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おとなりさんの診療所  作者: 蒼空チョコ
プロローグ
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球電現象の正体ちゃん

 長い人生、誰にでも一度や二度の転機が訪れるそうです。

 私、芹崎小夜にとっては大学二年目の終わり辺りからまさにその二度目の転機が訪れました。


 喫茶店のお手洗いで鏡を前に身支度を整えます。

 普段はカーディガンやストールなどのシックな服を好みますが、今日は動きやすいデニムと上着です。肩を過ぎるくらいの髪の下にマフラーを通し、結びました。


 外歩きの服装ができたところでハイ、決め顔。

 ここぞという時はしっとりとしたこの笑顔で魅了してやりましょう。


 私はお手洗いを出て、店内奥側の目立たない席に戻ります。


「すみません、待ちましたか?」


 キャリーケースを置いた席に座り、向かい側でお座りしている相手に問いかけます。

 無口なもので、その相手はくああと大あくびで応えました。


 その姿があまりにもかわいらしいので手を伸ばすと、ぺちり。

 私の手は容赦なく叩き落されます。


 ネコパンチならぬタヌキパンチというところでしょうか。


「刑部ちゃんは本当につれないですね。ともあれ、私が一人で喋っていると変な目で見られちゃうので店を出ましょう。ちょうどいい具合に逢魔が時になってきましたしね」


 少しばかりの緊張を胸に、時計を見ます。

 テーブルにお座りしている化け狸のあやかし、刑部に語りかけると私の肩に寄りかかり、乗ってくれました。


 横顔はふんわりとした毛皮が触れて幸せな感触です。

 キャリーを引いてお会計に向かうと、店員さんは眉を上げて見つめてきました。


 見つめるのは刑部――ではありません。

 そんなものは目に映っておらず、私のみを見ています。


「とてもいい顔をされていますね。お店を楽しんでもらえましたか?」

「え? あっ、はい。海外風でおしゃれなカフェだって大学でも人気です。楽しめました」


 刑部は人の認識をいじくって、自分を見えなくする術も得意な化け狸です。

 その毛皮が当たって和んでいましたなんて言えないので、私は店員さんに愛想笑いを浮かべて会計を済ませました。


 不揃いのレンガで作った壁、ガラス張りの天井での採光、剥き出しの配管などは確かにデザインの雰囲気を魅せる様式でしたね。

 目的の時間まで十分に楽しめたと思います。



 では、本題に参りましょう。

 私は人通りが多い道から早々に外れ、暗い路地裏に足を踏み込みます。


 すると暗がりに一つの影を見つけました。


「おやおや? 猫ちゃん、こっちへどうぞ。もふもふしてあげま――へっくし!」


 呼びかけた次の瞬間に出たくしゃみのせいで猫はすぐさま退散してしまいました。


 きっと、そよぐ風がアレルゲンを運んだのでしょう。

 私は鼻をすすり、猫の背を泣く泣く見送ります。


 この通り、私は幼少期から動物アレルギーに悩まされています。

 それはもう人生を左右するレベルで、家族経営の動物病院に加わりたくて獣医を目指したのに、猛反発を食らって進路変更を余儀なくされたほどでした。


 まあ、それについてはもういいのです。

 大切なのは自分が何をしたくて、何ができるのか。


 私の望みは動物に囲まれて仕事をすること。

 その上で自分にしか助けられないものを助けられたら文句なしの満点です。別の手段があれば割り切りもしましょう。


 そう、別の手段。

 薬学部に入学したことも含め、私は自分にできることを最大限に活かして望みを叶えようとしています。


「ええと、今回の困った子の目撃情報はどうでしたか」


 コンビニでも買えるゴシップ雑誌を片手に私は歩みを再開します。


 この怪しげな本こそ、困った子――あやかしに続く情報源。


 あやかしとは半ば空想の産物です。

 アレルゲンも半減するのか体に影響がありませんでした。


 しかも今の時代、彼らは助けを必要としています。

 つまり祖母が経営するあやかし診療所は、アレルギー持ちの動物好きに最適の職場というわけです。


