私はプーカとすれ違って帰ろうとします。

「待て」

 その背に声をかけられたのはどんな心変わりでしょうか。

 天邪鬼さを感じてしまいますね。

「何ですか?」

「どうしてそんなに呆気なく引き下がる? お前はわざわざ探してまで接触してきた。逆に不気味だ」

「なるほど。じゃあ説明にも必要なので自己紹介をさせてもらいますね」

 立ち止まるとセンリは私の周りをぐるぐると歩いて回り、プーカとの間にわざと座り込みます。

 こんなところからは早く離れてという無言の圧迫が視線から感じられますね。靴紐を噛まれないうちに説明を切り上げなければなりません。

「私は芹崎小夜と言います。甲府にある芹崎動物病院の娘で、まほろばにある祖母のあやかし診療所で働こうとしているんです。その入社試験的なものが『富士の不死』と『鉄鎖の化け物』の解明でした」

「何故、そんなことを試される?」

「こういう噂の正体が何者なのか調べられなければ自己防衛の手段も考えられないし、治療でも薬も選べませんから。犬猫には使えるけど草食動物にはダメとか、薬はあれこれと考えるべき点が多いんですよ」

 もっとも、こうして試されるのは祖母が心配性だからでもあります。

 一人での調査も認めている点は驚きですが、もうそれなりに私やセンリを信頼してくれているということでしょうか。

「プーカさん、あやかし診療所もあくまで普通の診療所なんですよ。助けてくれと言われれば誰でも治療します。でも、助けは必要ないという人を押さえつけて治療はしません。医者や獣医で言う、応召義務というやつですね」

 医療機関は正当な理由がなければ診療を拒めないというもので、人の好き嫌いで治療するかどうか決めるなんて事態を防ぐための決まりごとです。

 まほろばの神様や法律に縛られているわけではありませんが、中立の立場を貫くためには必要な心構えでしょう。

 これだけ伝えただけに、プーカさんの理解も得られたのかもしれません。雰囲気は幾分和らいでいます。

 なら、私が彼に対してできることはあと一つくらいです。

「岸本さんには私の電話番号を伝えてあります。きっと電話の近くに置いてあるでしょうから、何か困ったことがあれば連絡をください。もしあなたが魔祓い師さんにやられてしまったら、それこそ岸本さんが悲しむことですからね」

 プーカからすれば、私のように会って間もない人間を警戒するのは無理なからぬことでしょう。

 しかし、こういう時の険悪な空気を負い目にして以後の付き合いにまで支障が出るというのはもったいないことです。

 大人しく身を引きはしますが、おばあちゃん子としては岸本さんのことは気になるし、プーカも困っているのならできる範囲で手を差し伸べてあげたいところです。

 そんな気持ちはこれで十分に伝わったでしょうか。

 私はプーカからの視線を背に感じながら、センリと共にこの場を去るのでした。

 


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