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おとなりさんの診療所  作者: 蒼空チョコ
第二章 青竜と歯石除去
24/41

輸入馬と獣医

 岸本さんと分かれて兄と斑さんが講習を受ける施設に戻ると、ちょうど頃合いでした。参加者と見える人たちがまばらに出てきているところです。

 兄に駐車位置をメールで伝えてしばらく待っていると、その姿が見えました。

「随分と張り切って勉強したんですね」

 斑さんは兄の肩を掴み、荷物も預けて引っ張られる形で歩いています。まるで長距離走後の姿でした。

 昨日はかまいたちと送り犬の急患があって疲れがたまっていたところにあやかし特有の疲労です。無理もありません。

「お昼ご飯なんですけど、いいお店を見つけたのでこのまま移動しちゃいますね?」

「続けて運転してもらって悪いね。頼むよ」

「いえいえ。斑さんはきついでしょうし、お気になさらず」

 ようやく息をついた様子の斑さんの横顔に兄は自動販売機で買ったドリンクを押し付けています。

 こうして支えられるくらいにきつそうなあやかし側の人に運転させるのも何ですし、兄は私に薬のハンドブックという賄賂をくれたので文句は言えません。

 ええ、やり手のタクシー運転手のように満足できる店にもご案内しましょう。

 ――というわけで向かったのは情報収集に訪れた喫茶店です。

 昼時を狙ったお客さんが随分増えており、危うく席がなくなってしまうところでした。

「なんだ、お嬢ちゃん。早速リピートしてくれたのかい?」

「はい。仕込みの香りがとてもよかったので」

「ははは。それは張り切ってかき混ぜた甲斐があったね」

 煮崩れもお構いなしに見映えを追求していたのかと思いきや、周到な罠だったようです。料理ついでに私にまで仕込みをされていたとは恐れ入りました。

 したり顔のマスターは空きテーブルを指差します。

「あっちの席が空いているよ。他のテーブルの配膳をしたら注文を取りに行くから、ゆっくりとメニューを決めるといい」

 ウェイトレスも忙しなく働いていることもあり、私たちはそのままの足で指示された席に移動します。

 テーブルでは兄と斑さんが横に並び、私はその向かいに座りました。

 ウェイトレスが水を持ってきてくれるのと同時に注文するのは、無論、ビーフシチューです。

 それが配膳されるまで、私は岸本さんに出会った一部始終を二人に伝えました。

「というわけで、岸本さんは持病と馬のこともあって何とも世知辛い状況でした」

 話をしてみると、兄と斑さんはそれぞれ思案に耽ってくれます。

「言ったら悪いが、あまりいい状況ではないだろうな。心臓が悪ければ全身に影響が出てくる。その酸素療法も肺の機能が落ちたからこそだろうしな。岸本さんは無理をして馬の世話までしているんだろ? 馬が何歳なのかは知らないが、岸本さんが先立つ可能性の方が高いくらいかもしれないな」

 兄の言葉はもっともです。

 心不全の五年生存率は五十パーセントほどという情報には私も行き着きました。

 生活環境からすれば岸本さんはいい条件ではないでしょう。

「……私の声掛けに甘えたいと言っていましたし、岸本さん自身も不安だとは思うんです。『富士の不死』を解明するより難題にぶつかったかもしれないですね」

「小夜。わかっていると思うが、馬なんてそうそう飼えるもんじゃない。牧場に預けるのも金がかかるし、一人の子供を育てる並みだって聞くぞ」

「うぅ、わかっていますよぉー。でも、真相を究明したらハイさようならなんてできないじゃないですか。娑婆が世知辛いのなら、まほろばでの受け入れ先を探してみます。ほら、幸いあちらの文化は古風ですし」

「食われないといいけどな」

「そ、それについてはちゃんと考慮しますよ!」

「変なところにまで突っ込んで怪我をするんじゃないぞ?」

「お兄ちゃんの方が生傷を作ってますぅーっ!」

 ずけずけと指摘してくる兄の手をひったくります。

 動物に関わる者の宿命ですね。盛り上がった瘢痕はもちろんのこと、まだかさぶたのある傷が一つ、二つと見えました。

 すると兄はため息顔になります。

「家族にも気性が荒い猫だからって爪を切らずに連れてくるもんだからなぁ。蓋が開くタイプのケージならまだいいんだよ。ドアから出入りするタイプに入れてきて、触る前からうーうー言っているキレ猫ちゃんだとどうしようもない……」

