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おとなりさんの診療所  作者: 蒼空チョコ
プロローグ
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三つの課題

 あやかしが穏やかに暮らすのは、この世界の裏側。

 私がそこに渡るための手段がこういった神域にあるのです。


 そこへの通行証は、ベルトループに提げた藤皮紙の栞。

 二礼二拝をしていると御朱印のように刻まれた文字が光を発しました。


「タケミナカタ様。どうかまほろばにお導きください」


 願いが聞き届けられたのでしょう。風が吹きつけたかと思うと景色が塗り替わりました。


 目の前に広がるのは冬の季節もお構いなしに穂を垂れる黄金色の稲原。

 そこかしこに見えていた建築物の多くは消え、蔦や雑草に飲まれていました。


 まともな人工物といえば稲原の外縁に伸びた砂利道のほか、その路傍にあるカウベルのような台形の置物くらいでしょうか。

 それには藤蔓が絡んで枝葉を広げています。


 何となく懐かしさを感じさせる原風景でありながら、人の営みを自然が飲み込んだ退廃的風景――それこそがあやかしたちの世界、まほろばのありようです。


 天地創造の神様もいれば、人の営みに密着したあやかしもいる。

 そんな彼ららしい世界だと、私は思っています。



 さて、このまほろばは土地神様などの影響で様々な様相を見せるものです。

 我が家がある山梨県甲府市の裏側を例にしましょう。


 路傍の鉄鐸(さなぎ)と藤は日本神話の国譲りでやってきたタケミナカタ様と洩矢の神様が共に土地を治めた象徴。稲はこの稲畑の主、ミシャグジ様の影響です。


 その姿は探すまでもありません。

 木よりも大きな蛇が鎌首をもたげ、遠くを眺めています。


 ミシャグジ様とは近畿から関東一帯で古くから信仰される土地神様。

 闘犬と同じくしめ縄付きの化粧まわしを付けているのこそ信仰の証っぽいですね。


「お傍を失礼します、ミシャグジ様。よければお土産をどうぞ」


 敬意を払って手を合わせた後、赤エビをカバンから取り出します。


 神様というのはお供え物にこもった信仰心を栄養としているそうで、酒だろうと饅頭だろうと美味しく頂いてくれます。


 とはいえ、好物はあるのでしょう。

 厳かに遠方を見つめているばかりだったミシャグジ様はそれを認めるや驚きの速さで這い寄り、舌をちろちろさせました。


 私の身長と体高が同じくらいの大蛇なのでやはり背筋が震えます。

 ミシャグジ様にとっては人間くらいでないと食べ応えなんてないはずでしょう。


 しかし、いざ口へ放り込んでみると満足げなのが不思議でした。


「いつもおばあちゃんを傍で見守ってくれてありがとうございます」


 もしかするとこうした感謝の念がミシャグジ様の胃を満たしているのかもしれませんが、それは神のみぞ知るというやつです。

 私はお辞儀をして、前方の丘にある診療所に向かいます。


 鬼火が揺らめく灯篭を両脇に備えた石階段が入り口です。


 成形しきっていない石だからこその凹凸があり、必然的に踏まれない部分が生まれます。

 そこに生えた苔模様が人工物と自然を融和させて美しさを醸し出していました。


 斜面に生えた木がアーチとなった階段をしばらく登ると、建物が見えてきます。

 大きな引き戸が特徴的な日本家屋で、看板に『あやかし診療所』と銘打たれたこの施設こそ、私が手伝う職場。

 我が家から退いた祖母が、あやかしの世界に構えた診療所です。


 受付には患者がいるかも知れないので裏口から処置室に向かいます。

 けれど杞憂でした。祖母はお茶を飲んで休憩中です。


「ただいま、おばあちゃん。今日の来院は少なめなの?」

「しっ! 小夜、滅多なことを言うんじゃないよ。それは言霊だからね」

「あっ。ごめんなさい」


 唇に指を当てて注意をしてくる白髪の麗人こそ私の祖母であり、この診療所の女主人、芹崎美船です。


 もう七十歳も超えたというのに背が曲がる気配もありません。

 年季を経れば経るほど味わい深くなるアンティークと同じく風格が増すばかりで、どこぞの王族か妖怪の長と言われても不思議はないでしょう。


