夜雀と送り犬
診療所の入院室は動物病院のそれとは少し違います。
知性ある患者さんが多いのでケージの入院室は小さく、メインはベッドの入院室となっているのです。例えば巣穴暮らしで半野生的なあやかしがここに入ります。
まずは目の前にあるかまいたちのベッドから。
見た目は微笑ましいものですね。かまいたちは多頭飼いされているフェレットのように重なり合って寝ていました。
「調子はどうですか?」
斑さんが声をかけると、かまいたちは体を少し起こしてから仲間の体に身を沈めました。意識ははっきりしているけれど、未だにだるいようです。
それもそのはず。
腰から太腿にかけて毛が剃られ、十数針ほど縫った痕があります。
大きな血管は少ない位置ですが、それだけ傷つけば熱を患ってもおかしくありません。
「ひとまず化膿止めの薬を飲んでください。あまりにも痛むようだったら痛み止めの薬も用意しますけど、どうしますか?」
こうして言葉が通じる分、あやかしの相手は楽なものです。
お薬ですと斑さんが抗生物質の錠剤を口に突っ込むと、自分で飲み込んでくれました。
彼ら自身の治癒薬でも使えればいいのですが、そこまで万能じゃないそうです。
そもそもかまいたちはひびやあかぎれと科学的に否定された代表例で力が弱っていますし、ゲームなどで取り沙汰されるのは切り裂く力ばかり。彼ら三頭は切り裂く一頭だけが犬並みに大きく、普通のイタチがそれに寄り添っているような形です。
天候を司る神様より、学問の神様が多くの人に慕われるのと同じ。こんな変化こそ、現代のあやかし事情でした。
私は処方済みであることをカルテに記入し、続いてお隣に移ります。
こちらにいるのは夜雀の袂さんです。
袂さんの見た目はほぼ雀ですが、黒い羽毛がカラスのような濡れ羽色をしています。それ以外の違いといえば、ハトより少し小さい体躯くらいでしょうか。
そしてこちらにもかまいたちと同じように付き添いがいます。それは灰色の毛皮を持つ送り犬のハチさんでした。
袂というのはハチさんいるからこその名前なのでしょう。
夜雀と同一視されるあやかしには、袂雀と送り雀がいます。
袂に潜り込んだ雀が鳴くとオオカミが現れたことから不吉の前触れとされたのが前者。逆にオオカミが出ると鳴いて警告してくれる良い存在とされたのが後者です。
ともあれ、いかにもな繋がりではありませんか。
「袂さん、調子はどうですか?」
斑さんが尋ねると、ハチさんと袂さんが揃って顔を上げました。
「袂、元気。痛くない、言ってる」
チ、チ、チと鳴く袂さんの通訳としてハチさんが答えます。
たどたどしいながらも、これだけ受け答えができれば不足はありません。
「それはよかった。頭を打った時は血管が切れているかどうかが重要です。直後だけじゃなく、ゆっくりと出血が続いて数時間後や数日後に症状が現れることもあるからもう少しだけ様子を見ましょう」
「わかった」
「それと、ハチさんにも少しだけいいですか?」
また伏せようとしたハチさんに斑さんは声をかけます。
彼は患者ではないのでカルテはありません。けれど、斑さんが何を告げようとしているのかは私にも読めました。
送り犬のハチさんは目に明らかなくらいの痩身なのです。
「そのままだと倒れてしまいそうです。思い当たるところがあったら少しばかり改善した方がいいと思いますよ」
動物病院で働く者として、歯石、耳垢、太り加減、歩き方と関節病などはついつい目で追ってしまう点です。
肋骨に少し脂肪がついているくらいがいい体型と言われていますが、ハチさんは肋骨が浮くくらいの痩身でした。体調にまで影響がありそうな点は流石に放っておけません。
しかし、妙なものです。
食事を取らないだけでは餓死しないあやかしがこうなる理由は限られてきます。
まほろばで飢えるあやかしはいないので、恐らくは娑婆に行き過ぎたことによる衰弱でしょう。あやかしとしての本分を満たさずに滞在しすぎるとこうなります。