 もっとも、祖母は過去のこともあって私がその道に来るのを嫌がっているので見習いとして働くにも条件をつけられました。


 一つ、役に立つ技能を身に着けること。

 二つ、相応の問題解決能力があること。


 こんな条件を引き出せたのも薬学科に入ってようやくです。

 実際に被害を被った私より過去が尾を引いているのは明らかですね。


 大切な家族で、憧れの人です。

 全ては原因たる私の行動で変えなければなりません。


「刑部ちゃん。ほら見てください、この記事。やっぱり怪奇現象は京都や関東に多いですね。これは京や江戸に溢れた怪異譚の名残らしいですよ」


 鶏が先か、卵が先かはわかりませんが噂ある場所に彼らはいます。

 あやかしを追うならゴシップ記事にSNS、ネット掲示板という不確かなものこそ役に立つのは面白い特徴と言えるでしょう。


 しかしご用心。

 あやかしとは妖怪、妖精、幻獣など、人食いも含めた猛獣、化け物の類。舐めてはいけません。


「私のように二十歳の乙女なんて人食いから見れば美味しいお肉です。備えているとはいえ、もしもの時はよろしくお願いしますね?」


 肩に乗っている刑部はちゃんと聞いてくれているのか非常に怪しいですね。


 声をかけても、うなじを嗅いで甘噛みしてくるだけでした。

 くすぐったいのを我慢して件の雑誌をめくっていると、刑部はあるページをたしたしと叩いて止めてきます。


 話を聞いてくれていて何より。

 二人して覗き込む記事の見出しは『雷雨の夜、動物型の球電現る』

 まさに今回、確かめにきた事件です。


「そう、この事件です。くわばらと唱えても私は何の奇跡も起こせないので、絶縁服とゴム手袋とかを用意してきましたよ。――よし。どうです、似合っていますか?」


 引っぱってきたキャリーから絶縁服などを出して身に着けると、デザインコンテストの出演者を思い描いて、くるり。


 意地の悪い兄ならば「売れない芸人のド派手スーツみたいだ」などと冷やかしたでしょうが、普通なら社交辞令の一つも期待していいものです。


 さあ、刑部ちゃんはどういう反応でしょう。

 お座りをして見上げてくるところ抱き上げ、意見を求めてみます。


 すると前脚でつっかえ棒をされました。

 この狸、私に対しては本当に愛想がありません。


「くっ。まあ、肉球の感触に免じて許すとしましょう」


 話は戻り、噂をもとに対策を講じるのはあやかし相手だと割と有効です。


 なにせ彼らの目的は人を化かして畏れや信仰から力を得ること。

 自分を認識してもらえないと力にならないので、噂の中に答えがあるわけです。


 この路地裏では陽暮れに何度か球電現象が見られ、動物じみた形だったこともあるとのことでした。


 探し求めて歩いていると、ちりん、ちりんと鈴の音が聞こえてきます。

 それは私を先導するように前方へと遠ざかっていきました。


 これは刑部の仕業ではありません。

 十五年前から憑いてくれている守護霊様の気まぐれです。


「そっちなんですね。ありがとう」


 猫の霊――センリにお礼を告げて、私は歩き出します。

 時折聞こえる鈴の音を頼りに進むと明滅を繰り返す街灯に行き当たりました。


 薄暗い路地裏に、これです。

 いかにも何かが出そうな雰囲気ですね。


 そうして人が抱く感情こそ、あやかしのご飯です。

 何もいないはずはありません。


 次第に高まってきた緊張を吐息に変えて吐き出します。


 大丈夫。

 万全の準備を整えているのだから、何とかなります。

 この先に目指すもののためにも、乗り越えなければならない壁です。



 さあ、暴くとしましょう。


 見つめていると、ぼうと青い炎が生じました。

 一つ、二つと手の平大の炎が灯り、幽遠な揺らめきが増えていきます。


 人の世に零れ落ちてきた超常の者たちの御登場です。


「プラズマの塊が宙を漂うという球電現象。海外ではブラックドッグの仕業とか言われますよね。日本では鬼火と言われることもありますし、君たちも間違いではないんですけど。ちょっと退いてください。本当に困っているのは別の子だと思うんです」