 そんな祖母は珍しく憂いの顔を見せます。


「家ではそう呟いた途端に子宮蓄膿症の犬が運び込まれたりしたものだよ。巨体のあやかしでそれが起こったらどうなることか」


 詰まった膿で今にもはちきれんばかりの子宮を摘出するのは細心の注意が必要となります。

 巨体相手ともなれば労力も比例して増すので出会いたくはありません。


 祖母と共に受付を睨むこと数秒。静かなまま時が過ぎました。

 どうやら何も起こらないようです。


「小夜が先にお客を連れてきていたから見逃されたかね。それで、どのお題を解決してきたんだい?」


 祖母の問いかけに私はあやかしを少し抱き上げます。


「球電現象の正体ちゃんです」

「鵺紛いかい。まだ雷獣だろうけど、いずれ害になりかねない。いかにも魔祓い師が目をつけそうなあやかしだよ」


 祖母は顎を揉んでその姿を眺めました。

 鵺とは人に祟りをもたらす怪物と平家物語などに記されています。


 空から現れること、その時の天候は荒れていること、姿はどちらも合成獣じみたものであること。

 鵺と雷獣には共通点が多いことから同一視までされてきました。


 そんな信仰があれば現実となるのだから、あやかしは奇妙な生き物です。


「こういうどっちつかずは存在も曖昧で本当に見つけにくい。見つけてこられるのは小夜くらいなものだろうね」

「うん。だからこそ私が頑張る甲斐があるってものです。おばあちゃん、約束は覚えていますよね?」

「おや、どんな話だったかねえ」


 祖母は何ともわざとらしくとぼけます。


 年齢を盾に約束を反故にする人ではないけれど、それならそれでこちらも合わせてみるとしましょう。


「晴れてここで働くことになった私の恋が成就するよう、あれこれと後押しをしてもらうお話です。若き旦那様と家族経営で診療所を切り盛り。将来安定ですね」

「話が飛び過ぎている。私はお題をクリアしたら見習いとして働くのを許すと言ったまでだよ。ボケて頷くとでも思ったのかい?」

「これも言霊。口に出せば実現するかもしれないじゃないですか」


 答えると、祖母は「誰に似たんだか」と息を吐いた。


 似ているとすれば間違いなく祖母でしょう。

 おばあちゃん子として育ち、仕事人としてもその背に憧れて追いかけたのですから。


 そしてその人柄に惹かれる人は一人や二人ではありません。

 この診療所には祖母を慕っているからこそついてきた人たちがいます。


 私が慕う人もそのうちの一人でした。


「若くして老舗旅館の経営を任された娘さんが昔からの従業員と助け合って再建する物語みたいなものです。私、薬剤師の知識であやかしの医療を進歩させますよ?」

「いくら役に立っても危なっかしいなら任せられないとは伝えたが覚えているかい?」

「その課題も残るところあと二つです」

「そうだね。私がこっちにいるのは家族が危険に晒されるのを避けるためだ。上手くあやかしをあしらえるっていうなら、あんたがここで働くのだってやぶさかじゃない。刑部。小夜はちゃんとしていたかい?」


 いつの間にか足元に擦り寄っていた刑部を祖母は抱き上げました。


 大人しく抱かれて脱力するのが反論なしとの表れです。私は胸を張ります。


「けれどね、小夜。いくら上手くやれたとしても触らぬ神に祟りなしだ。下手な自信をつけて何にでも手を出すのはおよしよ?」

「出過ぎたことなんてしません。私のお仕事は危なくなる前にあやかしを保護することと、あやかしに使えるお薬を見繕うことです」

「結構」


 この辺りについて祖母は厳しい。

 できないことを強行して失敗するより、最初から無理と訴えるのが重要な医療の畑にいるからでしょうか。


 祖母は会話もそこそこに、獣医師としての目で雷獣の怪我を診ました。


「ふむ。こいつは麻酔をかけて傷に異物が残ってないか確かめつつ洗って、エリザベスカラーをつけるくらいかね。小夜の出番はもうほぼなさそうだよ」

「歓迎です。この雷獣はいかにもイヌ科って感じで処方の苦労は少ないですけど、人魚やグリフォンみたいなキメラだと下調べや処方が大変ですし」

「薬剤師見習いとして協力してくれるのは助かっているよ。春からはノミダニ、フィラリア予防のシーズンだからね。新商品の成分に関しては調べておいておくれ。あと、牛鬼の治療薬もね」

