祀らいなき神様
その日は講習会で斑さんも疲れてしまったこともあってあやかし診療所も休診日となりました。
けれども、私は忙しい身です。
大学が冬休みといえど診療所で活かすための勉強をしなければいけませんし、もしもの時のために馬の受け入れ先を探さなければなりません。
夜になってようやく勉強を終わらせてからは人と会っていました。
「小夜ちゃん、どうですかぁ? 漬物とお酒、意外と合うものだと思いませんか?」
「そうですね。でも、こうしてお刺身、漬物、最終的に塩で飲むようになると駄目な人が完成しそうな気もします」
「ふふふ。それはその日の気分次第で変えていけばいいんですよー」
「あんたたちは何やってんだい?」
あやかし診療所の縁側で雪女のつららさんとお酒を嗜んでいたところ、声を聞きつけたのか祖母がやってきました。
怪訝そうに見つめる祖母に私は返答します。
「お話した馬を受け入れてくれる人をつららさんの営業範囲で探してくださいとお願いをしていました。こういう接待で仕事が円滑に進むなんて、大人の世界さまさまです」
私の膝の上にはセンリがいます。
同じくつららさんの膝の上にいるイエティの吹雪はこの子に睨まれているのがわかっているのか、尻尾を咥えていました。
また、私たちの足元では雷獣と刑部と子供イエティの諭吉が刺身をくれと、足の甲に代わる代わるお手をしてきています。
これで接待と主張するわけですから、情報量が多いですね。
祖母は「二十歳の小娘が何を言ってんだか」と息を吐きました。
「それよりおばあちゃんも一緒にいかがですか? つららさん、日本酒をみぞれ酒にもできるんですよ」
「孫からのお誘いじゃあ仕方ない。頂くとしようか」
「はい! 今注ぎますね」
私の横に祖母が腰を下ろすと、刑部はすかさずその膝を占拠します。本当にこの子は祖母だけ特別扱いですね。若干嫉妬を禁じ得ません。
祖母はお猪口に注がれた日本酒の香りを確かめ、くいと口に含みます。
香りも味も、酒精が体に染み渡る心地も、全て味わっているかのような所作です。
酒を呑むとはこういうものなのでしょう。一般的な大学生よりは嗜める自負はありますが、まだまだこの姿には程遠いです。
私は祖母が口を開くまで見惚れていました。
「それより、二人はなんでこの寒いのに縁側なんかで飲んでいるんだい?」
「だってほら、まほろばの夜は風景が綺麗じゃないですか」
こちらに入り浸ってまだ二ヶ月も経っていない私としてはその全てが新鮮です。
特にまほろばの夜は危ないと言われて最近まで許されていなかったので、この時間に対しては余計に興味が尽きません。
見上げてみると、あやかし診療所を囲う森の上空には不思議なものがいました。
平安時代辺りの被衣を羽織ったように見える大小四人ほどの人型と、四足歩行の何かが宙を歩いているのです。
彼らの身は淡い光を放っており、足を踏み出すと宙に光の波紋が広がります。その光は広がりきると形が崩れ、光の粒子として地上に落ちていきました。
空に浮かぶ月と星に、彼らが作る煌めき。
幻想的な空が二つも広がっているのです。これを見ずして夜を過ごすなんてありえません。
「ああ、祀らいなき神様たちだね」
「はい。夜にまほろばのあちこちに現れるけれど、絶対に話しかけちゃいけない相手ですよね」
「そうだよ。あれらは触らぬ神に祟りなしという話の通り、本当に何があるかわからない相手だからね。つららたちにだってあれが何なのかわからないだろう?」
祖母が問いかけると、つららさんはおどおどした様子で頷きます。
「わかりませんね。私たちの街にもふらりといらっしゃることがあるんですけど、妙に圧を感じるんですぅ。みぃんな、視線も合わさず口も開かず、去ってくれるのを待ちます」
「圧、ですか」
そういえばつららさんは今もどこかぎこちない様子で、あの神様たちをあまり視界に入れようとしません。危ないから避けているというより、生理的に避けているようにも見えます。
何とも不思議ですね。
言質を取った祖母は頷いていました。
「そういうものなんだよ。だからこそ私は、あれが本当の神様なんじゃないかと思うね」
「本当の神様? 神様に本物も偽物もないような気がしますけど」
世の中、神様はたくさんいます。
ケルト神話、ギリシャ神話の有名どころだけでなく、人があるところには神話と逸話があり、その数だけあやかしがいるのです。
それに日本人としては信仰さえあればどんなものでも神様認定してしまうこともあり、祖母の言葉は要領を得ませんでした。
「そうは言うけれど、あやかしはあまりに人が思い描いた通りだし、人の信仰なしには生きられない。それはまるで私たちの想像を誰かが形にしたようとは思わないかい?」
「そういうものと理解するようにしていたんですけど、変ではありますよね。出来すぎている印象はありました。」
「私もそこが引っ掛かっていたんだよ。それにこのまほろばは人が想像する理想郷でもなくて、作った神様も知れない。けれど、そこには祀らいなき神様という誰も知らない存在がいる。そしてここでならあやかしは人の信仰なく生きられる。――まるで、実家にでも帰って食わせてもらっているようじゃないかい?」
例えば、人の空想を形にできる本物の神様が祀らいなき神様で、このまほろばは彼らが住む世界。祖母の言葉はそういう解釈でいいのでしょう。
祖母がまほろばで祀らいなき神様を見てから今日までに出した結論です。なるほど、説得力がある話でした。
「つららさん、あちらはご親戚ですか?」
産み落とされた存在に意見を求めるべきでしょう。
祀らいなき神様を指差してみると、つららさんはその指を強引に下ろさせ、髪が遠心力で浮かぶほどに首を振って否定しました。
そんな様に私と祖母は揃って失笑します。
「まあ、起源なんて何でもいいんだよ。どうであれ、あれは人とあやかしをどうこうするものではないんだからね。そうだろう、つらら?」
「そ、そうですねぇ。こちらから手を出さなければ何もしてこない神様だと思いますぅ。……なので、指を向けないでください。絶対に」
つららさんは私を凝視して言うので、手を合わせて謝罪します。
ちなみに、この場所はウカノミタマ様とオオクニヌシ様の加護があるので祀らいなき神様を始めとして危険なものが寄ってくることはないそうです。
けれども、念のためということですね。
「というわけでね、むしろ怖いのはあやかしの方さ。あやかしは人に依存している。だから化かすし、かどわかす。小夜が関わっている馬にしても、明日の出張にしても、十分に気を付けるんだよ?」
「おや。小夜ちゃんは何かご用事があるんですかぁ?」
つららさんは乾いた私の盃におかわりを注ごうとしてくれていたのですが、明日という一言で止まります。
ちょうどその話をしに来たのでしょうか。
祖母はイエティを連れ帰った時に読んでいたあの手紙を持ち出します。
まるで金一封のように豪奢なこの手紙を出してくるのは、さっきまでの話題には上がらなかった神様たちくらいです。
「京都のとある寺にいる青龍様や狛犬の歯石除去を頼まれているんだよ。まあ、あれだね。一部の動物病院が動物園や水族館の動物も診療するようなもんだね」
「いやいやいや、政財界の重鎮にお呼ばれするようなものですよう!?」
面倒くさそうに息を吐く祖母をつららさんは揺さぶります。
確かに神様に対してこんな態度を取るのは、こっそりとでも罰当たりでしょうか。
先程、祀らいなき神様を粗雑に扱った私も人のことは言えなさそうです。祖母共々、信心深さに関しては学び直す必要を感じました。