「それもわかってる」
ハチさんは短く答えると、伏せてしまいました。
理解しているのならこれ以上は踏み込めません。彼にも何かしら事情があるのでしょう。斑さんもそれ以上の追及はしませんでした。
「話が逸れてすみません。袂さんはこのままあと二日安静にして、何もなければ退院しましょう」
患者は両者とも経過良好のようです。
ハチさんの頷きを認めた後、私たちはこの入院室を離れ、ケージの入院室での世話を始めました。
こちらは意思疎通があまりできない相手の入院場所です。
例えばいくら芸ができても猛獣の扱いには注意するのと同じく、会話できなかったり、刑部みたいにただ喋らないだけというあやかし以外はこちらで預かります。
患者が動かないように私が保定している間に採血をしてもらったり、ケージに敷いているペットシーツの交換や餌やりをしたり――。
基本的作業なので、もっぱら雑談しながらになります。
「斑さん、そういえばさっきのお二人のカルテ、事故原因を書き忘れていましたよ?」
「あっ……。指摘してくれてありがとう。すぐに書き足しておくよ」
「一体何があったんですか?」
「娑婆で人を化かそうとしたら魔祓い師に出くわして反撃されたらしいよ」
「それは運が悪かったですね……」
近いもので言うなら、ゲリラライブをしようとしたら警官に出くわしたというところでしょうか。
犬猿の仲とまではいかないのですが、それでも悪戯相手が魔祓い師だったりすればこうして手痛く反撃されてしまいます。
それにしても、何とも低い確率を引いたものです。
魔祓い師なんてごく限られた家系でしか継がれていない職業で、常駐している地域も限られます。普通に出くわすことなんてほぼないでしょう。
「いや、それが偶然とも言い切れなくてね」
「どういうことですか?」
「イエティを巳之吉さんに会わせた時から兆候があったんだけどね、どうやら魔祓い師が警戒しているみたいなんだよ。『開かずの風穴』に便乗したみたいに、『鉄鎖の化け物』の活動が活発化しているのが目についたみたいだ」
「……そういえばあの日、行きの車で式神が飛び交っているってつららさんが口にしていましたね」
説明も少なく連れ出そうとしたら処刑かと怯えられた瞬間が思い出されます。
式神はある意味、ドローンに近いものです。あやかしがあまりに騒ぎを繰り返すので、わざわざ探して懲らしめに来たのかもしれません。
「だからこそ、他にも悪さに出たあやかしが痛い目を見て来院するかもしれなかったんだ。僕がスクラブから着替えずに休んだのもそれが理由だよ」
「なるほど。そんなところが繋がっていたんですね。お疲れ様でした」
「夜のうちに周知は済ませたから今晩は枕を高くして眠れるかもね」
「うーん、でも困りました。魔祓い師に解決されてしまうと、おばあちゃんの課題がどうなるやらわかりません。少しでも情報収集をして取り組んだアピールをすべきかもしれませんね」
「その課題も結局は小夜ちゃんの危機管理能力を試すものだよ。無理さえしなければ次の機会は与えられるはずだ。というか、そうでなかったら僕が先生に進言をするだろうしね」
当初は存在をねじ込むようにして祖母にアピールしたものですが、私の努力もこうして斑さんが言ってくれる通り、評価されているようです。
「ふふふ。下手に知識をつけた私を野放しにする方が危ない目に遭いそうなので、手元に置いて育てるのが無難とか思ってくれたら安泰ですね」
「そういうことを言ってしまえる点が先生のお孫さんらしい強さだと僕は思うよ」
半ば冗談ではありますが、自分をいかにして相手に売り込むかを考えるのは交渉の基本だと思います。あやかしに腕力では敵いませんし、こうした立ち回りから工夫するようになったのも教育された賜物でしょう。
妖怪総大将じみた祖母の貫禄を少しでも感じさせる振る舞いだったでしょうか。
斑さんからは呆れにも似た表情を返されるのでした。