「大学図書館と論文検索サイトを見て頑張ります」


 動物病院でさえ様々な種が来院するので専門の薬剤師がいた方がいいと言われます。

 千差万別のあやかしともなれば言わずもがなですね。


 手伝ってまだ一ヶ月にもなりませんが、私が薬学部で学んでくる知識は割と有効活用できています。

 では、おまけに動物看護士としての仕事もするといたしましょう。


 慣れない場所で縮こまり、小刻みに震えている雷獣を撫でて落ち着かせ、麻酔の準備をするのがいいでしょうか。

 そう思って行動しようとした矢先、指に痛みが走りました。


 見れば指があかぎれのように切れています。


「うっ、痛い……」

「いつもの動物アレルギー(・・・・・・・)だね。大丈夫かい? そっちはもう私に任せて着替えてきな」

「うん。そうします」


 私は雷獣を祖母に預け、血が滲む指を咥えて更衣室に向かおうとします。

 そんな背に向かって祖母は思い出したように声をかけてきました。


「小夜。あやかしに関わらず、人の生活だけで生きる方が楽だよ?」


 ああ、これは期待と不安が入り混じる言葉ですね。

 気丈な祖母がふと漏らした弱音のようにも聞こえました。


「そうかもしれませんけれど、ここには私にしかできないことがありますから。それに現金な話、動物園で働く以上にいろんな生き物と触れあえる点には惚れ込んでいるんです」


 ハイ、決め顔。

 喫茶店で確認した甲斐がありましたね。


 力強く答えると、祖母は思った以上にいい表情になって頷きます。

 私が歩みを再開すると、ちりんちりんと鈴音がついてきました。


 振り返ると、そこには両手に抱える大きさの影がいます。

 ええ、語弊でもなく影の塊です。形状は不定で人魂のように揺らめいており、見る人が見ればイソギンチャクのように人を絡めとる怪物に思えたかもしれません。


 けれども私としては見慣れたものです。


「センリ。他の子を抱っこしていたからって痛いことをするのは駄目だよ? ほら、おいで」

『うにゃあ』


 呼びかけると影は掻き消え、その場に猫が残りました。

 足に体をこすりつけてきたセンリは肩に飛び乗ると盛大に喉を鳴らします。


 私を悩ませる動物アレルギーは“体質”ではありません。

 医療用語ではなく、アレルギーと辞書で引けば出てくる二番目の意味、精神的な拒絶反応の方です。


 この子は、昔、私に憑りついた悪霊でした。

 ――生き死にがある動物病院だから、苦しんで死んだ動物が化けて出るのでは?


 こんな噂のせいです。

 人に愛されたがったペットの集合霊……かどうかはわからないですが、この子は誰かに寄り付くだけで不幸をもたらすあやかしにされてしまった被害者でもあります。


 幼い私はそれに同情し、神様に祓わないでとお願いしました。

 それが守護霊に転身できるなんてなんとも奇跡的ですね。


 まあ、日本では夜叉や菅原道真などが悪霊から善神に変わる例がありました。

 そんな風土からすると、この子が守護霊となるのも不可能ではなかったようです。


 そんな円満な奇跡は誰だって大歓迎でしょう。

 そんな経緯もあってこの子には仙狸センリと祖母が名付けてくれました。


 神通力を得た猫の妖怪の名前だそうで、確かにぴったりです。

 こうして悪霊としての性質は薄れましたが、センリは私に動物が近づくと嫉妬します。


 それが私の体に作用して普通の動物であればアレルギーとして表れ、あやかしに関しては爪で引っ掻くなどの実力行使に出るのが悩みどころでした。

 この子を祓えば私のアレルギーは消え、また獣医を目指せるでしょう。


 けれど、そうする気は微塵もありません。

 だって、この子は誰かに愛されることを望んでいるだけなのですから。仕方ないねえ、といつか見た祖母のように私も受け入れています。

 

 加えて言えば、この子がいるからこそ叶えられる目標もあるのです。

 憧れの祖母はあの事件以来、家族と関係を断ってこんなところに住んでいます。


 私でさえ、まともに話ができたのは一ヶ月前でした。

 私が人の世で生きれば、祖母はそれこそ一生をあやかし診療に捧げるでしょう。


 しかし私が守護霊と共に祖母の道を継げば家族の絆を保てます。

 つまり、私がまほろばで上手くやっていけば全ての理想が叶うという算段です。狙うならば多くの希望を貪欲に叶えましょう。


 更衣室についた私は指に絆創膏をつけ、看護士用のスクラブに着替えます。

 改めて挙げます。


 『鉄鎖の化け物』、『富士の不死』とやらの名前で噂になっている二つの正体を見極め、何らかの手段で解決すること。


 それが祖母のあやかし診療所で正式に雇用してもらうために課せられた条件でした。


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