 しっしと手で払い、私はさらに奥を見つめた。


 鬼火はそれこそ土地の精霊みたいなもので、どこにでもいます。

 今回の噂は彼らの特徴にも似ているのでおまけで元気になったのでしょう。


 しかし本命は別。

 刑部を肩から降ろし、キャリーから銅製のアース棒とワイヤーで繋がった濡れタオルを取り出します。


 虎の屏風を前にした一休さんのような装備ですが、別にこれは捕縛用の道具ではありません。

 安全対策の品です。


 何の準備もなしにあやかしの前に出るなんて全裸で猛獣の前に立つようなもの。

 道路脇に覗く地面にアース棒を打ち付けるなんて奇行に走りつつも徹底的に下準備し、しゃがみこみます。


「ぐるるるっ……」


 思った通り、街灯の陰には一頭の獣がいました。

 犬やタヌキに近いけれど、そのどちらとも決定的に違います。


 後肢は二対、尻尾も二又に分かれ、こちらと目が合うやぱちぱちと電気を散らす超常の生き物です。


 重要なことを確認しましょう。

 このあやかしは何者でしょうか。


「球電現象の正体ちゃん。君は雷獣ですか? それとも――」

「フギャッ!」


 元気よくお返事なんてわけがありません。

 野良の子猫と同じく毛を立てて威嚇を示した獣は、ばちりと紫電を放ちました。


 やっぱりこうなりましたね。

 準備していた濡れタオルを投げます。


 濡れタオルは避雷針のように紫電を浴び、そのままあやかしの頭に被さりました。


 警戒している動物に上から手を出すのに同じ。

 タオルが被さった瞬間、あやかしは暴れて今まで以上に激しく紫電を散らします。


 こんなものに触れればどうなるかわかったものではありません。

 アース棒を地面に打って正解です。


 大部分の電気はタオルに括られたワイヤーからアース棒に逃げましたが、余剰の紫電がうねって辺りを焼くので後退しました。

 やっぱり野良猫とは訳が違います。


 あやかしは賢い上に特殊能力まで持つので、油断できません。

 こういうタイプは電気ウナギの捕獲手順と同様に放電させてからの捕獲が鉄則です。


「ようやく落ち着いてきましたか」


 ばちりばちりと跳ね回っていた紫電が収まり、ほっと胸を撫で下ろします。

 緊張でいつの間にか口が乾いていましたがもう大丈夫でしょう。


 このあやかしは晴天の日であれば比較的大人しいとの話です。

 放電した今ともなれば威嚇もなくなりました。


 ちなみに、私のボディガードは全く動じていませんでした。

 ちょこんと座ったままの刑部は近くで紫電が跳ねると前脚でぺしり。


 物理法則も無視して叩き落とし、タバコの火のように地面で揉み消していました。

 多少は熱いのか脚を振った後に舌で舐めていましたが元の位置から動いてもいません。


 私にとっては暴れる電線並みの脅威でも、この子にとっては軽く払える脅威なのです。

 これが差ですね。彼らあやかしは動物以上の素晴らしさも恐ろしさも内包しています。



 さて、捕獲も大詰め。

 私は再び深呼吸で心臓を落ち着け、カバンからジャーキーを取り出します。


「怖くないよ。おいで? 君の噂が悪い方向に深まりでもしたら魔祓い師さんが来ちゃいます。だから今のうちにまほろばに帰りましょう。その傷も治してあげますから」


 私の手が一歩届かないところにジャーキーを放り、様子を見る。

 人を脅かす程度で自然治癒するなら放っておけばいいところですが、そうもいかない事情もあります。


 これもお伽噺と同じ。

 彼らの化かしが度を過ぎる場合、それを退治する魔祓い師が現れるのです。


 簡単に言えば、陰陽師やエクソシスト的なアレですね。

 人の守り手としては警察のように頼もしいですが、騒ぎを起こすあやかしには傷を治したい一心の者もいます。それが殺されるなんてあんまりでしょう。


 これも私が祖母の仕事を継ぎたいと思った一因です。


 空腹でもあったのか、鼻をひくひくさせていたあやかしはジャーキーに食いつきました。

 それを咥えて陰に戻る際、私はこの子が何に苦しんでいるのか見て取ります。


 左後肢に傷があり、広範囲が赤く炎症を起こしてじゅくじゅくとしています。

 何かの理由で足に痛みや痒みがあり、舐め続けているうちに皮膚炎となったのかもしれません。

 炎症の中心部が膿んでいることから、単なる舐め壊しとも違いそうです。


 傷の原因が傷口に残ったままとかいうところでしょうか。


「君はもしかして生まれたばかりですか? それならなおさら保護しないとですね」


 あやかしというのは利口なので様々な方法で意思疎通ができます。

 足に寄りかかり、視線で訴えかけてくる刑部がいい例でしょう。

 『ジャーキーちょうだい』と主張しているのがありありとわかりますね。こんな具合です。


 撫でようとしても避けるし、両前脚を合わせておねだりする愛想もありません。

 けれどもこれはこれで心くすぐられる距離感です。


 カバンの匂いをふすふすと嗅ぐ刑部に頷きかけます。


「ジャーキーはあげるので、この子を保護したら近くの神社までお願いしますね?」


 刑部に大きな欠片を与えた後、あやかしには小さく千切って与えます。


 そうして徐々に距離を縮め、手渡しや頭を撫でるところまで許容してもらえばこっちのもの。

 ゆっくりと絶縁衣を被せて抱き上げました。


「刑部ちゃん、それじゃあよろしくお願いします」


 声をかけると刑部の容姿に変化が現れました。

 柴犬よりも小さな体つきが見る間に巨大化し、クマと見紛うほどになります。


 一月末という時期もあって冬毛が豊かなため、一回り大きいくらいかもしれません。


「よいしょっと」


 苦労して跨ると、刑部は走り出しました。


 途中、一般人の真横をすれ違っても彼らは素通りします。

 後追いの風にあおられて初めて反応するだけで、巨大な獣に騎乗した私に驚いた様子はありません。

 カフェで店員さんが気づかなかったのと同じですね。


 長生きしたあやかしともなると、視界に入ったはずなのに認識できないという具合に人を化かすことが得意になるそうです。


 程なく到着した先は我が家の分院――ではなく、とある神社でした。


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