「肛門嚢が破裂したのが痛くって、手を近づけると噛もうとする犬とかもいたんですよね。聞きましたよ」

「言葉が通じるし、皆保険だし、医療品の規格が全て人間用の医者が羨ましい……」

 兄は基本的に私の前では動物病院の悪い点しか言いません。

 そういう愚痴っぽい性格と言ってしまえばそれまでかもしれませんが、働こうにも働けなかった私が羨むことがないようにという配慮にも思えます。

 口うるさいのも心配の表れなのでしょう。手の甲を何度かべしべしと叩くだけで解放してあげます。

「馬のあやかしか。妥当なところで言えばその馬が岸本さんの旦那さんを黄泉返らせたと見られそうだけど、そんな神様みたいな伝説は聞いたことがないね」

「あっ。斑さん、すみません。私もそこに行き詰まりを感じているんです」

 兄としょうもない話をしている最中も顎に手を当てて真剣に考えてくれていました。私は反省して姿勢を正します。

「幸い、交流はできたんだからじっくり探していけばいいと思うよ。次に考えられるとしたら――」

「輸入馬ってパターンは多いだろうから、日本に縛られて考えない方がいいな。そういう輸入検疫や輸入後の防疫検査に携わっている同級生も多いぞ?」

 兄はさして考えてもいない様子でビーフシチューにパンを浸しながら言葉にします。

 あやかしに関わっているのは私と祖母だけで、兄は特別に勉強したわけではありません。こうして話すのも少しだけ事情を知った素人意見というわけです。

 けれどもあの馬はこの娑婆で暮らすあやかし。それくらいの知識から出る類推も役に立ちます。

 斑さんは兄の言葉に頷きを示しました。

「そういうことだね。輸入材木についてくる妖精みたいなものだよ。馬の出身地がわかればその馬の正体も掴みやすいかもしれない。出身地とか、出会った経緯がわかると本当にその馬が黄泉返りに関わっているか判断できるんじゃないかな?」

 『富士の不死』に関しては手繰り寄せる芋づるがなくなってしまったところです。あちらこちらと広く浅く調べて回るよりはいいかもしれません。

 しかし、動物の出身地となるとどうでしょう。

 岸本さんの記憶力に頼るくらいしか私には想像できません。

「でも複数飼っていたそうですし、馬一頭一頭の出身地まで覚えているでしょうか?」

「他の馬と接触する可能性のある馬は検査を法律で義務付けられた病気がある。そういう検査やワクチン記録をまとめた馬の母子手帳みたいなのがあるはずだ。他の牧場なんかに譲渡しようとしていたなら、まず間違いなく用意しているはずだぞ」

「……こういう点、お兄ちゃんはいろんなことを知っていて医者に並ぶ医療系って感じですよね」

「畜産にこういう飲食店での衛生、空港とかでの動物防疫、薬品開発とか動物が関わるところには獣医がいる。そのどこにでも就職できるように教わってきたんだぞ? 高校でたくさんの科目を教えられたみたいに、動物病院以外の獣医らしい知識だってあるさ」

 病院で働いて疲れた様子や愚痴しか見聞きしていない身としてはこういう博識さが心底意外でたまりません。

 そんな気持ちが表情に現れていたのか、デコピンされました。

 ほらこの通り、私の扱いだけは本当に雑な人です。

 こんなやりとりをしていたところ、斑さんは苦笑を浮かべました。

「あやかしに関わることでは注意をするようにね。まほろばで受け入れ先を探すとしたらもちろん誰かと行動を共にするべきだし、その馬と会う時も気を付けた方がいいよ」

「その通りだ。俺がこっちで斑の世話をしている分、しっかりと迷惑をかけろ」

「あ、あはは……。小夜ちゃんの手助けはもちろんするんだけど、信のその言い方は胸が痛いな」

 兄は斑さんの肩を掴み、乱暴に揺らしています。それにも身を任せる点には二人の信頼関係を感じました。

 私が生まれる前から中学卒業まで共に育った幼馴染なのです。きっと見た目以上のものがあるのでしょう。

 こうして言われるのでは仕方がありません。私は斑さんの手を取ります。

「お兄ちゃんがそう言うのなら妹として言葉に甘えないわけにはいきませんね。斑さん、お世話になります」

「だそうだ」

「お手柔らかに頼むよ……」

 二人して見つめてみたところ、斑さんは表情をひきつらせます。

 そうして昼食を終えて席を立つ際、兄は伝票を取って立ち上がりました。

 働いて給料をもらっている社会人ですし、なんだかんだ言って斑さんには身内が世話になっているということもあって食事はよく奢ってくれるのです。

 会計を担当してくれるのはあのマスターでした。

「はい、お釣り。昼のメニューは日替わりで作っているから、明日でも明後日でも楽しんでもらえるはずだよ。またみんなで来てくれると嬉しい」

 こうして一言を添えている辺り、一人一人のお客さんを大事にしていそうです。店の雰囲気もいいですし、これはリピートしたくなります。

 そんなことを思っていたところ、影から現れたセンリがひょいとレジに乗りました。

 狙いはお釣りだったのか、今まさに兄の手にお釣りを預けようとしたマスターの手を猫パンチで叩き落します。

 猫らしい悪戯心なのですが、この子は普通の人には見えないので傍からすればポルダーガイスト現象みたいなものです。

「あっ、すみません!」

「いやいや、お嬢さんが気に病むことはないよ。お兄さん、別のお釣りを用意しよう」

 マスターは慌ててレジを開くと代わりのお釣りを用意します。

 私がつい声を出したことで兄と斑さんも状況を察した様子でした。

 そうですね。マスターか兄のどちらかが取りこぼしたような状況で見せる反応ではありません。

 けれども知らないふりをするのも悩ましいことです。

 謝罪も兼ねてもう一度くらいは来店しようと私は心に決めたのでした。

 


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